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見立真一の生い立ち~関東連合元リーダーは知能犯IQ140超えの逃亡者

見立真一アイキャッチ 事件

2012年9月に起きた六本木クラブ襲撃事件の主犯格とされながらも、今だに一人逮捕されず国際指名手配中の見立真一容疑者。

彼が扇動したとされる六本木クラブ襲撃事件は、クラブフラワー内に金属バットを持ち乱入した、10人の男らに突然袋叩きにされた一人の男性客が死亡した有名な事件です。

この見立真一は現在も逃亡中で、どこにいるのか話題になっています。また彼はIQ140超えの秀才だったことも噂になっているようですね。

見立真一の生い立ち、元関東連合のトップであり知能犯と言われる国際指名手配人の容疑者についてお伝えします。

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見立真一の六本木クラブ襲撃事件詳細

2012年9月2日に起きた六本木クラブ襲撃事件とは、同年世間でも話題となった海老蔵事件や、2010年の朝青龍事件などの加害者として認知された関東連合が関与した事件です。

事件は関東連合トップの見立真一ら関東連合のOBで当時弘道会所属のヤクザだった金村剛弘が2008年3月に当時から、関東連合と対立関係にあった半グレ集団(新宿ジャックス)木村兄弟らの集団リンチに合い撲殺殺害(西新宿事件:享年32歳)。

この事件で加害者は逮捕されておらず、半グレ集団の抗争による殺人事件とされているが事件加害者グループを引っ張る木村兄弟として元より関東連合と対立関係にあった兄弟(木村)が犯人とみて西新宿事件以降、見立真一らの標的となる。

西新宿事件で撲殺された金村剛弘だが、通夜の席で金村の遺体を前にし見立真一は『絶対に返しを取ってやりますから』と復習を誓ったという。

それ以降、金村剛弘の敵討ちとして木村兄弟を追った見立真一ら関東連合が狙いを定めたのが2012年9月2日の六本木クラブ襲撃事件となります。

木村兄弟の弟の当時の特徴は怪我が原因で片足を引きずる歩き方をしており、被害者男性(藤本亮介)31歳と人違いで殺害当時藤本も木村兄弟と同じく怪我を負って足を引きずっていた事から勘違いされ殺害される悲劇となったそうです。

2012年9月2日午前3時40分ごろ、東京・六本木、六本木共同ビル(ロアビル)2階に位置するクラブ「フラワー」において、来店客の男性が、金属バットを持って店内に乱入してきた10人ほどの目出し帽姿の男らによって袋叩きにされ、男性は後に死亡が確認された。死因は頭蓋骨損傷による失血死または脳幹部損傷とみられた。ほか同席していた友人2名も殴られ軽傷を負うに至った。
男性3人・女性2人の計5名とともに酒席にあった被害者を男らは無言で急襲、およそ1分間にわたって集団で一方的に暴行を加えていた。事件後、男らはワゴン車2台に分乗し東京・東大和市方面へ逃走。さらに同市を経由し埼玉県内へ逃走した。
(引用:Wikipedia 「六本木クラブ襲撃事件」)

この六本木クラブ襲撃事件の容疑者として逮捕容疑されたのが19名うち18名が逮捕。

内3名が処分保留で釈放。15人が凶器準備集合罪で起訴9人が傷害致死罪で起訴されています。

主要メンバーに石本太一他メンバーも韓国や中国ハワイ等へ出国するも、主犯である見立真一は当時からフィリピンに潜伏中とされ、現在まで唯一逮捕されていない主犯として国際指名手配されています。

事件後ほぼ加害者18人が逮捕されて明らかとなった事は、18名の加害者関係者に山口組弘道会や山口系山建組に籍を置く暴力団が居た事であり、同じ山口系でも異なる系列にある組員も動かせる権勢を牛耳っていたという点が注目された事件でもあった。

ちなみにこの事件の一番の首謀者である見立真一は、これら暴力団に所属はしていなかった。

見立真一プロフィール

名前:見立真一(みたてしんいち)
生年月日:1979年3月6日(44歳)22年10月時点
出身地:杉並区
身長:169㎝
最終学歴:東田中学
所属:関東連合(永福町ブラックエンペラー)

見立真一の生い立ち~中学時代の豹変の訳

見立真一は、1979年3月16日に静岡県沼津市に生まれ、タクシー運転手の父親と母親、2~3歳上の姉の極普通の4人家族とし、仲の良い中流家族だったといわれています。

