『怪物』と言われる程の伝説を持つ江川卓。
野球ファンの方ならこの言葉を聞いていろいろな
選手を思いだすのではないでしょうか。
松坂大輔選手や松井秀喜選手、清原・桑田の
KKコンビなども充分に怪物でした。
しかし、ある年齢より上になると、おそらく
江川卓こそが『怪物』と断言される方が多く
なるのではないでしょうか。
高校時代からの成績や伝説と言われたストレートは
今でも語り継がれる球速でした。
その江川卓さんの生い立ちから高校時代、ドラフトの
「空白の一日」事件、そして知られざる父親との
関係を追ってみたいと思います。
江川卓の生い立ち~父の教育方針
江川さんは1955年福島県に生まれる18年現在で
63歳ですが、父親の仕事の関係で幼少期を静岡県で
過ごします。
父親は江川さんが生まれる前から「息子をプロ野球の選手にする」
という夢があったそうです。
ただ、同世代の原辰徳氏などの父親とは違い、無理に
野球を強いるようなことは無く、自然に野球が好きに
なるように仕向けていたと、江川さんご本人が語られています。
「天竜川の石投げ」という有名なエピソードでは、大人
顔負けの飛距離で石を投げた江川さんを上手く褒めて
その気にさせて、それから毎日遠投することが日課に
なったそうです。
言われたことをやっていくよりも好きになったことに
夢中になってやっていく方がより成長に結びつくという
ことを意識して野球を進めていったのでしょうね。
当時の江川さんは反抗期などは一切なく素直に
父親の意見をよく聞いていたようです。
またまた父親の仕事の都合で栃木県に引っ越した
江川さんは高校進学も父親の勧めで作新学院に
進みます。
父親は最初から江川さんを大学まで進学させる
つもりだったようで、進学には作新学院が有利
だからという理由で決めたようです。
江川卓の高校時代の伝説
高校生時代の江川さんは、スピンの効いた剛速球と
大きく曲がるカーブを武器に1年生から活躍、持ち前の
剛速球で三振の山を築いていきます。
しかし、肝心なところで打線が奮わなかったり、後続の
ピッチャーが打たれたりして1.2年生時は甲子園への
出場はありませんでした。
でも、「栃木に怪物・江川あり」の噂は全国に広まり
練習試合の申し込みが後を絶たなかったそうです。
全国各地で招待試合が組まれ、この時の投げ過ぎが
後の肩を痛める遠因とも言われています。
そして3年生の春、いよいよ選抜大会に出場します。
この時全国の野球ファンは初めて『怪物・江川』を
観ることになるのですが、対戦相手の選手がボールを
バットに当てることすらできない剛速球に度肝を
抜かれたそうです。
初めてバットに当てた(ファールになったそうです)
選手に大きな拍手が起こったという話はあまりにも
有名ですね。
それほど当時の高校生の中では、群を抜いて
すごかった江川さんですが、この春そして夏の
大会とも甲子園で優勝することはありませんでした。
打線があまりにも打てなさ過ぎたのが
原因なのですが、江川さんがあまりにも
注目されるので、他の選手のモチベーションが
上がらなかったのでは?と思います。
ノーヒットノーラン9回、完全試合2回、奪三振率14.0
などのとてつもない記録を残して『怪物・江川』の
高校生時代は幕をとじたのでした。
江川卓の父との断絶
高校卒業後、ドラフトで阪急ブレーブスに
1位指名されますが、これを蹴って当初の
予定通り大学に進学します。
ただ、父親は慶応大学に進学させるつもり
だったそうですが、まさかの入試失敗
法政大学に進みます。
大学卒業後のドラフトでクラウンライター
ライオンズに指名されるもこれを拒否、1年浪人後
ドラフト会議を翌日に控えたそのとき、突然の
巨人入団の発表が有りました。
これが今に語られる「空白の1日」事件です。
野球協約の盲点を突いたこの方法は、父親と当時の
巨人オーナーなど周りの大人たちによる練りに練った
計画だったようです。
しかし、結果は江川さんの巨人軍入団は認められず
その後のドラフトで指名権を獲得した阪神タイガースに
一時入団、小林繁投手とのトレードでやっと巨人に
入団するというゴタゴタを演じてしまいます。
この時のイメージが世間的に非常に悪く、江川さんの
プロ野球人生はどちらかというと「ヒール」的な
存在になってしまいました。
また、これが元になって良好だった親子関係にも変化が
江川さんも今まで逆らうことも無く素直に信じてきた
父親に対して、少しづつ不信感が芽生えてきたのも
この頃からのようです。
一説に、この後結婚する事となる嫁との結婚に父親が
どうゆうわけか大反対した事も後の父親との断絶に拍車を
掛けたともいわれています。
江川卓の50億借金問題と今
そんなこんなでプロ野球界に寵児となった
江川卓は父親への不信感を募らせつつも新たな
新境地として江川さんは、現役時代に自らの引退後の
副業のために設立した個人事務所にも父親を一切関与
させなかったようです。
現役時代は多くのストレスをお金を遣うことで
発散されていたようです。
そして現役引退、その時は折しもバブル景気真っ最中で
解説者やタレント業などで現役当時より稼ぐことに成功
していた江川さんは、「財テク」に夢中だったそうです。
知名度抜群な江川さんはいろいろと人脈を広げていき
更なる投資を続けていたそうですが、ご存知の通り
バブルが弾けて投資は失敗、その負債額は50億円とも
言われています。
ただ、自己破産などの措置は取らず、その後もテレビの
仕事を続けられて、今ではその借金もほぼ完済された
のでは?
といわれているようです。
おわりに
今回の巨人の原辰徳監督三度目の再任が決定しましたが、いつも監督交代となると名前が挙がる江川卓さん。なかなか古巣の巨人である監督に命名される事は今だありませんが、やはりファン心理としてはいつか江川卓の巨人監督を見てみたいですね。テレビで見る江川さんは、いつも軽妙でユーモアのあるトークで楽しませてくれますが、やっぱりもう一度ユニフォームを着て野球の現場に戻ってきてほしいと思います。もう剛速球は投げられないでしょうけれど、指揮官として、世間をあっと驚かせるような采配で新たな伝説を作っていってほしいですね。今後の野球界に期待したいと思います。
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