アスリートの生い立ち

沢松奈生子の生い立ち~実家は西宮の豪邸で若い頃の違いと娘は何人

沢松奈生子アイキャッチ アスリートの生い立ち

元女子プロテニスプレイヤーとして世界を舞台に
活躍していた沢松奈生子さん。

現在は朝の情報番組「あさチャン」にコメンテイター
として出演してます元祖テニス一家の華麗なる一族
とも言われる実家が豪邸で西宮にあるとの情報が
あります。

若い頃のテニスの成績や引退後の夫や娘さんの情報
など沢松奈生子さんの生い立ちから調べてみようと
思います。

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沢松奈生子プロフィール

生年月日 1973年3月23日(2019年現在46歳)
出身地  兵庫県西宮市
身長   168㎝
体重   55㎏
利き手  右
出身校  神戸松陰女子学院大学 卒業

沢松奈生子の生い立ち~両親共にテニス一家

現在は朝の情報番組あさチャンで明るいコメンテイター
として活躍する沢松奈生子さん。

彼女といえば、日本女子プロテニス界を語る
上では外せない、黄金時代を築いた元女子
プロテニスプレーヤーです。

デビューから引退まで約10年間、2学年年上の
伊達公子さんと切磋琢磨しながらテニス界を
盛り上げてくれました。

テニス界では知る人ぞ知るテニス一家で有名な彼女
の家系は曾祖父の時代からテニス一家という絵に描いた
ようなサラブレッドとしても有名です。

母親の沢松順子さんは、奈生子さんの叔母に当たる
沢松和子さんとペアを組み、1970年ウィンブルドン
大会女子ダブルスのベスト8に入賞しています。

また、この叔母の和子さんは1975年のウィンブルドン
大会ダブルスで優勝、シングルスでは日本女子として
初のグランドスラムベスト4進出を果たしています。

父親の沢松忠幸さんも、順子さんとともに1974年の
ウィンブルドン大会混合ダブルスを戦ったことがあり
奈生子さんは『両親ともにウィンブルドン経験者』
いう素晴らしい遺伝子の持ち主です。

奈生子さんが5歳の頃、父忠幸さんの仕事の関係で
家族でドイツ・ブリュッセルへ。

ここで、5年間を過ごしたようです。

奈生子さんは、ドイツでテニスの腕を磨きました。

この小学生時代、テニス大会でいつも優勝していた片思いの
お相手「新くん」と、一緒に写真に写りたい一心で必死に
練習していた、というかわいいエピソードものちにご本人が
語っています。

現代のテニス界の新星として活躍する大阪なおみさん
以前の元祖テニス界の華麗なる一家と呼ばれても何ら
可笑しくないレベルのテニスの英才教育を受けるには
もってこいの家庭環境だったのですね。

沢松奈生子の生い立ち~実家は西宮の豪邸が凄い

 

そんなテニス一家に生まれた沢松奈生子さん。

世界のテニス界でご活躍なさっていれば、多額の
賞金を稼げる、とは有名なお話です。

ご両親をはじめ、叔母様までもプロテニスプレーヤー

ともなれば、ご実家はかなりの資産をお持ちでしょう。

住所などの詳細は不明ですが、曾祖父の代から続
く西宮市の本家にはテニスコートが備え付けられて
いたようです。

コートがあるとなれば西洋風の建物でしょうか。

西宮の実家にある大きな自宅の敷地内にあるテニス
コートで小学校から帰宅した彼女は必ず毎日テニス
の練習をしたと言います。

そんな生活が当然だった彼女は当時は家に帰ったら
同級生のみんなも家のテニスコートでテニスを練習
しているモノだと思っていたそうです。

当然ながら自宅にテニスコートが備わっている程
広大な土地を持つ実家を持つ同級生は、そうは居ない
はずですが、自分の境遇があまりに当たり前に、そうした
環境が整っていると、それが当然と思ってしまうのかも
しれませんね。

彼女にとっては、特別な事ではない至極普通の日常
生活だったのだから・・・

しかし、そんな広大な豪邸も1995年1月17日に起きた
「阪神淡路大震災」の被害に遭ってしまいました。

この震災で、豪邸は全壊。

幸いにも奈生子さんは全豪オープンの最中だったため
遠征先のオーストラリアに、またご家族も全員無事
ということでした。

のちの話題にも上りますが、この全豪オープンで自身の
4大大会最高記録を残し、彼女の技術面だけでなく心の
強さも証明されました。

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沢松奈生子の若い頃のテニスの活躍

現役時代をあまり知らない人の為に彼女の
テニスプレーヤーとしてのデビューは1988年
15歳の時でした。

なんとこのデビューの年、15歳6か月という若さで
全日本テニス選手権の女子シングルス初出場、初優勝
という偉業を成し遂げたのです。

この年には、ウィンブルドン大会ジュニア部門ベスト16
全米オープンベスト8進出、他にも夙川学院高校在学中は
2年連続でインターハイ団体優勝と様々な記録を叩き
出しています。

その後、大学入学と同時にプロデビュー。

1991年の全仏オープン1回戦で、前年度のウィンブルドン
大会準優勝者を破り、4回戦まで勝ち進みました。

1992年のウィンブルドン大会4回戦では、当時16歳の
天才少女として注目を集めていたジェニファー・カプリアティ
と対戦。

敗れはしたものの、大激戦を交わし話題となりました。

そして、1995年阪神淡路大震災が起こった後の全豪
オープンでベスト8。

きっと家族のため、地元のためと奮起した結果
だったのでしょう。

引退を決意したのは1998年、奈生子さんが25歳の時の
全米オープンでのことでした。

クロアチアの新星ミリヤナ・ルチッチ選手に敗れた時に
まだ若い25歳で引退を決めたようです。

そして、同年9月東京有明コロシアムで開催のトヨタ
プリンセスカップ2回戦で敗退し、そのまま引退する
こととなりました。

引退当時の世界ランキングは43位。

デビューしてからの10年間、世界ランキング50位以内を
キープし続けるという素晴らしい成績を残しました。

沢松奈生子の娘は何人で何してる?

そんな沢松奈生子さんのプライベートも気になりますね。

引退から7年後の2005年、32歳の時に7歳年上の丹波秀行
さんとご結婚。

丹波さんはスポーツ界の方ではなく、菓子製造会社の
役員でした。

結婚後、女の子を1人授かり、現在は10歳程だそうです。

テニス一家で育った沢松奈生子さんなので、娘さんにも
テニスの英才教育をしているのではないかと言われている
ようですが、実際はどうなのでしょうか。

もしテニスをしていたら、すでに話題となっていそうなので
もしかしたら無縁なのかもしれません。

どちらにしろ、まだ小学生ですので今後のニュースにも
注目です。

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おわりに

現在、2020年の東京オリンピックパラリンピックに向けて日本中がスポーツに注目する中、テニス界には錦織圭選手、大坂なおみ選手という二大スターが誕生しました。メダル獲得にも期待が高まっています。元プロテニスプレーヤーである沢松奈生子さんにも、今後解説の仕事など、メディアでのご活躍が増えそうです。沢松さんの元気で、日本テニス界、さらにはスポーツ界をどんどん盛り上げてほしいですね。


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