当時は明るい性格の普通の少年で、成績も優秀で眼鏡をかけた普通の中学生として不自由ない暮らしをしていましたが、中学2年で豹変し不良に激変したのだとか。

彼の豹変の訳は、家族と静岡から当時ヤンキーが多かったらしい東京杉並区内の学校へ、引っ越しして出会ったヤンキーらの影響だったようです。

引っ越した先の杉並区東田中学が当時から伝説的な不良が多かった学校だった事が、見立真一の元々持っていただろうアウトサイダー的要素を触発。

中1までは真面目だった見立は中学2年の時には不良メンバーに豹変し鑑別所まで入所するレベルのヤンキーと豹変したそうです。

鑑別まで入る事になったきっかけは、当時の見立てを「がり勉」と言い馬鹿にした人物を階段から突き落とした傷害罪がきっかけだったとか。

周囲の影響とはいえあまりの息子の豹変ぶりに、慌てた両親は息子を更生させるため一旦静岡の沼津に引っ越すものの、既に杉並区東田中学の悪評を耳にした沼津のヤンキーらに呼び出されます。

沼津の番長グループに呼び出され喧嘩を売られてタイマンを張ることに、ただ喧嘩は強くなかったようでそのタイマンで見立てはあっさり負けています。

ヤンキー同士の喧嘩タイマンで負けた後は当然番長グループらの下っ端からも馬鹿にされ、パシリとしてこき使われた次期があったようです。

ただその様子を見てほかってはいられないとばかりに東田中学時代の仲間が「俺が付いてやらなくちゃダメ」とばかりにパシリに陥った見立をバックアップ。

改めて東京に戻りヤンキーとして最期を賭けてデビューします。

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見立真一はサイコパス?奇行行動とは

一番多感で周囲からの影響を受けやすい中学の少年時代に生粋のヤンキー集団に接触した事から、優秀で真面目だった少年の燻っていた黒い陰の部分に火が付いたのでしょう。

その頃から迷う事なくヤンキーどころか極道顔負けの悪の道へ、まっしぐら状態となった見立真一は、ヤンキーのみならず異常な行動の片鱗を見せ始めます。

見立は、奇行とも言われる行動をとり始め、猫を交通量の多い高速道路に投げたりナイフで切りきざむなど、精神状態はとてもまともだと想えない異常な状態だったと思われます。

工藤明男の著書『いびつな絆』によると、見立は「小学校の頃、仲間外れにされた」とか「親に『あの子とは遊ぶな』と付き合わせないようにされた」と話すことがあったそうです。(ブログ犀の角)

ですが詳細は明らかではなく、中学卒業後、高校へ入り(ヤンキー高校で有名な都立永福高校など諸説あり)ますが、学校で暴力、または性的暴行をはたらいたといわれ2ヶ月で中退しています。

見立真一の昭和53年世代の関東半グレ集団制覇

このように十代中盤からは自分がやらなきゃやられる状態のヤンキー集団半グレの中で、見立真一もついに引くに引けない半グレ街道に突入。

当時の東京周辺はチーマー全盛期時代でしたが、関東を中心にした暴走族ら半グレ集団も数々の勢力図がありました。

その中で見立真一らが復活させたのが「永福町ブラックエンペラー」「新宿メデューサ」後に六本木クラブ襲撃事件の引き金となった木村兄弟が率いる「新宿ジャックス」等多数の半グレ集団が存続。

それら半グレ集団の活動は奇襲・抗争・喧嘩・凌辱・脅迫・拉致監禁・威嚇・集団暴行を基本的に徒党を組んで活動。

これらの頂点に立つべく永福町ブラックエンペラーが稲川系暴力団員21代目高橋氏をバックに東京周辺を仕切り数々の半グレや暴走族、時にはチーマーらを暴力と恐怖の抗争でヤキを入れながら統括していきます。

見立真一の統制できなかった唯一の兄弟

見立真一ら率いる永福町ブラックエンペラーやその後の関東連合が、次々卑劣なやり口とはいえ数ある半グレや暴走族らを打ち負かし解散させたり、統括したりとする中、唯一見立真一の傘下に入らなかったグループが1つありました。

そのグループこそ後の六本木クラブ襲撃事件を引き起こした人物である木村兄弟率いる「新宿ジャックス」でした。

関東連合加入を嫌った兄木村泰一郎と共に新宿ジャックスで、その名を知らしめ、最後まで敵対意識を持っていたと言われる弟孔次郎。

この木村孔次郎こそが、永福町ブラックエンペラー時代に見立真一らとトップとして知られた金村剛弘を撲殺したと言われています。

未だ逮捕されていない金村剛弘殺害の容疑者とし、木村兄弟の孔次郎と狙いを定めた事件が六本木クラブ襲撃事件となります。

見立真一の生い立ち~関東連合リーダーまでの経緯

堰を切ったかのように一気にヤンキー街道まっしぐらに豹変した彼は高校中退後、16歳の見立真一は彼が結成した暴走族『永福町ブラックエンペラー』のメンバーと共に、当時消滅しかかっていた関東連合を復活させました。

