ノバクジョコビッチの生い立ち~両親の献身で紛争を乗り越えて

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ジョコビッチアイキャッチ

2017年の肘のケガによるブランクを経てからの
世界1位復活や、2020年の全豪オープンでの優勝
シングルス連覇など完璧なまでのテニス界の不動の
スーパースター、ノバクジョコビッチ。

彼の数々の栄光を支えてきた両親や過去について
見ると、想像を絶する苦労があったことがわかります。

テニス界の王者と言っても過言では無いジョコビッチの
生い立ちを探り、彼の夢を支えようとした両親の献身や
母国セルビアでの紛争を乗り越えてきた過去について
紹介します。

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ノバクジョコビッチの生い立ち~家族と兄弟

ジョコビッチ生い立ち

ノバクジョコビッチはセルビアの首都
ベオグラードで生まれます。

プロスキーヤーで優れたサッカー選手だった
父セルジャンと母ディアナ、マルコ、ジョルジュ
という2人の弟をもつ5人家族です。

父親は長男のジョコビッチにスキーかサッカーの
選手になって欲しかったそうですが、ジョコビッチは
4歳でラケットを握り、幼少期から優れた才能を
見せていたといいます。

やがて才能が開花し、ジョコビッチは12歳で
ドイツの名門『ニキ・ビリッチテニスアカデミー』
に入門。

4年間を過ごしテニスへの道を極め、トップ選手に
向かい走り出します。

ジョコビッチの4歳年下の弟のマルコと、マルコの
4歳下になるジェルジェもプロテニスの道を歩みますが、
ジョルジェはケガでやむを得ずテニスをやめ、現在は
ビジネスを学んでいるそうです。

次男のマルコも元プロテニス選手でしたが、今は
テニスコーチとして子供たちにテニスを指導しています。

ジョコビッチの兄弟みなプロテニスを
目指していたとは驚きますね、

ノバクジョコビッチの生い立ち~テニスと紛争時代

ノバクジョコビッチは4歳でテニスに興味を持ち、
当時有名だったイェレナ・ゲンチッチコーチと
出会い、その後11年間指導を受けることになります。

セルビアではテニスは「ホワイトスポーツ」と
言われ、当時の一般家庭には高価で習えないほど
上流社会のスポーツでした。

また、当時、紛争の最中にあったセルビアでは
多くの人々が失職し、物価高騰に遭い銀行もお金を
貸せない時代でした。

ジョコビッチの家族は賃貸アパートに住む
一般家庭で、両親はピザ屋を経営しており、
けっして裕福ではありませんでした。

それでも両親は彼の抱くテニスへの夢を
必死で叶えようと努めます。

父親セルジャンは多額の借金をし、ジョコビッチの
テニスの練習・ツアー・留学代などにあて、彼の
遠征などにも同行。

現在も利用者が後を絶たない高利貸しにまで
手を出して当時のセルビア情勢を考慮してドイツ
留学を後押しします。

そこまでしてジョコビッチのテニスの才能と情熱
を信じ高額な費用に投資ししたのです。

そして母親ディアナが朝から晩まで自営する
ピザ屋をほぼ一人で切り盛りしたといいます。

12歳で空爆を経験し、サイレンが鳴ると防空壕に
避難し、轟音に耐え忍ぶ苦しい時代でしたが、
ジョコビッチは学校を終え宿題をし、夜の空爆が
止むのを待ちテニスに励み、悪天候でも野外で
毎日練習したそうです。

紛争の中でも財産をかけて子供の夢を守った
両親と、テニスへの地道な努力を怠らなかった
ジョコビッチには脱帽しますね。

何の保証もないジョコビッチのテニスの才能と
言う不明確なモノにファミリー全員で人生を
賭けていたと言っても過言では無い投資だった
と言います。

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ノバクジョコビッチの強靭な精神力は母国愛

ノバクジョコビッチがプレーで見せる類まれなる
強靭な精神力は、セルビアへの母国愛から
生まれたのではないかとよく言われます。

試合でのメンタルの強さはテニスの勝敗を大きく
左右しますが、ジョコビッチは特に逆境に立った
ときの集中力が他の選手より秀でていると言われます。

例えばブレークポイントを取られた時や、審判から
警告を受けた時、観客からのブーイングなどが
出た時でさえ冷静で集中力が途絶えないという
タフさは一流といえるでしょう。

またジョコビッチは2018年の右ひじの手術後、
ランキングは一時22位まで落ち、復活は困難
とまで言われましたが同年3月復帰すると全仏
オープン8強入り。

ウィンブルドンと全米でグランドスラム連覇
など驚異の復活を果たしています。

幼少期に紛争中だったセルビアで空爆が過ぎた
跡地を選び、同じ場所には空爆は来ないからと
足を運び、少年時代から過酷な環境を耐え抜いた
ジョコビッチ。

いつかこのセルビアを背負い世界№1になると
10歳で既に誓っていたジョコビッチ。

彼の強い精神力は、紛争で悪者扱いされていた
セルビアを思い、テニスで新たな希望の光を
母国の人々に与えたいという一途な願いと共に
養われていったものといえるでしょう。

ノバクジョコビッチのセルビアへの母国愛

母国愛

ノバクジョコビッチのセルビアへの母国愛が
本当に深いことを示す有名なエピソードもあります。

16歳でプロデビューし、18歳でウインブルドンと
全米オープンで3回戦進出を決め、注目選手として
脚光を浴びます。

ドイツ・ギリシャ・クロアチアが彼の高い才能に
目をつけ契約を希望し、各国の市民権贈与を申し出ます。

けれども、ジョコビッチは

「セルビア代表の選手としてテニスで成功したい。」

とこれを断ったのです。

当時ユーゴスラビア崩壊後のセルビアには、まだ
テニスの歴史がなく、政府からの資金援助なども
乏しくジョコビッチの将来を託せる環境ではなかった
はずで、他国からのオファーは名誉なことでした。

でも彼はNATO紛争によってできた

「セルビア人は残虐な人種」

というよくないイメージを覆し、世界中に真の
セルビア人の姿を見せようと誓ったのです。

ジョコビッチが激動の紛争時代に生きたことが、
彼のテニス人生の土台となりメンタルを支えたのは
いうまでもありません。

彼の最後まで諦めない、落ち着きある正統派の
プレーを通して、セルビア人らしい誠実で美しい
姿を世界に伝えることが彼の使命であったことが
わかりますね。

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おわりに

テニス界を牽引するレジェンドのノバクジョコビッチは、幼少から弟たちと共にテニスを始めますが、その大きな夢を応援する両親の身を削るほどの献身に助けられ、非凡な才能を伸ばし続けました。
セルビアの紛争という過酷な時代に屈せず、テニスへの情熱を傾けたジョコビッチの少年期は、彼の強靭な精神力と深い母国愛を育て、今なおそのメンタルは生き続けています。
つらい時代を乗り越え、セルビアといえばジョコビッチという一つのシンボルとなったジョコビッチの活躍はまだまだ続きそうです。


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