記憶に残る女子マラソンランナーとして2004年の
アトランタ五輪で金メダルを獲得した野口みずきさん。
現在では結婚された旦那と上海に見えるとの噂もある
彼女ですがそんな彼女の幼少期は想定外の貧困家庭
だったことで知られています。
どんな生い立ちから彼女は自らの才能を枯渇させず
開花させたのか?
元メダリストの壮絶な生い立ちとそれを乗り越えた現在の
生活を追ってみようと思います。
野口みずきの生い立ち~貧乏過ぎる家庭環境
現役時代はあの小柄な体系で壮絶な練習量で
知られた彼女はやっぱり幼少期から走る事が
大好きな少女だったようです。
1978年7月3日に三重県伊勢市に誕生した
野口みずきさんはあの伊勢神宮の近くで誕生された
みたいです。
いかにも素敵な境遇で誕生したかに思える彼女ですが
幼少期には自電車でさえ買ってもらえない程家庭は
貧困状態だったと言われています。
彼女が幼い頃両親が離婚しており田中みずきから
野口みずきに変わったそうです。
正直1978年のバブル真っ盛りの子供で私ら同年代で
自転車を購入してもらえない家庭などどれほどあったのか?
にわかには信じがたい環境ですが、中にはそんな家庭環境の
子供もいたのかもしれません。
恐らくかなり少数派だったに違いありませんが彼女は
そんな家庭の末っ子として誕生しました。
近所の子供らと遊ぶ時は自電車に乗る友達に走って着いて
回っていたと言われています・・・
なんか泣きそうです。汗
その貧困ぶりは年齢の離れた姉兄がいたそうですが
みな家庭に余裕がない事を理由に中学卒業と共に進学ではなく
就職をしているとの事。
どんだけ~という感じですが、彼女がちょうどアトランタ
五輪で日本中の注目を浴びていた時、野口みずきさんの実家
や母親を特集された番組がありましたが、成程と言った感じの
実家だったのはかすかに記憶しています。
何というか、裕福そうな感じの真逆な雰囲気は
テレビをパッとみても分かる感じ?でしたね。
野口みずきにマラソンを~
何故そんなに貧困状態だったのかは分かりませんが
結局そんな家庭に金銭的な余裕がない事から野口
みずきさんが高校進学を考えていた時も両親は進学を
反対したそうです。
高校なんて行きたくないという子供に対して
『高校くらい卒業してくれ』と言われた時代です。
(私はそうでした)
そう考えると壮絶な貧困状態だったのは間違いないでしょう。
既に中学時代でマラソンを始めていて一目置かれる
選手に成長していた彼女はマラソンの強豪校である
宇治山商業への進学を先生にも進められていて希望高
としていたそうですが・・・
両親は反対。
泣く泣く進学を諦めて就職をしようかと思った所
彼女の歳の離れた兄弟がみずきにだけは高校に行かせて
欲しいと親に何度も直談判。
両親は泣く泣く進学を認めてくれたそうです・・・
良い兄弟のおかげで彼女のマラソンの才能が
途切れそうになりながらつながった瞬間です。
だってここで高校に進学してなかったら彼女の
アトランタ五輪の金メダルも日本の金メダルも
あり得なかった。
そう思うと凄い兄妹に感謝ですね。
徹底した練習量の多さ(走る距離の多さ)では国内唯一と
いわれエチオピアの10000m世界記録保持者のベケレ選手が
その1日平均77kmを走り込むという練習量の多さに
『クレイジー』と言った程の選手。
そんな彼女の練習量には彼女なりの金言があります。
『走った距離は裏切らない』
どんな時でも走り続けて自電車さえ持てず高校進学さえ
危ぶまれた何も持たなかった彼女が負い続けて手にした
夢の金目メダルは手にするべくして手にしたメダルだったのです。
野口みずきの現在は旦那と上海暮らし?
現役引退後の彼女はほどなくして2016年7月4日の
彼女の誕生日の翌日、彼女の生まれ故郷である伊勢神宮内で
結婚式を上げました。
お相手はアテネ五輪前に代表決定して野口みずきの特集を
ドキュメンタリーとして撮影したスタッフの一人で報道
カメラマンで2歳年上の当時40歳の男性です。
当時は何も発展しなかったものの2014年に急接近。
交際へと発展して2016年7月にゴールイン。
現在は旦那様の上海支局の勤務の為夫婦で上海に
移住して上海の地で暮らして見えるそうです。
素敵な旦那様との上海暮らしが気になりますが結婚後も
マラソン関係の仕事で結構日本にも行き来されて見える
ようなので又大きなイベントで顔やマラソン解説を聞ける
日も遠くないだろうと思います。
おわりに
何かを成し遂げるためにお金や環境のせいには出来ない。何もなくとも野口みずきさんは体一つと彼女の持ち味である根性と努力で誰もが手に出来ないメダルを手に入れました。高校進学さえも諦めて欲しいと言われる家庭環境の中です。言い訳一つ言わず懸命に前を向いて走り込んできた先が現在のゴールだったのだと思うと本当に人生は自分次第なのだ~と言う事を改めて認めざる得ません。今は上海でも又日本でお顔がみられる日を楽しみに是非お幸せになって欲しいと思います。
コメント