アスリートの生い立ち

森本稀哲の生い立ち~髪の毛の逆境と支えた家族!日本人か韓国人?

現役時代 アスリートの生い立ち

元プロ野球選手で現在野球解説などで活躍する
森本稀哲さん。

現役時代はドラゴンボールのピッコロメイク
などが本物さながらだった森本稀哲さんと言えば
髪の毛が無いスキンヘッドの特徴で記憶に残っている
人も多いかと思います。

でも、その髪の毛こそが彼の反骨精神を支えたルーツ
だったことを今回は生い立ちから彼を支えた家族や
韓国人と言われる彼が日本人に帰化した情報まで追って
見ようと思います。

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森本稀哲プロフィール

氏名:森本稀哲(もりもとひちょり)
生年月日:1981年1月31日
出身地:東京都荒川区
身長・体重:185㎝・81kg
配偶者:悠美(2012年~)
投球・打席:右投げ左打ち
ポジション・外野手・1塁手
プロ入り:1998年ドラフト4位
学歴:帝京高等学校
経歴:日本ハムファイターズ・横浜ベイスターズ・埼玉西武ライオンズ(2015年引退)
職業:野球解説者・野球評論家・タレント

森本稀哲の生い立ち~髪の毛の脱毛の始まり

森本稀哲さんの「ひちょり」という名前は、
「稀哲」の朝鮮語での発音「ヒチョル」より
取って父親がつけたといいます。

森本さんの存在は数年前の現役時代より
ドラゴンボールのピッコロメイクがハマって
存在感を発揮していたのでご存じの方も多いと思います。

それでも名前が稀哲(ひちょり)にはびっくり
しましたが、これがひちょりとパソコン入力すると
見事に稀哲と出るんだから驚きです。

父親は自身のルーツである韓国を意識されて
稀哲と命名されたようですが幼い事の森本さん
には、そうして名前で注目されるのは正直嫌だった
みたいですね。

多分かなりシャイな性格だったのかな、って感じ
がします。

森本さんの父親は韓国人、母親は日本人で
初等教育は韓国学校であったため、日頃から
在日韓国人であるということを強く意識して
いたといいます。

でもプロ入り後に、とても美しいモデルの奥様と
2012年に結婚して2014年には娘さんにも誕生しています。

森本さんは幼い頃はサッカーをしていたそうですが、
病気が原因でサッカーをやめて野球を始めたといいます。

その病は、小1の時にかかった汎発性円形脱毛症で、
髪の毛や眉毛、まつげなど体の毛全てが抜け生えて
こなくなるというものでした。

小学4年生では全ての髪がほぼ抜け落ちてしまった
と言います。

そして高校生の頃には当たり前に同級生に生えてくる
下の毛が生えてこない事にも、相当なショックと
コンプレックスを持ったそうです。

当たり前と思っている事が当たり前じゃない時
やはり人は他人と自分を比べて足りないモノに
何故?となってしまうのでしょう。

独り独り違って当たり前なのに…

デリケートで多感な思春期にそれを理解するのは
誰しも難しいのかもしれません。

クラスメートが彼の病気に触れずにいてくれた
おかげで学校は大好きだったといいますが、長く
コンプレックスになり人目を避けて過ごしたそうです。

森本さんは現在はほぼ克服していますが、当時の
つらい思いを忘れず、同じ病に苦しむ人に勇気を
与えるため毎日剃刀でスキンヘッドにしているの
だそうです。

森本稀哲のイジメと言う逆境

円形脱毛症にかかったことで、森本選手は
荒川区の野球チームに入っていたのですが、
周囲からからかわれイジメを受け、幼い頃から
つらい思いを味わいます。

先輩から心ない言葉の暴力を受け、鏡で日の
光を反射させ自分に当てられたりしたことも
あったそうです。

同級生ではない言葉の暴力も上級生はまだ
思春期の森本さんに刺さるような言葉を投げ
かけてきたそうです。

時には
『1000万ハゲー』とののしられた事も…

とにかく逃げたい、きついという思いが
あふれていたようです。

森本さんは当時の気持ちを色で行ったら黒、
濃い紫と語られています。

彼は髪の毛がないコンプレックスからいつも
帽子をかぶり、小4から帽子のまま過ごせる
野球を選んだわけですが、高校生になると野球部
でも主将になり

「髪の毛なんてもうどうでもいい。もっとうまくなりたい!」

と野球に夢中に打ち込みます。

そして野球の実力と結果を出すと同時に誰も彼の
髪の毛の事をおちょくったり嫌がらせのような言葉を
吐き捨てる人はいなくなってきたそうです。

この時森本さんは思ったそうです。

『結果を出せば誰も何も言わない』

