TOKIOのメンバーとしてもビビットのMCとしても
活躍されている国分太一さん。
15年に一般人女性との結婚をされて今では一児の
お父さんになった彼の生い立ちは意外にも苦労人で
下積み生活の長かった事もファンの間では知られた
事実です。
そんな彼の父親との過去の確執から現在の良好な
関係までちょっと意外な一面でもある国分太一さんの
生い立ちを追ってみようと思います。
国分太一の生い立ち~父との確執
東京都出身の国分太一さんは23区ではない?
東久留米市で両親と姉の4人家族として誕生。
詳細な情報は出回っていないものの、おそらく
平凡なサラリーマン家庭に育った彼の実家は
団地育ちだったようだ。
小学校時代は野球に熱中する平凡な野球少年で
ジャニーズ入所のきっかけとなったのが多くの
ジャニーズJRらがそうだったように姉が履歴書を
出した事がきかっけでジャニーズに入所する。
14歳でジャニーズに入所した国分さんは学校でも
かなり話題となったのでしょう。
当時先輩から『調子に乗んな!』などの軽口を効かれたり
軽いイジメのような因縁めいた言葉を言われる事も
あったそうです。
この思春期時代のジャニーズ入所だからやっかみ
ひがみでどうしても年頃の子供にはありがちですよね。
三年に上がると仕事が忙しくなったこともあり
学校へはあまり通わなくなったそうです。
高校進学に迷っていた時、当然高校進学を進める両親
特に父親に『高校進学しないなら国分家から出て行け』
とキツイお咎めを言われる事に。
当時既に無理して高校へ進学することに迷いを
感じていた国分さんは、一端は父親の勧めのまま
豊島学院高等学校に進学しますが本音では芸能活動
に集中したかったそうです。
国分さんの父親が中卒で苦労した過去を持つ事から
将来の保証がない芸能界よりも学業を優先させる
事は当然の考え方を持つ父親と国分さんは常に衝突。
結局『国分家を離れます』の置手紙を置いて
彼はジャニーズ事務所の用意した寮生活をスタート
させるのです。
そして高校も中退してしまいます。
この経緯から親子の確執は決定的になってしまったそうです。
国分太一のジャニーズの意外な下積み時代
14歳でジャニーズ入りして16歳の高校生でジャニーズの
寮生活を本格スタートし、高校も中退して芸能界での
将来を決意した国分さん。
でもそんな彼が20歳のTOKIOのユニット結成するまで
何と6年もの歳月をかけて本格的なデビューが決定します。
この6年の間は結構彼にとっては長い試練となった
ようです。
そしてデビューするもすぐに売れっ子アイドルの仲間入りを
したわけじゃないTOKIOだったので平日は現在のリーダー
城島さんとパチンコ屋に並んだりする生活を送ったんだとか。
かなり自答自問する生活の中TOKIO結成から4年後の
1994年に9月に「LOVE YOU ONLY」がヒットした事で
TOKIOとしての本格的活動が軌道に乗り始める。
まさにTOKIO結成までの6年と結成してからの
4年後の初CDデビューがリリースされるまでの
10年を国分太一は下積み生活として送っているのだ。
今の活躍ぶりを考えたら、想定外に苦労人であることが
おわかりでしょう。
国分太一の団地住まいの両親に一軒家をプレゼント
一時は高校中退を決意した国分太一を
「高校を止めるなら、国分家を出ろ!」と激怒して
親子の断絶関係になっていた国分親子。
デビュー曲のヒットから順調に活躍してピンでの
舞台やドラマ出演も徐々に増えてきた太一さん親子の
絶縁状態が解けたのが国分さんのミュージカルを両親が
見に来てくれたことから関係が温和されたそうです。
そして今では父も認める超の付く有名人になった太一さんを
父親は誇りに思っているでしょうね。
太一さん一部ではかなりお金にシビアと言われたり
あまりジャニーズ内でも評判が良いタイプでは無い
のですが団地住まいだった両親にはバシっと一軒家を
プレゼントしているらしいです。
男前ですね~やるやん太一君。
その為の節約なら必要ですよね!
今では間違いなく自慢の息子となっているでしょう。
おわりに
如何でしたっか?国分太一さんの両親の想いとそんな親の想いを理解しつつも反対を押し切って芸能界での勝負の道を選んだ国分太一さん。なんだかんだいっても激しい競争社会を勝ち抜いたからこそ現在の活躍があるのは間違いないのでやっぱり勝負を賭けた国分太一さんも男前ですよね。そして一軒家のプレゼントも素敵です!これからも山口さん脱退は悲しいアクシデントでしたが益々残ったメンバーで切り替えて頑張って欲しいですね。
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