関東連合は、見立らの2代前(1976年生まれ)の世代が全員警察に逮捕された影響で、一時期的に消滅状態にあった時期がありました。

見立により復活した関東連合は、東京でも知られるところとなり、特に抗争の相手を半殺しにすることも日常といったその残虐さで、見立は「残虐王子」の異名をとり有名になります。

見立がリーダーを務めていた時代の関東連合は、監禁した抗争相手の歯や爪を抜くといったリンチどころか、さらに壮絶なリンチメニューも多く存在したとか。

関東連合が抗争相手の彼女や家族にまで危害を及ぼすようになったのも見立の世代からだったようで、抗争相手の彼女を拉致して性的暴行を加えたり、実家を集団で襲撃したりするやり方で恐れられていたようです。

見立真一は卑劣な男?

数々の半グレや暴走族との抗争で争い永福町ブラックエンペラーの勢いを確実にした方法とし、関東連合へと昇華させた見立真一の方法は抗争相手の頭とのタイマンとして呼び出しつつ、仲間を引き連れて待ち構えてボコる方法でした。

永福町ブラックエンペラーの頭としても総長としてタイマンを張る機会があった見立真一は数少ないタイマンでのエピソードでも、卑劣なエピソードが絶えない見立真一。

彼は元々小柄な身長168㎝と言う事もあり、一見強そうにえず喧嘩を吹っ掛けられる事が多かったようで、実際も喧嘩が強い喧嘩番長だったかというとタイマンは強くなかったとか。

宇田川警備隊で関東連合らより強かったとされる英悟とのタイマンでも、ボコボコ状態にされて耳もちぎれそうな瀕死の状態となり結局土壇場ではその場に居合わせた仲間からナイフを受け取り刺すことで負けを回避。

その後もタイマン相手の英悟を仕返しとばかりに呼び出し集団でフルボッコ。

基本的には1対1のタイマンで腕っぷしが強く半グレのリーダーとなる人物もいましたが見立真一の場合は全くの真逆の人物像。

徹底した卑怯卑劣な方法でも勝ちにこだわり、生き残りをかけて集団でボコる最も卑劣な方法で数々の抗争に勝ち名乗りをあげてきたようです。

見立真一の性格と強み

ヤンキーの最たるタイマンでは弱かったと言われる見立真一ですが、タイマンは弱くても彼には狡猾な性格と用意周到で元々の頭脳明快さが彼の強みだったようです。

その狡猾な頭脳で仲間内での序列にも厳しく統括、目くばせ気くばせを怠らなかった見立の性格は仲間内でも絶対自身に服従させるべく、集団心理を理解して恐怖と団体暴力で仲間らを常に扇動したと言います。

抗争相手である対立半グレらにもヤリにかかったらトコトンの姿勢で、徹底的に叩き潰す方法として、金属バットで滅多打ちの強行突破術を確立。

例え同じ関東連合や仲間内であっても自身の序列(総長)を脅かすような態度をすれば恐怖心を煽る行動として制裁を入る方法で統制します。

そうした自身の扇動から、彼は仲間内からの万が一のクーデター等反旗の可能性も視野に入れ、同じブラックエンペラーや関東連合らの仲間にも自身が住む住所や電話番号でさえ教えなかった程繊細な注意を払っていたようです。

そうした見立真一率いる関東連合の事を、六本木クラブ襲撃事件の主犯格として最長懲役の15年を判決された石本太一は自身の著書の中でこう話しています。

『集団心理と同調圧力、警察に捕まったときに初めてゆっくり寝られた。先輩からヤキを入れられる事もない』と当時の現役半グレ時代を振り返って著書の「不良力」で明かしています。

それほど、今日の仲間も明日は分からないという綱渡りのような生活に身を置いて扇動されていたのでしょう。

そしてそれらの扇動の頂点に居た人物こそ、関東連合総長だった見立真一なのです。

見立真一の犯罪歴

見立真一は、強姦罪により少年院に送致されたこともあった人物です。

見立は、成人後は暴力行為よりも闇金業者として金稼ぎに夢中になっていたようで、詐欺やマルチ商法に手をそめ強引な手口で荒稼ぎしたそうです。

そんな中でも、いくつかの暴力事件に関与していたとの疑惑もあり、「与国秀行襲撃事件」も関与したとされています。

与国秀行は、見立真一にとっては中学の先輩で、1990年代には都内最強とも謳われていた伝説の武闘派アウトローです。

与国秀行さんは成人後は“幸福の科学”の信者となり、半グレ系勢力とは距離を置いた人生を送ってきた人物でしたが、この事件で妻と共に暴漢に襲われ左眼を失明しています。

与国さんが当時出馬した(落選)「第45回衆議院議員総選挙」直後のことで、与国秀行さんが被害届けを提出しなかったため、警察が捜査することもなく闇に葬られた暴行事件でしたが、ネット上ではこの襲撃は、関東連合のOB達によるものとの見方が濃厚です。