こうして髪の毛のコンプレックスも持ち前の才能と
実力でイジメを克服し、時と共に髪の毛も自然に生えて
きたと言います。

病気やイジメという逆境のおかげで、自分が周囲に
心を閉ざしていたことや、人の痛みがわかるように
なったと言われています。

森本さんは人と違うことは一つの個性であり、

「人は見た目ではなく、心の豊かさが一番大事」

とも語り、自分の気の持ち方ひとつで人生が楽しく
なると表現されています。

イジメは人間社会にある大きな問題ですが、
森本稀哲選手のように前向きにとらえて自分の
気持ちをしっかりと伝えていく姿勢を見習いたいですね。

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森本稀哲を支えた家族母と父の言葉

東京都荒川区生まれの森本さんは生粋の東京人。

彼の父親が韓国人で母親が日本人の日韓ハーフ
と先に紹介しましたが、ご両親は祖父の時代から
日暮里で焼肉屋『絵里花』を経営。

当然、息子さんの森本稀哲さんの日ハム時代の写真
や他の選手の写真で店内は溢れているそうです。

ちなみに稀哲さんにそっくりなお父さんがお店では
出迎えてくれるそうです。

日暮里の『絵里花』行ってみたいですね。
と、思ったら古い情報ですいません。

2013年10月31日をもって閉店しているようです。

何でもお店の一部が新開発の一部になったとか。

とても残念です。

話は戻って円形脱毛症に悩んでいた少年時代、
森本稀哲さんは父親に、こう言われたそうです。

「おまえは目も見え、耳も聞こえ、髪がないだけだろう。世界には食事も水もなくて苦しんでいる子がたくさんいるんだ。」

と言われたそうです。

自分の殻に閉じこもる我が子に、

「もっと広い世界を見ろといってくれたのだ」

と後になってわかったと本人は語っています。

母親も病気を治すためたくさんの病院を回り、森本
さんのために奔走し、一生懸命彼を支えてきました。

病院に行く時もいやがる自分に母親が

「グローブを買ってあげるからいこうよ。」と言い、

「じゃあ行く。」と言ったりしたとか。

子供時代にも野球帽の下に汗をかき、その汗を拭いて
慌てて帽子をかぶる姿に母親はとても心を痛めていた
と言います。

子供時代に突然の病にかかり、毛がないことで
恥ずかしい思いをし、つらかった我が子と共に両親も
心の痛みを共有しながらあきらめず向かっていったことが、
現在の明るい森本さんの原点になっているといえるでしょう。

森本稀哲は日本人か韓国人?

森本稀哲選手は、プロ入り後の2007年11月に日本へ
帰化しており、現在は日本国籍です。

在日コリアンの野球選手は、古くは強打者張本勲や、
400勝を記録した金田正一といった伝説の名選手、また
金村義明選手(元近鉄)、新井隆浩(元広島)など
多数にわたります。

在日コリアンの出自であることが国籍や民族を語るのに
古くはタブーとされており、本名でプレーしないことが
多い中、稀哲さんのように本名で一軍登録されたのは
日本プロ野球選手初で注目されます。

「日本人だとか在日だとか、そういうの、野球には関係ない。韓国に住むことは考えていないし、日本も好き。僕は日本で生まれて日本で育ったわけですから。」
(ライブドアニュース)

スポーツに国境はないといいますが、自身の中に韓国と
日本どちらも存在することを公にし、日韓の野球界に
輝く活躍をする森本稀哲さんの存在は未来を切り開く
大きなものであるといえるでしょう。

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おわりに

小学1年と言う幼い子供時代に髪の毛が抜け落ちると言う過酷な病気になりながらも家族や周囲の支えに助けられながら野球の実力を付ける事でコンプレックスを克服してきた稀哲さん。少し変わった名前と、髪の毛のコンプレックスは子供時代から青年時代の多感な時期の他人からの誹謗中傷にはとても傷ついた事でしょう。
でもそんな辛さが分かる稀哲さんだからこそ病気を克服した後もわざわざスキンヘッドを貫いてきた事は今回の調べて分かり驚きました。
稀哲さんの人一倍傷ついてきたからこそ分かる他人の痛さや弱さを労わる気持ちからの行動。
なんだかんだいっても男前な稀哲さんの言うように人間見た目ではなく中身が大事なのは結局人の本質なのかもしれませんね。
今後も野球解説など様々な面で益々活躍してほしいと思います。

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