現在アマチュアボクシング界の山根明会長の
一件で意味深投稿が話題の村田諒太さん。
4月にWBA世界ミドル級王座の初防衛を
日本人ミドル級世界王者として初めて
果たした村田諒太。
その生い立ちは父子家庭で育ち、父親との
強い絆によりプロデビューして世界王者まで
上り詰めたといいます。
ヤンキー時代も話題となっている彼はK-1ファイターの
魔裟斗と喧嘩があったとの噂の真相など、調べてみました。
村田諒太の生い立ち~父子家庭から世界王者へ
村田諒太は、1986年に奈良県で生まれます。
両親がともに公務員の家庭で、3人兄弟の
末っ子として生まれたそうです。
両親は村田が小学校6年の時に離婚していますが
離婚後も同居しており村田本人は、その当時を
「崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかった」
と振り返っています。
父親は毎朝自家製のレーズンパンを子供たちの為に
焼いていたといいます。
男でひとつで子供3人を育てて、さらに介護の
仕事をしていたそうです。
村田諒太は5歳から水泳を習い、中学校時代では
陸上部に所属し1,500m走では奈良市大会4位の
成績を残していますが、長続きはしなかったようです。
しかし、さすが先天的に身体能力は高かったのでしょう。
中学3年の頃にボクシングを本気で始める事になり
その後南京都高等学校に進学した後も高校2年の時に
選抜・総体・国体の高校3冠を達成するなど、かなりの
活躍をしています。
高校卒業後は東洋大学経営学部経営学科へ進学し
ボクシング部に所属し、2004年に全日本選手権
初優勝を飾ります。
2005年にはキングスカップに出場、銀メダルを獲得
同年アジア選手権で銅メダル獲得など活躍を続けます。
北京オリンピックの出場権を獲得できなかったことで
現役生活からの引退を決めたといいます。
東洋大学を卒業後は、東洋大学の大学職員兼
ボクシング部コーチとして勤務しています。
2009年の元ボクシング部員の不祥事をきっかけに
現役復帰を決意し、2009年から2011年にかけて
全日本選手権3連覇を果たしました。
その後も国際試合に数度出場し、2012年にはロンドン
オリンピックで金メダルを獲得し、プロ転向します。
プロテスト後はアメリカで練習を積み、2013年に有明
コロシアムにて、東洋太平洋ミドル級王者、日本スーパー
ウェルター級王者の柴田明雄を相手にデビュー戦。
見事2回2分24秒でTKOで下し、圧勝でプロデビューを
飾り一気のボクシング界でも話題の人となりました。
この勝利により、一気に東洋太平洋ミドル級1位
日本ミドル級1位、WBC世界ミドル級19位にランクされます。
2017年に1度負けを喫したWBA世界ミドル級王者の
ハッサン・ヌダム・ヌジカムと再戦し、7回終了TKO勝ち
により、22年ぶり2人目の日本人として世界ミドル級
王者となりました。
2018年4月には8回2分56秒TKO勝ちにより、日本人
ミドル級世界王者として初めて果たしました。
村田諒太は中学ヤンキー時代も父親との絆は強かった!
温かく大きな父親の背中を見て育った村田諒太ですが
思春期真っただ中の中学1年の時には金髪に髪を
染めたそうです。
父親は家の近所を運転中に、金髪に染めた息子を
見つけたらしいのですが、驚きはしたものの
叱った覚えはないと語ります。
村田諒太本人も「あんなに穏やかな人はいない」
と話す程優しい父親のようです。
金パじゃないけどヤンチャオーラ出てますね~
父親がヤンキー時代の息子のことを話しても
「親に隠れて色々なことはしていたのでしょうが、家では「父ちゃん」と話しかけてきてくれていい子だった」
とのことで、感覚としては父子というよりも
「友人や兄弟みたいな感じ」
だと語っていました。
子供に舐められているような「友達みたい」
というタイプではなく、子どもから尊敬を
持たれているタイプであるからこそ「父ちゃん」
と慕っていたのでしょうね。
村田諒太は、中学生の頃は喧嘩に明け暮れる
日々だったといいます。
中学の担任から、週末ボクシング教室を勧められ
通い始めるも、練習がきついという理由から2週間で
やめてしまったのだとか。
喧嘩ばかりしていた村田は、ある時先輩と喧嘩になります。
肝心の結果は完全に村田の勝利だったそうですが、翌日には
「村田が負けた」と言いふらされ、噂になっていたのだとか。
その時に、ふと考えたそうです。
「こんなやつらばかり相手にしていていったいい何になるんだ?」
喧嘩は結局自己満足でしかなく、勝手に勝敗も捻じ曲げられて
言いふらされるという事にバカらしさを感じたのでしょうね。
そこからは
「リングの上で強いことを証明するのはカッコいい」
と、考えるようになり、中学3年から本格的に
ボクシングの道を進むことになります。
村田諒太がプロデビュー戦を前にして、周囲からの
プレッシャーに押し継ぐされそうになっていた時、父親は
黙って話を聞いてくれたそうです。
そして試合数日前には父親からメールが届きます。
「結果ではなくて、いま自分にできることを表現する方がだいじなんじゃないか」
という内容でした。
村田は、それを見てから凄く気持ちが楽になり
その通りだ、やるしかない。と腹が決まったと語ります。
ずっと見守ってきた父親からの言葉だからこそ
村田諒太もスッと受け入れられたのでしょうね。
お互い敬意を持っていなければ、こんな温かい言葉も
出てこないし、素直に受け取ることも出来ないでしょう。
素敵な親子関係で、聞いた方も温かい気持ちになります。
村田諒太が魔裟斗と喧嘩との噂の真相は!
村田諒太について調べていくと、K-1ファイターの
魔裟斗と過去に喧嘩したのではないかという噂が
ちらほらあるようです。
「反逆のカリスマ」として一世風靡したK-1ファイター
魔裟斗との対戦(噂では喧嘩ですが)ともなれば、誰しも
注目するカードです。
しかしながら、この噂の真相は、村田諒太が18歳当時
魔裟斗のスパーリング相手を務めたことがあるそうです。
魔裟斗はこの時のスパー相手にボクサーを含めて色々な
格闘技の人とスパーを行っていたのだとか。
この時は数日間にスパーリングを行ったそうです。
当初は魔裟斗にかなりやられていたという村田諒太は
悔しくなって徐々にリベンジを重ねていったといいます。
魔裟斗が当時を振り返り
「強いから憂鬱でしょうがなかった」
と語っています。
スパー翌日は首と頭がかなり痛くなったとか。
村田諒太もK-1のカリスマと相対し、自分はボクシングを
背負って居る、という気持ちを持ち、絶対負けたくない
という強い想いでスパーリングに臨んでいたそうです。
その時、魔裟斗の鬼気迫る練習量を目の当たりにし
村田諒太は魔裟斗に尊敬の念を抱くようになったのだとか。
魔裟斗も村田諒太の実力を買い、お互い尊重し合う
関係になったといいます。
ただのヤンチャ同士の喧嘩とかでは無いようですね・・・
強い男同士の絆って感じで、お互い勝負の世界に身を置く者
同士のリスペクトしながらの関係で尚更カッコいいって感じです。
おわりに
村田諒太vs魔裟斗、スパーリングだとしても非常に見たくなりますね。そしてお互いを認め合って尊重し合うというのも男同士の熱が見える気がします。WBA世界ミドル級王者の村田諒太さん。これからのタイトル防衛、注目して行きたいですね!
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