本田圭佑の生い立ち~子供時代の貧困と母の病気に驚愕の過去が?

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本田圭佑アイキャッチ

いよいよロシアW杯が開催されるが突然のハリル
前監督の解任劇から西野ジャパンとなった日本代表
に本田圭佑も選出されました。

ハリル時代にはもはや日本代表としては厳しいのでは
と言われていた彼の最後のW杯となる可能性もあるかも
しれません。

今回は本田圭佑さんの知られざる子供時代の貧困と
母親の病気で一家がバラバラとあった悲しい生い立ちが
あったことを追ってみようと思います。

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本田圭佑の生い立ち~両親の離婚

本田圭佑さんは両親と兄の弘幸さんとの4人家族。

父親の司さんは若い頃から仕事が長続きせず、それなのに
野心家だったそうです。

あらゆる事業に手を出し会社を興しては潰すの繰り返し。

本田圭佑さん小学校に上がる頃にはマツタケなどの野菜を
輸入して卸業などを営むもひととき調子が良い時があっても
長続きすることは無く、いつも事業を起こす潰すの繰り返しで
生活に安定はなかったそうです。

そんな環境の中、子育てと心労とが重なり、変わる事の
無い生活と夫にどんどん精神を病んでいったのが母親で
最終的には両親は離婚となります。

本田圭佑小学校2年生の時だったそうです。

当然その後の本田ら兄弟は父親の祖父母の元である
満さん(故人)と祖母の晶子さんの元大阪南摂津市
の木造2階建ての長屋風家屋で幼少期から中学までを
過ごしたそうです。

その住まいは1階4畳一間と台所、2階も6畳和室と
小さなベランダのある家でそこに本田ら兄弟と父親
そして従妹らの6~7人が身を寄せて暮らしたそうです。

本田圭佑の子供時代の驚愕貧困生活

両親が離婚したと言っても彼らの環境が向上する
訳も父親が変わるわけも無く小学生で既に地元の
サッカークラブに入団して活躍していた彼ら兄弟は
貧しさや寂しさを紛らわすかのようにサッカーに
没頭していたと言います。

生活はかなり困窮していたようで、本田ら兄弟は
真冬でも半そで半ズボンの薄着でサッカーに熱中。

それでも幼い孫らを何とか一人前に食べさせなければ
イケないと不出来な息子に変わって(本田実父)祖父は
ガスボンベを運ぶ仕事をしたり祖母も清掃業や皿洗い
など3つの仕事をかけ持って働いたそうです。

そしてそんな必死の祖父母の子育て教育は本田圭佑
曰くこう評しています。

『メチャクチャ厳しい。昭和のど真ん中の教育です。団塊の世代が受けたような教育じゃなかな?そこに親父や兄やサッカーというツールを通して男として強く生きる為の多くを学ぶことが出来た。
これまで色々な経験をしてきて、少なくとも自分の身の周りで、根性で俺を上回った人間は一人もいなかった。
サッカー選手で俺より根性のあるやつは見た事がない。』
タレント辞書:出典

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本田圭佑~母親への想い

彼ら両親が離婚したのは本田圭佑が小学2年生の時。

小学2年生と言ったらまだまだお母さんに甘えたくて
恋しくて仕方が無い年ごろです。

彼ら兄弟はそんな厳しい環境の中お小遣いを溜めて
離婚して岡山に住む母親の元に会いにいったそうです。

長らく海外移籍して活動の拠点を海外に移している
本田圭佑さんですが、帰国したら彼らを厳しく育てて
くれた祖母の元へは行かず、母親の面会に定期的に
姿を見せていると言われています。

わずか小学2年生で離れ離れになってしまった母親
ですが、いかに不条理で不本意な別れだったのか
厳しい環境の置かれた彼ら兄弟だからこそ母の身に
なって理解出来たのかもしれません。

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おわりに

如何でしたか?ビックマウスと言われたりしながらも小学生時代から摂津FCに所属し、貧しいながらもサッカーに全てを賭けて努力してきた彼は将来の夢をテーマに書いた作文で既に『夢はWカップで有名になって ぼくは外国から呼ばれて ヨーロッパのセリエAに入団します」「そしてレギュラーになって 10番で活躍します」「必ず世界一になる」とあったそうです。有言実行の本田圭佑はどんな恵まれない生い立ちでも言い訳にせず自分の力で夢を手にしてきたのですね。
カッコよすぎます。

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