
日本人初のカヌー競技でリオ五輪で悲願の銅メダル
を獲得された羽根田卓也(29)。
彼の生い立ちや留学を支えた両親や兄の存在も同時
に追ってみよう。
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羽根田卓也プロフィール
羽根田卓也(はねだ たくや)
生年月日 1987年7月17日(29歳)
出身地 愛知県豊田市
身長 175kg
体重 70Kg
朝日丘中学校卒業
名鉄学園社若高等学校卒業
大学 スロバキア コメニウス体育大学在学
大学院 スロバキア コメニウス体育大学院
所属 ミキハウス
羽根田卓也の生い立ち~
スポーツが好きな一家に産まれた彼は7歳で器械体操を
初めてカヌーを始めたのは9歳から当時は父親羽根田邦彦さん
(57)の影響で嫌々休みになるたびにカヌーをやらされて
いたとの事。
最初は玩具やお菓子で釣って川に連れていったとか・・・
それでも小学3年生でカヌー競技に出場して
からは面白さやカヌーの奥深さにどんどん
引き込まれていき中学に進学する当たりには
それなりに熱中。
地元朝日ヶ丘中学から途中わざわざ部活にカヌー
競技がある事で知られる、私立杜若高等学校に転学
して、それが功を際したのか高校3年生では日本選手権を
制している。
9歳で父に強引に連れていかれたカヌーを始めた時期では
イヤでイヤで仕方がかなった競技がいつのまにか彼の
全てになっていったのです。
羽根田卓也スロバキア留学支えた父
いつしか彼はカヌーで世界を目指したいと思い
出します。
だが高校時代の海外遠征先のカヌー競技の環境と
その強豪揃いを見て世界と日本との違いに驚愕。
このままでは五輪では戦えない。
こうカルチャーショックを受けた彼は合宿先の
ソロバキアから速攻で手紙にて父親の邦彦さんに
直談判。
出典:http://sutakorasacchan.com/post-7341/
五輪でのメダルを約束すると同時にスロバキア留学
をお願いするのです。
それほど彼にはスロバキアでの合宿で刺激を受けた
という事でしょう。
結局それを了解してくれた父邦彦さんは了解してくれた
事で大学留学という形をとってスロバキア留学へとその後
現地の大学院を経て10年間の留学生活を支えたのです。
羽根田さんは2008年北京五輪で14位
2012年おロンドン五輪では7位入賞。
他国際大会でも着実に結果を出して彼に
スポンサーが付いたのはロンドン五輪後の
2013年ミキハウス所属となっています。
でもそれまではスポンサー無しですよね?
という事は父の邦彦さんの腕一本にかかって
いたのです。
当然相当な金額の負担があったでしょう。
邦彦さんも地元で建設会社を経営する事業家
で、愛知県カヌー協会の理事長も務める元カヌー
選手でもありますが、それにしてもやっぱり父親の
協力あっての今回の彼の悲願の銅メダル。
素晴らしいですね。
10年のスロバキア留学と第1線での競技者としての
活動を支えるのは並大抵ではなったでしょう。
彼のメダル獲得後のインタビューの言葉が
それらを物語っています。
「やっと父との約束が守れました。早く父の胸にメダルをかけてあげたいです。」
嬉しかったでしょうね~お父さんも。
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羽根田卓也の兄もカヌー選手
兄に羽根田翔太郎さんと弟さんがいるようです。
兄の翔太郎さんもまた父の邦彦さんの影響で
現在でもカヌー競技者として活動されているそうです。
あまり詳しい情報はありませんでしたが、どちらかと
言うとマイナーな競技カヌーですが実際は息の長い
スポーツとして活動できるのかもしれません。
弟さんはカヌーはしておらず農業をしているとの
情報がありました。
出典:http://geinou-resistance.info/5076.html
あまりに立派なシックスパックなんで兄弟の画像の変わりに
サービスショットです。笑
男3兄弟の羽根田家の次男坊って事ですね。
それにしても諦めなかった根性とそれを支えた父親が
もたらした3大会目の銅メダル。
見事でした。
おわりに
日本人初のメダルをもたらした事によってマイナースポーツだったカヌーが羽根田卓志さんのお陰でメジャーになった事が一番の功労者なのかもしれませんね。次回の東京五輪でも是非頑張って欲しいですね。
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