テニス選手の国枝慎吾をご存知でしょうか?
車いすテニスの世界で絶対的な王者として君臨する
選手で、車いすテニス界では誰もが知っている
世界的な人物です。
テニスといえば日本では錦織圭が挙げられ人気も
名高いですが、その錦織圭や、世界的なテニス選手
フェデラーが「ナンバーワン」と称賛し、ファンからは
テニス界のイチローとも言われる最強の選手が
この国枝慎吾です。
今回は、2020年の東京パラリンピックで最も活躍が
期待されている国枝慎吾の生い立ちについて調べて
みました。
国枝慎吾の生い立ち~足の違和感
氏名:国枝慎吾(くにえだ しんご)
生年月日:1984年2月21日(34歳)18年11月現
出身地:東京都
身長:173cm
体重:65kg
プレイスタイル:右利き、片手バックハンド
所属:ユニクロ
国枝慎吾は小学生の頃はバスケットボール部で
バスケット以外には野球もやっていて、元気に
生活をしていましたが、9歳の時に脊髄腫瘍を
発病してしまいます。
最初は腰に違和感を感じ日に日に痛みが増していき
足にも違和感を感じるように。
精密検査をした結果、脊髄に腫瘍が見つかりました。
手術の前日には、いよいよ足が動かなくなり、手術後
からは車いすでの生活を余儀なくされます。
テニスを始めたのは、2年経った11歳の頃。
国枝慎吾自身は、車いすになってもバスケットボールを
続けるつもりでしたが、近くに車いすのチームが
ありませんでした。
結局、母親のすすめで、たまたま近くにあった
吉田記念テニス研修センターで車いすテニスを
始めることに。
日頃からバスケットボールや野球で車いすの操作も
手慣れており、磨かれた操作技術はテニスコートでも
武器となったようです。
麗澤高校に進学し、高校1年生の時にはじめての
海外遠征を経験、17歳から現在のコーチ丸山弘道の
元で指導を受けるようになり、本格的に車いす
テニスに取り組むようになります。
国枝慎吾のコーチとの出会い
丸山弘道は、現在も国枝慎吾のコーチを務めて
いますが、この二人の出会いがなければ、今現在
の国枝慎吾のテニスの成績は実現していないかもしれません。
丸山コーチは当時、日本代表の斎田悟司選手や
山倉昭男選手の指導もしており、ヘッドコーチから
国枝慎吾を紹介されたものの、忙しくて見てやれない
と一度断っています。
ある時、丸山弘道がコーチの部屋に帰る途中、コートで
車いすで飛び跳ねるように動いていた国枝慎吾を
見かけました。
丸山弘道曰く、テニスはそこまで上手では
なかったようですが、その躍動感のある車いすの
動きを見て、直感で「この子はトップレベルに行く」
と感じ、改めて,丸山弘道の方から国枝慎吾を
誘っています。
丸山弘道の指導の下、その頭角をメキメキと
現しはじめます。
麗澤大学に進学後、2003年にはワールドチームカップに
出場し、日本チームの初優勝にも大きく貢献、同年の
NEC全日本選抜車いすテニス選手権大会の男子シングルスでは
これまで連覇を続けていた斎田悟司を破って初優勝しています。
2004年のアテネパラリンピックで斎田悟司選手と
共にダブルスで金メダルを獲得。
2006年には世界ランキング1位を獲得。
さらに2007年には史上初となる車いすテニス男子
シングルスの年間グランドスラムを達成していて
以降も2009、2010、2014、2015年と5回の年間
グランドスラムを達成しています。
2008年は北京五輪で男子シングルスで金メダル獲得。
2009年に、日本の車いすテニス選手としては
初めてプロ選手に転向しています。
以降も類まれな才能を見せ、多くの優勝を
果たしています。
これらの功績は、国枝慎吾の実力はもちろんなのですが
やはり国枝慎吾と丸山弘道の大きな信頼関係があって
こそのものだと感じます。
国枝慎吾の名言「俺は最強」がカッコいい
国枝慎吾のすごいところは、車いすテニスで
ありながらも健常者と何も変わらないような
プレイスタイルであることです。
車いすテニスはツーバウンドまで許されているのに
彼の場合はほとんどワンバウンドで返しますし、健常者と
打ち合いをしてもものすごい速さでボールを返します。
国枝慎吾のプレイは多くのテニス選手に称賛されていて
日本のテニス選手として有名な錦織圭選手も、あこがれを
抱いているほどです。
