仲川遙香の生い立ち~両親離婚は児童施設を経た現在の成り上がりが凄い

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仲川遥香アイキャッチ

AKB48の3期生として活躍して現在はジャカルタの
JKT48で大活躍する仲川遥香さん。

彼女のジャカルタでの活躍ぶりが話題ですが
先日自身の口から明らかとなった彼女の生い立ちが
話題になりました。

明るく協調性のある彼女の生い立ちから現在までの
成り上がりが今更ながら凄いと思い今回はJKT48で
活躍する仲川遥香さんの幼少期について追ってみようと
思います。

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仲川遥香の生い立ち~両親離婚後は祖母が母親代わりに

AKB48やJKT48で活躍し現在もジャカルタでアイドルと
して活躍する仲川遥香さん。

そんな彼女が先日、ついにSNSでこれ以上のウソを
付いていることに限界を感じたとの事で自身の生い立ちを
発表しました。

彼女のツイッターで添付された内容は想定外の壮絶
な生い立ちで、世間を驚愕させる内容。

それによると両親は彼女が3歳の時の離婚して
その後母親とは音信普通で顔さえ未だに知らない
状態だとの事。

離婚後は父親に引き取られ、仕事が多忙で忙しい
父親に代わり父方の祖母に遥香さんは育ててもらう
事になったそうです。

ネットでも噂されている彼女の父親はプロレスラーでは
ないかと言われていますが、家を空ける父親に代わり
彼女を育ててくれたのは祖母だったようで、当然お祖母ちゃん
にも育ててくれて感謝しているとのメッセージが。

ただ、小学生や中学生時代には「正直寂しかった」
との当時の多感な思春期の想いが綴ってあり、やはり
育ててくれた祖母に感謝そつつも、祖母だけでは
埋めきれない孤独だった想いも発信しています。

やはり母とか父とかとは違う事は分かる為同年代の
子供のように甘える事が出来なかったのでしょう。

わずか小学3年生には遠足などのお弁当は自分で作って
いたというのです・・・

正直考えられませんが、彼女の祖母の年代の女性には
その年頃9歳?の女の子にお弁当を作らせるのは何ら
可笑しくなかったのでしょうか?

その辺りにも、回りの同級生との違いを薄々気が付き
出した少女の葛藤もあったかもしれません。

仲川遥香の生い立ち~児童養護施設での生活

しかし、そんな祖母との二人暮らしも長く
続きません。

祖母が身体を悪くして入院生活になった時には
何と彼女は児童施設に入所して暮らした時期が
あったというのです・・・

凄くないですか?

彼女曰く祖母が体調が悪く入退院する度に児童施設
に入所したとの事ですが、どの施設もとても優しい人
質ばかりだったとの事。

周りに居る子たちもみんな同じ立場だから気持ちも
同じで年上はお姉ちゃん、年下は妹みたいな感じで
とても仲良く暮らせて楽しかったと告白しています。

でも実の父親が居ながら、仕事の関係とは言え
児童施設に入所していただなんて、やっぱり少数派。

この事を今年2019年2月11日にツイッターで告白
した理由は、インドネシアに渡って6年になる彼女が
インドネシアの家族観を肌で感じて、とても家族思い
な国である事。

そして家族はインドネシアに来ないの?と聞かれる
度に言う言い訳が辛くなってきたとの事、そろそろ
好評したいとの想いで公表してくれたそうです。

明るく他国であるインドネシアでも今や国民的
アイドルとして活躍する仲川遥香さんの2月10日に
27歳の誕生日のコメントへのお礼返しで発信した
ツィートでした。

みんな誕生日のお祝いありがとう~と・・・

27歳になった事でそろそろみんなに自分の過去を
知って欲しいと思っての公表だったようです。

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仲川遥香の現在の成り上がりが凄すぎる

元AKB48として2006年に合格し「はるごん」の愛称で
活躍しつつも2009年に「渡り廊下走り隊」で活躍。

2010年のAKB48総選挙では20位の自身最高位を記録。

そんな中の2012年8月にJKT48の移籍=ジャカルタ
での海外展開計画を聞き即決してインドネシア
での活動を選んだ彼女。

当時からAKB48での活躍も中堅どころで伸び悩んでいた
彼女には渡りに船とばかりに、即決で決断した事に
周囲はとても驚いたと言います。

そしてほぼゼロ状態からのインドネシアでのJKT48の
活動とその脅威の活躍ぶりはインドネシアに渡り5ヶ月
後には既にインドネシア語をマスターしていたとの事。

今ではインドネシア語で発信して増やしたフォロワーが
100万人ともいわれ2016年2月にJKT48の卒業を発表。

そしてその後もインドネシアを拠点に活動するアイドルと
して今や国民的アイドルの地位を確立しているのです。

元々AKB48の中でもやんちゃで元気なキャラクターだった
彼女のAKB48での活動内での今一つ伸び悩んでいた中の
海外活動(インドネシア)での活動を自らプロデューサーの
秋元康氏に直帰して進んで移籍も決意した仲川遥香。

そして見事日本以上のアイドルとしての人気と活躍を
経てJKT48も卒業し、今ではピンでインドネシアの
バラエティー番組に出演して笑を取る程の人気者に
なっているのです。

どこからそんなバイタリティーが生まれるのか?

やっぱり幼少期の生い立ちにルーツがあるのでは
ないでしょうか?

両親と暮らしたくても暮らせず、父親が引き取るも
父とも暮らせず、祖母を母親代わりに頼るも頼り切れず
児童施設で見知らぬ子供達と常に巡り合い仲良く共用する
術を覚えてきた彼女。

そうしたいつどこの施設に入るか分からない状態に
身を置かれて、どこに行っても誰とでも仲良くできる
術を身に着けて、今ある環境を生かして楽しく生きて
行く術を身に付けてきたのかもしれません。

その環境に置かれる身として彼女なりの処世術として

今ではジャカルタでランボルギーニを所有するほどの
成功者となった仲川遥香さん。

翌々考えたら物凄い下克上を彼女は自分の腕1本で
成り上がってきたのです。

凄い人ですよね・・・

その結果、2018年にはインドネシアの親善大使に選ばれ
インドネシアのCM起用数は何と20本以上との事。

この現在の活躍はいかに異国の地インドネシアで
まだ知らぬ存在だったLKT48での活動を卒業まで彼女が
決死の想いで頑張ったかと言う証拠でもあります。

今ではインドネシアで彼女の存在は不動の人気というから
ヤバくないですか?

半端なさ過ぎて・・・

育ちや環境などもはや何の言い訳にもなりません・・・

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おわりに

AKB48と言えば言わずと知れた存在のアイドルグループですが、その中では奇しくも思う活躍が出来なかった1アイドルの仲川遥香が本気のスポットライトを求めて自らの居場所を追求した末に見つけた場所がインドネシアだったのです。壮絶な生い立ちを経て自分自身の本当の居場所を求めて掴んだその場所はインドネシアと言う異国の土地でしたが、その脅威の成功ぶりと活躍は同期の高橋みなみを持って、石油王とでも結婚しそうと言わしめる決断力と実行力を持ち合わせています。海を越えての活躍と今後も続く武勇伝は益々目が離せそうにありませんね。


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