日本ライト級チャンピオンで「平成のKOキング」
と称されていた人気元プロボクサーの坂本博之さん。
坂本さんは幼年時代には弟と共に児童養護施設で
育ち、施設のテレビ中継で見ていたボクシングに
心惹かれプロボクサーの夢に向かって突き進みます。
坂本博之さんの生い立ちに虐待と拒食症の壮絶な
子供時代があったといわれ、嫁と苦難を乗り越えた
現在についてもお伝えします。
坂本博之プロフィール
氏名:坂本博之(さかもと ひろゆき)
通称:不動心、平成のKOキング
階級:ライト級、スーパーライト級(2007年現役引退)
生年月日:1970年12月30日(49歳)20年5月時点
出身地:福岡県田川市
スタイル:右ファイター
経歴:全日本ライト級チャンピオン(1993年)、OBPF東洋太平洋ライト級チャンピオン獲得
戦績:47試合39勝(29KO)7敗1分
坂本博之の生い立ち~虐待と拒食症の子供時代
坂本博之さんは、幼い頃両親が離婚しており、
乳児院で育てられたそうです。
母親が博之さんと弟を引き取りましたが、
5歳になるまで乳児院、児童養護施設で
過ごしています。
博之さんが6歳の時、事情で兄弟2人だけが
遠い親戚の家に預けられることになります。
そこでは2人を快く思ってもらえず、たくさんの
虐待を受け、壮絶な経験をしたといいます。
遠い親戚とは言え身うちから受けたこの虐待は
壮絶過ぎる内容。
・食事なし・学校給食だけで生活
・学校が休みの日は食事がないため、川のザリガニや外にいるトカゲを捕まえて食べたりした。
・不満を言うと顔が変形するほど殴られた。
・玄関にバスタオル1枚を敷いて寝る。
・トイレはドアノブを針金で縛られていたため、外で用を足していた。
坂本さんは子供ながらに死を覚悟したというほど
悲惨な目にあったわけですが、母親と別れる時に
「弟を頼んだよ。」と言われたことを忘れず守り
通そうと必死で耐え続けます。
1年半もの虐待の後、栄養失調で倒れた弟が学校に
運び込まれたことで虐待が発覚し、兄弟は福岡県の
児童養護施設・和白青松園に保護され、やっと
まともな生活が始まることになりました。
彼自身も、1970年生まれのこの時代に2度の
拒食症を経験しています。
過度な栄養失調がもたらした結果です。
戦前戦後ならまだしも、昭和生まれの
しかも高度経済成長真っ只中のバブルと
好景気で日本中が右肩上がりのこの時代にです。
小学3年生の時、ようやく生計を立て直した母親に
引き取られ、施設を出た後も生活保護を受けながら
苦労をし、坂本さんは高校生になっても掃除や
工事現場のアルバイトで生計を立て弟を養って
いたそうです。
ボクサーとして活躍し現在も第一線で活躍する
彼を虐待し尽くした遠い親戚は、どんな想いで
見て居るのでしょう。
今からでも刑事事件で訴えたいレベルの虐待
内容だと思います。
クズ過ぎる親戚に母親はどんな想いだったのか
胸が詰まる想いです。
坂本博之の伝説のボクサーとして
施設時代に見た華やかなボクサーの試合が脳裏に
焼きついてプロボクサーになる事を志した少年
坂本博之さん。
坂本博之さんは高校卒業後ジムに入ると20歳で
デビューし、2年後には日本ライト級チャンピオン、
3年後には東洋ライト級王座を獲得します
KOとパワーが圧倒的な魅力で、世界タイトルに最も
近い男と称され大きく期待されました。
ですが4回にわたる世界挑戦に失敗するなど惜しくも
「世界王者」は夢に終わり、2007年現役を引退し、
伝説のボクサーとなったのでした。
特に4度目の世界王座に挑んだ2000年の年間
最高試合に選ばれた二階級制覇・畑山隆則VS坂本博之の
名勝負(10月11日)は今も語り継がれる伝説の名勝負です。
負けたものの壮絶な打撃戦の末の10ラウンド目の
KO決着に誰もが感動を覚えたものでした。
坂本さんの何回も世界に挑んでは倒れ、それでも
また挑戦するハングリー精神の集大成がこの試合に
見えているといえるでしょう。
過酷な生い立ちで必死に耐えてきた、逆境に負けない
メンタルが坂本さんのボクシング人生を長く支えて
いたに違いありません。
坂本博之の嫁と乗り越えた悲劇
4度目の世界挑戦に負け、再起戦として
期待されたOPBFタイトルマッチにも敗北し、
失意の中復活を賭けて腰のヘルニア手術を
行いました。
手術は成功しますが、つらいリハビリが
待っていた上に、妊娠中の奥さんが子宮破裂で
救急に運び込まれ、妊娠8ヵ月(女の子)での
死産というつらい出来事に見舞われます。
2人には以前にも6カ月の男の子の死産の
経験があったため、今度こそ無事にという
思いが強かったはずで夫婦揃っての不運に
大変胸が痛みますね。
ですが、坂本さんは子供を亡くしてから5か月後
位になって、子供にチャンピオンになった自分を
見せなければと思い立ち、再度ボクシング復帰を
果たしていきます。
「運命は、自らの手で切り開くもの」
引退後は全国の児童養護施設を回り、傷ついた
子供たちに心理的経済的サポートも行っている
坂本さんが伝えているこの信念は、夫婦で培って
きたものに違いありません。
ボクシング引退後、待ちに待った女の子・明沙音
(あさの)さんを授かっており、坂本さんと妻の
再起をじっと見つめてきた神様が最後に幸せを
運んで来てくれたようです。
坂本博之の現在
現在の坂本博之さんは、2010年東京で
「SRSボクシングジム」を開き経営者と
なっておられます。
SRSはスカイハイ・リングスの略で
「天高く輪を広げて」との願いを
込めているといいます。
児童養護施設の子供たちにも門を開き、
若者たちの才能開花を支える新たな役目を
開拓しています。
坂本さんは、不登校や自閉症などの悩みを
抱える子供たちにもあたたかいまなざしを向け
養護施設支援として「こころの青空基金」
を発足。
ジム運営にも忙しい日々を過ごし
「現代のタイガーマスク」
ともいわれています。
2017年には「こころの青空基金」がアスリートの
社会貢献活動として評価され、
「HEROs SPORTSMANSHIP for THE FUTURE」
(日本財団設立)でHEROs賞を受賞しています。
いつかSRSボクシングジムから、坂本さんの
夢だった世界王者が羽ばたく日を願い応援
したいですね。
おわりに
坂本博之さんのボクシングはリアルタイムで見て居た一人なのであの畑山隆則との試合は固唾をのんでテレビに釘付けになって応援した記憶が今でもハッキリと残っています。そしてその当時から児童養護施設育ちの~のキャッチフレーズも子供ながらに心を揺さぶられる気持ちになった記憶が残っています。
ただあの時代に遠い親戚とは言え、幼い子供二人に何故あれほど無慈悲な虐待が出来るのか?拒食症になる子供などあり得ない時代にです。それほどまでに面倒を見るのが苦痛なら何故断らなかったのでしょう、現代でも問題となる幼い子供への虐待や暴力の数々は大の大人がひ弱で何の力も持たない無力な子供に対して行う行為ばかりです。許されないこうした行為をもっと厳しく取り締まる法改正をするべきだと思います。現在もボクシングにガッチリ関わっている事も嬉しく思いつつ独りの男性としても幸せをつかんだ坂本博之さんの今後の活躍も益々応援したいと思います。
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