今から29年前の1993年、日野OL不倫放火殺人事件の犯人として逮捕された北村有紀恵。
東京都日野市で起きたこの放火殺人事件では、北村の不倫相手の子供二人が巻き添えになり焼死しています。
現在無期懲役に服している北村有紀恵は理系才女でしたが、彼女の不倫相手であり、被害者遺族である原田幸広と北村有紀恵との不倫関係が屑すぎと話題になっています。
北村有紀恵の生い立ち、理系才女を狂わせた屑についてお伝えします。
日野OL放火殺人事件概要
北村有紀恵の起こした日野OL放火殺人事件は、1993年12月14日に東京都日野市の集合住宅(高幡台団地36号棟)で発生しました。
北村有紀恵は、事件の約2年前の1991年8月頃から、勤め先の上司の原田幸広という男と不倫関係にあったことがわかっています。
いい加減な嘘と虚栄で北村有紀恵を利用する形で都合よく、不倫関係をズルズルと継続し、2度も堕胎をさせていた原田幸広との痴情の縺れから起きたこの事件は当時悲惨な事件として大きく報道されました。
結局原田と不倫関係にあった北村由紀恵は、不倫相手の原田幸広の自宅に放火、子供2人が殺害されました。
事件当日の朝、原田幸広は出勤のために妻の原田京子の運転で駅に向かい、この時、自宅には鍵はかけていましたが、子供2人(長女6歳と長男1歳)だけの状態で、子供たちはまだ寝ていたといいます。
団地の陰から原田幸広夫妻が出ていくのを確認した北村有紀恵は、持っていた合鍵を使い、自分の指紋が残らないようにハンカチでドアノブを回し、原田幸広の自宅に侵入。
北村有紀恵はガソリンが入ったペットボトル5本とガソリン入りのポリタンクを持ち、原田幸広宅の居間に行きガソリンを撒きいて、火をつけました。
その際、北村有紀恵も爆発的に燃え広がる爆燃現象によって吹き飛ばされ、一瞬気を失い、手に火傷を負っていますが、すぐに意識を取り戻し団地から逃走しました。
原田幸広の子供2人は、火をつけられた居間の奥の4畳半の寝室で寝ていましたが、長女の遺体は居間で発見されました。長女は熱で頭蓋骨が割れ、脳が露出した状態でした。
長男は寝室で発見されましたが、両腕と膝下は焼失した状態だったといいます。
警察はすぐに原田幸広と不倫関係にあった北村有紀恵が怪しいと見て捜査を進めていましたが、有力な証拠がなく、逮捕に踏み切ることができませんでした。
犯人の北村有紀恵は父親に説得されて、事件から約1ヶ月半経った2月6日にようやく日野警察署に出頭しています。この出頭の前日の2月5日まで、北村有紀恵は通常通り勤務先に出勤していました。
その後、北村有紀恵は1996年1月16日に無期懲役の一審判決を受けるも控訴し、1997年10月2日の控訴審で再び無期懲役判決を下されています。
北村有紀恵側はこれを上告しますが、最高裁は2001年7月17日に上告を棄却、北村有紀恵の無期懲役判決が確定しました。
北村有紀恵の生い立ち~頭脳明晰の下町のお嬢様
北村有紀恵は、1966年8月7日生まれ(現在服役中で2022年現在56歳)、東京23区内の下町の出身です。
彼女の両親は自宅で印刷業を経営しており、兄弟は妹が1人の4人家族で、ごく普通の家庭だったようです。
北村由紀恵の性格は真面目で几帳面、温厚で人を疑わず信じるタイプだったそうです。
北村有紀恵は子供の頃から優等生で頭脳明晰、日本舞踊、習字、茶道、ピアノなどの習い事をするなど、当時のバブル世代だとしても、かなりのお嬢様育ちだったといわれています。
近所からも評判がよく才女といわれていたとか。
北村有紀恵は、東京赤坂の名門私立、山脇学園中学校・高等学校を経て、「東京都立大学」の理学部数学科へと進学しており、優秀な人だったことがわかります。
北村有紀恵の生い立ち~理系女子として学生時代
北村有紀恵の出身大学は、「東京都立大学」の理学部数学科で、理系女子として学生時代を送っていました。
なお、この東京都立大学は2011年3月に閉学していて、現在は首都大学東京になっていますが偏差値も高い優秀な大学だそうです。
理系で知的、小学生から才女だったという北村有紀恵は、知的で真面目、几帳面な性格だったとされています。
北村はトラブルを起こすこともなく、学生時代に恋愛にふけることもなかったようで、今回の事件の不倫相手との恋を純粋に信じていたのだと思います。
北村有紀恵の生い立ち~NEC入社と悲運の出会い
北村有紀恵は東京都立大学理学部数学科を卒業後、1989年に技術系総合職としてNEC(「日本電気株式会社」)に採用されます。
そして、不倫相手の原田幸広が働く府中工場のソフトウエア事業部ネットワーク開発部員として配属になり、彼と同じSEとして働くことになったのです。
新入社員だった北村有紀恵に、7歳年上の先輩社員の原田幸広が親切に仕事を教えるうち、親密になり、いつの間にか「師匠(原田幸広)」と「キャッシー(北村有紀恵)」と呼び合うようになったとか。
優秀なキャリアを築き順調だった北村にとって、妻子ある原田との出会いは後の事件を考えると彼女にとっても人生を狂わされた、まさに悲運だったといえるでしょう。
北村有紀恵と原田幸広の不倫の始まり
