お笑い芸人の生い立ち

ビートたけしの生い立ち~俺はマザコン!母の金の無心の理由に号泣

たけしアイキャッチー お笑い芸人の生い立ち

今や世界の「北野」と呼ばれその人気実力共に
伝説化しつつあるビートたけし。

彼が「俺はマザコン」こう言う彼の生い立ちと
母親であったさきさんとの関係を生い立ちから
追ってみよう。

嫁とは一味違う母の金の無心の理由に号泣レベル
の彼と母親のエピソードを~




Sponsored Link

ビートたけしプロフィール

ビートたけし(びーと たけし)
本名 北野武(きたの たけし)
生年月日  1947年1月18日(69歳)
出身地   東京都足立区島根
血液型    O型
身長    168㎝
最終学歴  明治大学工学部

ビートたけしの生い立ち~5人兄妹の末っ子

今や世界の「北野」となった彼の父親菊次郎氏と母さき
が43歳の時に最後に産んだ5人目の末っ子として誕生した。

「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」
の願いを込めて武と名が付けられた少年は末っ子と言う事
から上の兄妹とは年も離れており、祖母うしからかなり可愛がって
育てられた。
生い立ち
その一面母さきは武には厳しかったそうだ。

戦前をまともな教育も受ける事も許されない時代に生まれた
母さきの教育方針は「貧乏は輪廻する」

貧乏の悪循環を断ち切るには教育しかないと思い込んでいた
母親でいつも寝る前には子供達の鉛筆を削ってくれ、教科書や
ノートの点検をしてくれ、学校に行った後は教室に入れないにも
関わらず必ず、窓の外から授業をちゃんと受けているか確認しに
くるような母親だったらしい。

生い立ち
出典:http://anoima.info/kitano-masaru/

そんな母さきの信仰のお陰で武も成績優秀で、あの時代で
小学校卒業後、母親の勧めで家から遠い進学校に入学する。

足立区立第四中学校へ越境入学。
卒業後、東京都立足立高等学校に入学。
高校卒業後も母親に勧めで明治大学工学部(後の理工学部)
機械工学科に現役合格している。

ビートたけし芸人になり母が金の無心をした理由

だが大学生活には馴染めず5月病になり、大学2年位には
家出同然に家を出て、新宿界隈に今で言うプータロウの
ような生活を始める。

そんな中フランス座、松竹演芸場などの舞台などに出演する
ようになり、その後テレビにも出演する人気者へと駆け上がって
いった武。
母親
出典:https://mojim.com/twy112750x9x4.htm

当初はあれだけ教育熱心だった母さきはこの武の行動に猛反発
しては嘆き悲しんだそうです。

でも武にも言い分があり、好き好んで勉強していた訳でなかった
ので武も猛反発。

でも着実にお笑いの世界でその人気や実力認められるように
なった武に母さきは金の促進を始めるのです。

『ツービート』時代の彼に強く金の促進をし出した母親

『今までお前を育てた費用だから』こんな
会うたびに金を促進してきたさきさんに、

『とうとう金の亡者になりやがったな』

そう思いながらも金を私続けた武。

金までせびる母親にかなりの悪態をついたそうです。

この後もフライデー襲撃事件などで心配をかける武にも
マスコミにも見事な対応で話題になった母のさきさん。

そんなおりさきさんが入院する事になります。

お見舞いに駆け付けた母親の元気な言葉を聞いて

『まだまだ元気そうだな』と思った武。

だけど別れは急にやってきます。
1999年8月母親のさきさんは亡くなります。享年95歳。
母親
出典:http://neta-reboot.co/11782/

そして母の死後すぐに姉から、

「たけしに渡してくれ」

とさきさんに頼まれたと紙袋を受け取ります。

その中には1冊の通帳が入っていました。

散々要求してきた武からの小遣いが全て手つかずで
その通帳の中に入っていたそうです。

自分の年金まで合わせてその金額は1千万円にもなって
いたそうです。

さきさんは、いつどうなるか分からない保証の無い芸人
と言う職業についた武の入ってくれば全部使ってしまう~
をいつも心配して、自分がもらう事でその「いつか」
為に貯めておいたのです。

1円のお金にも手を付けづに
自分の年金も足して1千万円にまでしたさきさん。

武はこの包みを握りしめ、涙が止まらなかったといいます。




Sponsored Link

ビートたけしの俺はマザコンがカッコいい!

彼は自らマザコンである事も認め母親が大好きだと言います。
母親
出典:http://snjpn.net/archives/10338/3

1999年8月に亡くなった母親に武は「かあちゃん」
人目もはばからずに大泣きして見せました。
当時52歳のたけしは報道陣に囲まれながら号泣・・・

いかに武にとって大切な人だったかが分かります。

「30歳を過ぎて親を許せない奴はバカだ」と言う彼は
いかにして母親から教育を持って愛情を注いで貰ったのかを
一番影響を与えたのも母のさきさんだったのかもしれません。

世界のたけしの俺はマザコンってカッコいいですよね。
言うか言わないかだけでみんなそうだと思うし、そして
母親の立場からしたら何よりの母親冥利ではないでしょうか。
母親

最後に北野親子を象徴する言葉を~
「金のことでつべこべ言うと、母親にこっぴどく叱られたものだ。誰だって、金は欲しいに決まっている。だけど、そんなものに振り回されたら、人間はどこまでも下品になるというのが俺の母親の考えだった。貧乏人のやせ我慢と言ったらそれまでだが、そういうプライドが、俺は嫌いじゃない。」

凄い深いい話聞いた気分です。だし泣ける・・・

何にも要らない、その言葉だけで幸せですもんね。
武が『俺を産んで良かったと思って欲しい』の言葉が

一人の息子としての願いだと思うとたけしマジカッコイイ!

まとめ

世界の北野武は母親のさきの存在があってこそ。こんなにも正直で純粋な親子の分かりやすい愛情を目の当たりにするともう一度忘れかかった親の有難さを振り返らずにはいられない。今からでも遅くない「産んで良かった」って思ってもらえる親孝行しなくっちゃですね。たけし最高です!




Sponsored Link

コメント

タイトルとURLをコピーしました