アスリートの生い立ち

勅使河原弘晶の生い立ち~継母の壮絶虐待に少年院からの究極下克上

勅使河原弘昌アイキャッチ アスリートの生い立ち

少年院上がりから元ボクシング世界王者
輪島功一さんの自叙伝を読んだ事に触発
されて一念発起したボクサー勅使河原弘昌さん。

彼の少年院に入るまでの生い立ちは壮絶を
極める幼少期を送った事でも知られている。

両親の離婚後父親の再婚相手である継母から
受けた壮絶過ぎる虐待は彼を少年院に入所
するまで追い詰めていった。

どん底まで落ちて行きかけた彼の壮絶な生い立ち
からの現在までの究極下克上を追ってみよう~

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勅使河原弘昌プロフィール

氏名    勅使河原弘昌(てしがわら ひろまさ)
生年月日  1990年6月3日(28歳)18年8月現
出身地   群馬県佐波郡玉村町
身長    168センチ
体重    52~53㎏
階級    バンダム級

勅使河原弘昌の生い立ち~壮絶過ぎる継母からの虐待

現在WBOバンダム級アジアパシフィック王者の
プロボクサーとして活躍する勅使河原弘昌さん。

元世界王者である輪島功一さんに憧れてボクサー
の世界に入った彼の幼少期は想像を絶する幼少期を
送り、そうした背景からの現在の活躍が異例の
ボクサーとして話題になっている。

勅使河原さんは両親と4歳年上の姉との4人家族
として誕生するも幼少期に両親が離婚。

その後父親が勅使河原さんら姉弟を引き取り
父子三人の父子家庭となるもその後程なくして
父親が再婚する。

その再婚相手となった勅使河原さんら姉弟から
するっと継母となる女性から受けた壮絶な虐待が
小学1年から小学5年まで続いたという。

今でも時折子供が実の親や親の再婚相手からの虐待
で亡くなる子供が後を絶たないが、そうなる可能性が
充分にあった程の虐待内容だったようだ。

離婚後に父子家庭となった家族は新潟に移り住み
その地で知り合った女性との再婚だったらしいが
とにかく異様な内容で相当邪険にされ、幼い子供
である姉弟に包丁を向けたり・・・

ゴミがかかったようなご飯を出され食べる事を強要
したりする継母だったそうです・・・

当然、そのような子供でもゴミが入っていると
分かるレベルのご飯に口を付けられる事など出来る
訳もなく空腹に耐えかねて家の壁紙を口にしたこと
さえあるほどの小学生時代を過ごしたそうです。

そこで思う事は、なぜ父に抗議しなかったのか?

幼い子供を脅すような真似をするとても卑劣な
継母だったようです。

わずか小学1年から5年の男の子です。

厳しく口止めされて口に出せなかったでしょう。

でもその頃とうとう4歳年上の姉は弘昌さん8歳の時
耐えかねて元の母親の元逃げ込んで避難したそうです。

そんな状態にもかかわらず彼が父親の元を離れなかった
のは『父親が好きだったから~』

父親も気が付いて挙げられなかっただなんて
悲しすぎます・・・

勅使河原弘昌の少年院時代

そんな家庭環境ですくすくと心身共に育てと
言うのには無理があります。

当然自我が出始めて思春期到来となった勅使河原弘昌
さんは中学に進学してから非行へと走るのです。

致し方ないでしょう。

15歳の中学3年の頃には暴走族のヘッドをするほどの
存在となり、当然その背景には暴走行為や傷害など
様々な軽犯罪を犯しその結果新潟少年院に服役する事に。

その後地元新潟を離れるも移住先だった神奈川県でも
同じような生活が続きまたも『小田原少年院』に収監
される事に。

ただ、この小田原少年院で出会った看守さんから言われた
言葉でようやく彼の目が覚める事になるのです。

彼の数度の経歴からその家庭環境など背景を知って
いたのでしょう。

監視さんはこういったそうです。

『お前は社会に楯ついてどんどんお前の人生を壊している。それはお前の大嫌いな養母に人生決められているってことだぞ』

この一言で彼の目は覚めて、それ以降自らの人生を
仕切り治すべく更生を近い、模範因となったそうです。

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勅使河原弘昌の少年院からの下克上の始まり

そうした心境の大変化があった時に少年院の中で

出会った輪島功一さんの自叙伝『炎のチャンピオン』
出会い更なる覚醒をして感動を覚え小田原少年院出所後
直ぐに輪島功一スポーツジムに入門をしたそうです。

そこからの活躍は2011年21歳でプロデビュー。

翌年2012年東日本新人王戦では順決勝まで勝ち進みます。

過去の戦績は19戦15勝(9KO)2敗2分です。

輪島功一
20戦目ではWBOアジアパシフックバンダム級タイトルマッチ
では同級5位ながらもフィリピン王者のジェトロパプスタン
氏相手に10回でのTKO勝ちで勝利を決めています。

自分では左右することのできない幼少時代の壮絶な
異母からの壮絶な虐待でともするとそのまま精神を
病んで非行から立ち直る事が出来ない屈折した人生を
歩む人も多いと思います。

それ程幼少期から思春期の家庭環境から受ける影響が
大きい事は火を見るより明らか。

だけど彼は自らの意思で立ち直りWBOバンタム級
アジアパシフィック王者へと自らの努力でその地位を
掴んだのです。

ある意味凄い下克上ですよね。

自分次第で人生は良くも悪くもできるのは分かって
いても周囲の環境のせいにしたり両親のせいにしたり
言い訳はどうとでも言えるのだから・・・

そう考えたら勅使河原弘昌さんの少年院まで入った
男性の今の成り上がりは究極下克上と言っても過言では
ありません。

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おわりに

いつの時代も子供が親や家庭環境を選べる事はなく、それらの与え得られる環境に良くも悪くも多大な影響を受ける事は誰もが共通の試練だと思います。そんな中壮絶な環境の中とことんまで腐った青年期を乗り越えて今の地位をつかんだ勅使河原弘昌さんの成り上がり凄いと思います。現在28歳の勅使河原さんの今後の活躍益々目が離せませんね。こうした人こそ応援したくなるのは、今年の甲子園金足農業とある意味同じかな~って思います。

コメント

  1. 匿名 より:

    バンダムではなく、バンタム(bantam/チャボ)です。

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