シャラポワの生い立ち~父親の執念とド根性が現在のランキングへ

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シャラポワ

モデル張りの高身長とサーブやレシーブを受ける時や
打った時の叫び声が特徴の高いマリアシャラポワ。

彼女が世界で注目されるようになってから既に
何年もたちますがここに来るまでの道のりは困難の
数々だったと言われています。

父親の執念と根性が現在のシャラポワを産んだと
言っても過言では無い彼女の生い立ちを改めて
追ってみようと思います。

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シャラポワの生い立ち~父の決意

1987年4月19日生まれのシャラポワはロシア
生まれの31才と大人の女性へと成長されましたが、この
生まれ年を聞いてはッと気が付く人も多いと思います。

そうです彼女が誕生する前年のちょうど一年前の
1986年の4月26日にロシアで原発事故を起こし
その名を世界に知らしめるチェルノブイリ原発事故
起きた年です。

当時まだ母親のお腹の中にいたシャラポワでしたが
この事故に恐怖を感じたロシア人の多くが移住して
家も仕事も捨てて移住したのは有名な事実です。

シャラポワの両親も当然周囲と同じく家や仕事を
捨てて移住を選びます。

わずか4歳でテニスを始めたシャラポワの才能は
直ぐに開花6才の頃にはマルチナ・ナブラチロワに
才能を見出され、すぐにフロリダ州のニック・ボロテリー
テニスアカデミーへの入学を勧められる程の才能でした。

だが移住先でもかなりの貧困を強いられた生活の中
のこのシャラポワのテニス留学は母親はじめ周囲の
人は無謀な事と大反対をしたそうです。

だって貧しさ故に幼稚園すら通えない経済状態だったのです・・・

それでも一念発起したのが父親のユーリシャラポフ氏
だったのです。

この子には天賦の才があると見込み、この時代特に
入手困難だと言われたアメリカ行きのチケットを手に
入れるのです。

原発だ貧困だなどの理由で幼いシャラポワの才能の
目を摘んでしまうわけにはいかない。

そんな思いから父は一念発起。

7才でのシャラポワとの父子二人での渡米を決意します。

わずか7歳のシャラポワの才能に人生を賭ける事を決意したのです。

シャラポワの父親のド根性が強烈

ただその道のりは移住先からの生活よりも険しく
厳しい道のりとなりました。

一代決心をしてロシアからアメリカのフロリダという
土地勘もない英語も話せない父子二人はシャラポワの
アカデミー入学だけを頼りに渡米したのです。

当時の所持金はわずか700ドル(約7万円)だったそうです。

しかもいきなりロシアからアメリカ移住した二人が英語が
話せるわけもありません。

でもアカデミーの入学資格の年齢が8歳以上のつまりは
9才からの入学しか許されなかった・・・

それを知らずに渡米してしまった父子は途方にくれるも
このままロシアに帰国するわけにも行かない。

そして生活の為にも来年アカデミーに入学する娘シャラポワの
高額な入学費と授業料にアメリカでの生活の為言葉も知らない
国アメリカで父親は昼夜構わず働き始めます。

この期間2年です。

寝る間を惜しんで最低賃金で働いたそうです。

選べる仕事は少なく肉体労働という条件の悪い仕事でしたが
父親ユーリシャラポフ氏は諦めませんでした。

そしてあらゆるテニスの専門書を読み漁りコーチの人選など
娘に必要であるベストな状況をありとあらゆる方法で探し
実践したのです。

アカデミー入学までの間もシャラポワの才能を枯渇させる
事の無いよう個人トレーナーの練習を続けます。

そして9歳となって改めてアカデミーの入学試験を受けた
シャラポワの才能を見て驚き当時のニック・ボロテリーに
より特別奨学生としての入学を許可されたのです。

日本が誇る錦織圭が訓練を積んだ場所として知られるる
場所ですね。

まさに不幸の連鎖のように直ぐに入学出来ないという年齢
制限のまさかのトラブルにあいながらも、言葉の話せない
異国の地アメリカで昼夜問わず極限まで睡眠時間を削って
働き詰めでシャラポワの為一人闘った父ユーリシャラポフ氏

の執念とド根性が無ければ、世界のシャラポワは誕生しなかった
かもしれません。
父親

時に娘のシャラポワ愛の強さ故対戦相手に嫌煙されたり
もする父ユーリシャラポフ氏ですが、そこはさておいても
彼のしたチャレンジはなかなか出来る事ではありません。

シャラポワ愛が止まらないからこそです・・・

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シャラポワの現在は父親あってこそのランキングへ

まさにシャラポワの現在は父親あってこその成功
と言えるでしょう。

近年はドーピング問題などトラブルも数々あった
シャラポワですが、テニスだけに留まらず華やかな
見た目からモデルとしても活躍。

2015年のフォーブス発表では女子アスリート
ナンバー1の長者番付となり、それは11年連続というから
驚きです。

そして現在のテニスランキングが2018年最新の
「ムトゥア マドリード・オープン」5月14日発表

(スペイン・マドリード/5月5日~5月12日/クレーコート)

シャラポワは準々決勝まで進み12人を抜いてランキングを
上昇させ現在40位との事です。

2001年の14才でのプロ転身。

2004年のウィンブルドン優勝。

18才以下での4大大会女子シングルス
を制したシャラポワ。

2005年に世界ランキング1位。

2006年に全米オープンで優勝。

2008年には全豪オープン優勝。

この後肩の怪我と手術などで戦線から離脱するも
2012年には全仏オープンを制し
「キャリアグランドスラム」を達成。

父子
現在までのこの驚異の活躍のルーツには間違いなく
何も持たなかった6才の頃周囲が大反対する中、
全てをシャラポワのテニスの才能にオールインした
父親の存在あってこそ開花したと言っても過言では
ありません。

彼女は言っています。
「私の人生に選択肢はありませんでした。でも両親がリスクを冒してくれました。私が強い心を持っていられるのはそんな両親に育ててもらったから。感謝でいっぱいです」

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おわりに

如何でしたか、叫び声の凄いシャラポワとあの華やかなビジュアルに隠された成功までのストーリーには父子の賭けねなしの一世一代の賭けがあってこその現在のシャラポワの活躍だったのですね。もしアカデミーに入ってなかったら世界のシャラポワは誕生してなかったかもしれません。シャラポワの才能にも父親のユーリシャラポフ氏にはもっとアッパレとしか言いようのない過去があっての今なのですね。これからも益々の活躍を応援したいですね。

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