与国さん襲撃の訳は、関東連合OBの犯行と噂される2008年の「西新宿事件」で撲殺された金村剛弘さんの元悪友として、葬儀に参列した与国秀行さんが、見立に対し、これを機会に堅気になるように・・・などと説教したからだとか。

この言葉で逆上した見立真一は、その場で与国秀行さんと口論になったそうで、様々な襲撃事件に関わった中心人物であるといえそうです。

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見立真一の権力と金

周囲の半グレ集団も、自身率いるブラックエンペラーや後の関東連合も、集団心理を用いた恐怖の扇動で仲間と周囲のワルを徹底排除して半グレも時には山口系直系の極道まで動かす程の力を牛耳っていた見立真一。

彼はこうして力で権力を持ち、権力を持った彼はそれらを駆使して手に入れたもう一つの力がお金でした。

関東連合の終盤に当たる六本木クラブ襲撃事件以前の見立は、既に闇金業で違法な取り立てでいずれ自分は100億の金を作ると豪語する程の収益を上げていました。

そこに至るまでの経緯にはブラックエンペラー時代の18歳当時に、既に金ずるとして都内の老舗レコード会社創業者一族の孫を標的として5000万円もの大金を数回にわたる恐喝でゲット。

とは言え相手も同級生の孫も当時の見立と同級生の18歳。

その相手から5000万円もの大金を恐喝したという事は当然、そこに至るまでの見立が確立したであろう執拗かつ残忍な暴力や暴行脅しで成立させたことは明らか。

そうした成功例に拍車をかけ闇金業を極めるべく多重債務者詐欺で荒稼ぎをしたそうです。

当時の上がりで月3億のあがりが半年続き見立自身の当時の口癖が「30までに100億持つ」と豪語したほどの大金を手にしていました。

見立真一は知能犯IQ140超え

関東連合のリーダーで、警察に指名手配されている見立真一ですが、彼は非常に頭が良く、IQ140超えの事実があったことが噂になっています。

元関東連合メンバーで、不良事情に詳しい工藤明男(柴田大輔)氏によると、少年院では当時、学校教育を受けていない者にも公平な結果が出る「新田中B式知能測定テスト」というものを受けさせられることが多かったとか。

そのIQテストで見立真一は、東京少年鑑別所に入れられて受けるたびに、毎回測定可能の上限であるIQ145を超えて、測定不能という結果を出したといいます。

東京大学に入るためには最低限130といわれているらしく、東大も夢ではないレベルの可能性もあったことにびっくりですね。

見立は現在も逃亡中といいますが、これだけの知能犯なら簡単には捕まらないと思われますが、その行方が気になります。

見立真一逃亡劇と現在

見立真一は44歳の現在も逃亡中で、懸賞金600万円で重要指名手配されています。

最新の情報では、彼はフィリピンのセブ島に潜伏しているといわれており、注目されています。

FRYDAYの取材に応じた元関東連合幹部の話(「工藤明男」名義で執筆活動、柴田大輔氏・2021年死去)によると、

拙著の題材となった事件、いわゆる『六本木クラブ襲撃事件』の主犯で現在も国際指名手配中の見立真一が、逃亡先としているのがフィリピンのセブ島と言われております。

真相は不明なのですが、警察含めて認識としてはセブ島から移動していないということのようです。(引用元:FRYDAY)

工藤氏は事件直後も見立と連絡をとっており、彼は逃亡当初2億円を所持し「逃げ切れる」と豪語していたとか。

見立の逃亡後の出入国記録では、フィリピンやインドネシアに潜伏し、その後セブ島へ逃亡、2019年にマニラの有名クラブで目撃されています。

が、現地の大富豪がかくまっているらしく、その後行方知れずとなっているといわれています。

見立真一は外務省から旅券返納命令が出され2013年には既に失効していることがわかっており、現在は不法滞在の身で逃亡していますが、海外かそれとも国内潜伏か、死亡説なども浮かんでおり噂は絶えず、真相は不明のままのようです。

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おわりに

関東連合元リーダーで、六本木クラブ襲撃事件の主犯格の見立真一は、現在も逃亡中で、フィリピンのセブ島、また国内かなど噂が錯そうしています。中学時代に不良に豹変した訳は、東京杉並区に引っ越ししたことといわれ、その後関東連合復活の立役者となり「残虐王子」といわれるほど恐れられる存在となり、暴行などでの犯罪歴も多かったと思われます。
見立のIQ140超えが明らかになり、知能犯として話題になっていますが、彼が一体どこにいるのか報道に注目したいと思います。


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