数年前に、日本の記者が世界的なテニス選手フェデラーに
「何故日本のテニス界に世界的な選手が出てこないのか?」
と質問したところ、フェデラーはこう答えたそうです。
「何を言っているんだ? 日本にはクニエダがいるじゃないか」
テニス界でも一目置かれ、車いすテニスの世界では
知らない人はいない国枝慎吾ですが、彼の持つ
ラケットには「オレは最強だ!」と刻まれています。
2006年の全豪オープンに出場した時、オーストラリア人の
メンタルトレーナー、アン・クインから
「世界一の選手になれると思うか?」と問われ、
国枝慎吾は「なりたい」と答えました。
その時、
「これからは、世界一になりたい ではなく、世界一なんだと言い切る練習をしなさい」
と指導を受けます。
クインから、選手用レストランで「俺は世界最強だ!」
と叫ぶように指示され、恥ずかしい思いをしながら
叫んだそうです。
それからも、毎朝鏡の前で「俺は最強だ」と
叫ぶようになります。
ちょっと恥ずかしいと思える指導ですが、これが
功を奏し、国枝慎吾のメンタル面も鍛えられたようです。
その年のジャパンオープンで初優勝、そして、初めての
世界ランク1位に輝いています。
「俺は最強だ!」は国枝慎吾の座右の銘となり、これも
世界を代表するテニス選手国枝慎吾を形どっている
一つの要素です。
国枝慎吾の嫁は誰で出会いの馴れ初めは
そんなハガネのメンタルを持つ国枝慎吾は
プライベートでも2011年11月に結婚している
ようです。
公式ブログで、
一点御報告が! 実は……結婚しました。
心機一転がんばります^^
と短くですが報告されています。
お相手は一般人女性のようで名前は「愛さん」
というようです。
詳しい馴れ初めなどは公表されていないようですが
国枝慎吾が唯一本音を言える人物であるようです。
2016年のリオパラリンピックで、国枝慎吾は
いつものように「俺は最強だ」と自分を奮い立たせ
「金メダルを獲ります」とメディアにも宣言していました。
2015年秋頃から痛み始めた右肘を、リオパラリンピックの
直前に手術しており、そちらも万全だと言っていました。
しかし実際は右肘に痛みがあり、コンディションは
微妙なまま痛み止めを打って大会に出場しています。
結果、金メダルは逃し、ダブルスで銅メダルを
獲得するという形に。
この時の彼を支えたのが妻の愛さんだといいます。
「家では弱気なことを言っていた。どこかで吐き出さないと、プレッシャーでやられそうだった。弱い自分を見せられる家が僕にとっては救いだった」
この愛さんの存在がなければ、銅メダルも
取れなかったと思う、と当時のことを語っています。
アスリートの妻ということで、肉体面でも、精神面でも
国枝慎吾を支えていて、勝利への鍵ともなっているのでは
ないでしょうか?
おわりに
国枝慎吾選手のテニスは、車いすであることを忘れさせるようなスピード感と、超越した抜群のコントロール力が印象深く、目を見張るものがあります。幼少の頃に遊んでいたバスケットボールが、テニスにも活かされ、有能なコーチと出会い信頼関係を築き上げ、自分を支えてくれる妻に出会った事も彼の持つ強運さと強靭な精神力が引き寄せた奇跡的な出会いだったのかもしれません。
とは言え、個人的に気に入らないのは、これ程の実力と実績を残し、当然ながら健常者以上の血の滲む努力を乗り越えての過去の数々の経歴を見てオリンピックもグランドスラムも何故健常者らの賞金とこうも開きがあるのか?
私は、その事実にいつも哀しい気持ちにさせられます。格差があり過ぎるこの事実をもっと問題定義して変えていく必要があるはずだと思うのですが、あまりの賞金差に何故?の疑問しかありません。
時代は変わり平成も来年には終わりを遂げます。健常者も障害者も分け隔てなく活躍し人々を感動させてくれる対象である事に違いは無い。そう思えるスポーツの世界であまりにも目に余る賞金格差は、国枝省吾らの輝かしい実績を考えたら、全く腑に落ちないとしか思えません。こうした事も踏まえて、2020年の東京パラリンピックで熟年期を迎えた彼がどんな戦いを見せてくれるのか、益々応援して心より頑張って欲しいと思いますね。
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