「師匠」「キャッシー」という親しい仲になった原田幸広と北村有紀恵は、仲を深め1990年の秋ごろ、北村有紀恵は東京の下町にある実家から、原田幸広が住む日野市に引っ越しデートを重ねていきました。
この引っ越しも北村は原田幸広と逢瀬を重ねる為に借り、またその費用の一切を彼女が負うほど、当時は原田に没頭し溺愛していたといわれています。
2人が本格的に不倫関係になったのは1991年の夏で、1991年8月6日に花火大会がありましたが、この日は北村有紀恵の誕生日の前日で、花火大会に参加しそのまま北村有紀恵のアパートに一緒に泊まり、初めて関係を結んだということです。
この時、原田幸広は北村有紀恵にラジカセとCDを誕生日プレゼントとして贈っています。
原田幸広はこれ以後、1週間に数度も北村有紀恵のアパートに泊まる事があったそうです。
さらに、原田幸広はこの頃から北村有紀恵に合計で116通もの愛のメールを送り続けていたというから驚きです。
1991年不倫関係となった原田幸広は北村有紀恵に「女房みたいなタイプの女と結婚するつもりはなかった」、などと、まるで妻と別れて北村有紀恵と結婚したいと考えているかのような発言をしていました。
純粋に彼を信じていた北村有紀恵は、そんな原田幸広の言葉に彼との結婚を意識するようになったという事です。
理系女子として勉学や習い事に熱心だった学生時代を振り返っても全く男気のなかったと言われる北村にしたら、初めて純粋に出会い愛した男が原田だったのでしょう。
北村有紀恵を狂わせた原田幸広の凄まじい屑っぷり
不倫関係に陥った2人は、ずるずると不倫関係を続けますが、北村有紀恵を狂わせた原田幸広の凄まじい屑っぷりも話題となりました。
1992年4月に北村有紀恵は妊娠しますが、北村の妊娠を知った原田は、妻の臨月が近いという理由で、北村有紀恵に中絶を強要、北村有紀恵は5月に中絶をしています。
さらに、北村有紀恵は約1年後の1993年2回目の妊娠をしましたが、この時は、自らの意志で4月9日に中絶、原田は北村を中絶させた後も、不倫関係を続けていました。ですが原田は中絶費用も払わなかったといいます。
それからも原田幸広は北村有紀恵に、今の妻とは別れて北村有紀恵と結婚するような発言をしていますが、実は妻には北村との不倫関係を一切話していなかったといわれています。
・離婚のことも考えている、キャッシーと一緒にやっていきたい
・(1993年)3月19日までには離婚の話を妻にする
・(1993年)4月5日までにはケリをつける
・妻との離婚や北村との結婚を仄めかし避妊もしない
・当時のデート代も全て北村持ち
原田は言葉巧みに北村有紀恵にこのように直接話したり、メールで送っており、これでは男性経験のない北村が信じるのも無理はありません。
1993年5月18日、原田の妻が自宅の電話機から友人に電話をしようとリダイヤルボタンを押したら、なぜか北村有紀恵の自宅につながり不倫が発覚。
妻の知る所となったこの後の妻、原田京子は北村有紀恵にたびたび電話をかけて、罵詈雑言を浴びせ、7月26日には事件の発端となった発言を北村に吐き捨てるように言ったといいます。
「私は2人も子供を産んで育てているが、お前は2回も胎内から掻きだす女だ」と罵られたようです。
この言葉で、北村有紀恵は、原田の妻にも自分のように子供を失う苦しみを味わせようとし、殺害することを決意したようです。
北村は原田を訴え、慰謝料1000万円と主張しますが、裁判所は600万円を提示、ところが夫婦は600万も支払えないとし、なんと原田は30万円という低い金額でことを済まそうとする屑っぷり。
1993年11月には調停に入りましたが、その調停中に北村有紀恵は事件を起こしてしまいました。
原田は、裁判においても、北村に甘い言葉をささやいたのは「肉体関係を維持したかったから」と証言し、「結婚の約束はしていない」とも主張。
優秀な女性だった北村を狂わせた屑な原田幸広の方は罪を問われず、今の彼女がどうしているのか気になります。
北村有紀恵は2001年に無期懲役(上限30年)が確定し、刑務所(栃木刑務所か)に収監されてから2022年現在で21年目に当たり、北村有紀恵の仮出所を目指す動きもあるとの事です。
ただ仮釈放ついては、何の罪もない幼い子供2人を、不倫が元で殺めたことでもあり許しがたいという声も多く上がっているようです。犯罪者となった北村有紀恵の現在の心境が知りたいところです。
おわりに
日野OL放火殺人事件で、不倫相手の子供2人を殺害し逮捕された北村有紀恵は、頭脳明晰の下町のお嬢様育ちで、理系女子として学生時代を送りNECに入社、不倫相手の原田幸広と悲運の出会いをしてしまったことがわかります。
原田を信じ結婚を夢見た北村に対し、甘い言葉をかけながら妻に不倫を隠していた原田の凄まじい屑っぷりが話題になりました。無期懲役を服役中の北村有紀恵の仮出所もあるのかどうか気になるところです。
コメント
妻子ある男の言い分「妻とはわかられるから」100%不倫相手にいうセリフ。
何の関係もなく落ち度もない子供2人を平然と焼き殺した女に仮釈放などもっての他。
家族も慰霊とお詫びと称して被害者家族にストーカーしているあたり、謝罪する気持ちなんてないでしょ。
1億円の慰謝料払いなさいよ。ストーカーしている暇があるなら。