現在の大相撲界では大型力士が多い中小兵力士
として多彩な技で人気だった宇良関。
17年の名古屋場所での怪我から5場所連続休場
で快調に伸ばしていた番付が撃沈。
平成最後の九州場所で小結貴景勝の優勝で盛り上がった
大相撲で密かに復活の期待がかかる活躍を見せていた宇良。
今回はまだ若い宇良の生い立ちから相撲を始めた
きっかけに九州場所での活躍までを追ってみようと
思います。
宇良プロフィール
四股名 宇良
本名 宇良和輝(うら かずき)
生年月日 1992年6月22日(26歳)18年12月現
出身地 大阪府寝屋川市
身長 172㎝
体重 135㎏
血液型 B型
所属部屋 木瀬部屋
得意技 突き押し・居反り・足取り・たすき反り
好物 卵・スパムのおにぎり
嫌いな物 甘いもの
宇良の生い立ち~家族
現在大相撲日本協会の力士としては小兵力士として
人気の宇良だが、この世に生を受けた時の宇良は4020g
のビックベービーで誕生。
大きく誕生したからか、当時から運動神経の良い赤ちゃん
だったのか僅か生後半年で伝い歩きするほど歩くのも
早い赤ちゃんだったとか・・・
流石に生後半年での歩きは凄いかも。
母親曰く予定日より2週間遅れての出産だったから
大きくなったのかな~との事だが、その後の体系の
推移から見てもそれが妥当かもしれない。
現在力士として活躍する宇良は26歳172㎝と言う体系は
かなりの小兵力士。
今回九州場所の主役となり小結で優勝した貴景勝が
175㎝で小兵と言われるのだから、いかに宇良が小兵
力士かがあ分かるでしょう。
しかも貴景勝が175㎝170㎏に対する宇良は172㎝の
体重は135㎏なのだから、どれほど小兵力士なのかが
良く分かる。
そんな宇良は両親と2歳年上の姉の4人家族として誕生。
父親の出身は沖縄出身のようで現在も実家には祖父母
ら家族も住んでおり、現在ではお父様の辰巳さんも沖縄に
帰郷している可能性があるかもしれません。
その理由は宇良関の出身地である大阪府寝屋川市に
母親の順子さんと姉は暮らしているそうですが父親は
同居をしていない~との情報があったため、もしかしたら~
という意味でです。
事実はともかく現在一緒に生活されてない事から
離婚の噂もチラリとはあるみたいです・・・一応・・・
宇良の母親が相撲を勧めた理由は性格改革
そんな宇良が相撲を始めるきっかけとなったのは
2歳年上の姉が地元のわんぱく相撲大会に出場した事
から。
姉の応援に行ったはずの宇良は姉6歳宇良4歳の時
会場の人の後押しもあり急遽相撲大会に出場。
この、わんぱく相撲への出場がきっかけとなり相撲を
始める事になる。
当時大人しくて内気な子供だった宇良に本格的な
相撲クラブに通う事を勧めた母親は、内気な性格を
少しでも積極的な性格に変われば~との想いで相撲を
勧めたらしいです。
男の子だから、お母さんがそう思うのも頷けます。
大坂寝屋川相撲連盟では元幕下立花の菊地弘至が
厳しい指導で、現在の大関豪栄道や勢関を育てた
事でも知られその訓練の厳しさは筋金入り。
必死で厳しい練習に食らいつく幼少期の宇良では
あったが肝心の体重や体形は、生まれた時以降は
平均並みでなかなか大きくならない。
小学6年時で139㎝42㎏と小柄だったことから
なかなか勝ちに繋がる活躍が出来ない。
小学6年で139㎝42㎏ならかなり小柄です。
お相撲・力士どっとこむ:出典
そんな悔しい相撲練習の中でも母親の信子さんは
常に宇良に付き添い励まし、どれだけ土俵に叩き
付けられても泣き言を言わない息子を陰から支え
続けたそうです。
上達しない相撲と並行してレスリングなら同じ
ような体系の子供と闘えて相撲にも技が生かせる
かも~の考えから平行して小学3年時にはレスリング
も開始。
鼻字や突き指など怪我は絶えなかったが小学4年には
週に3回クラブに通い80分の練習を徹底的に行い休憩
2分でも文句も言わずこなす根性が宇良にはあった。
そうした甲斐もあって全国2位に1度なり、角界入りして
から話題となった居反りの原型は、この時の猛特訓が
生かされていると考えられる。
そうして体重意外は順調に学生時代を過ごした宇良は
高校時代レスリングで推薦枠が取れず、またも相撲の
盛んな京都府立鳥羽高等学校に入学し相撲漬けの生活を
送る。
身体も小さく連取相手にさえ選ばれる事の少なかった時代
を経て当時は誰もが注目するような力士と言うよりは時には
練習場から追い出されるなどの負い目に合う程の力士だった。
潮目が変わったのは推薦で入学した関西学院大学に入学し
1年時の65㎏未満で優勝した事がきっかけとなる。
3年から徹底的に肉体改造に取り組み、4年で無差別級
で3位の成績を残し、ロシアで開催された第二回
ワールドコンパクト軽量級で世界一になる。
同時に将来を見据えて幼稚園と小学校の教員免許も
取得して、プロ入りを決断する。
2015年木瀬部屋に入門。
その後の活躍は言わずもがなで、小兵力士として
鳴らした第二の舞の海と言われる程の活躍で初土俵から
破竹の勢いで活躍を見せてきた。
宇良の九州場所で復活の期待
そんな順調な活躍の中、平成29年7月
名古屋場所10日目に新大関・高安戦で
敗れた際に右ひざを痛めます。
この怪我が元となり、その後も左ひざに怪我
が見つかり29年11月の九州場所は全休。
5場所連続の全休で番付は下がりに下がって
東三段目91枚目。
そうした中の平成最後の30年九州場所は
宇良復活の場所となる活躍を見せ、番付も
東三段目33枚目まで戻し三段目優勝までした宇良。
来年初場所の、いよいよの幕内力士との対戦で
宇良の本気の復活劇が見られそうですね。
めちゃめちゃ楽しみです。
やはり若手の人気小兵力士の活躍あってこそ
角界も盛り上がるというもの。
小兵力士故の怪我は大型力士よりついて回る
心配ですが是非、大型力士には出来ない多彩な
技のデパートで第二の舞の海のような活躍に期待
したいですね。
おわりに
宇良の幼少期は、今よりもっと小柄な体系故に苦労をしてきたのが分かりましたね。それでも恵まれない体系の中腐らず厳しい稽古に耐え忍んでの今があるのです。宇良にしかできない相撲は、当時の努力の賜物だったのですね。怪我からの回復でまた彼らしい活躍で是非番付を初入幕の時のように駆け上がって欲しいと思います。
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