過去のブラジルではその全盛期に怪物と言われた
男がロナウドだ。
だが彼の生い立ちは本当に過酷だった。
本当の貧困と日本人では想像も出来ないレベル
の劣悪な環境下のスラム外に誕生して、そして実の
父親が麻薬犯だったと言う。
ブラジル最強の男と言われた彼の生い立ちと現在の
嫁までを追ってみよう。
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ロナウドプロフィール
ロナウド
愛称 フェノーメノ (怪物)
本名 ロナウド・ルイス・ナザーリオ・デ・リマ
生年月日 1976年9月22日(40歳)
出身地 ブラジル・リオデ・ジャネイロ
身長 183㎝
体重 95kg
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ロナウドの生い立ち~父は麻薬犯?
ブラジル出身者には決して珍しくない事だが彼も例に
洩れず、幼少期から靴が履けないレベルの貧困外で育つ。
物心ついたころには素足でサッカーボールを蹴りはじめる。
当時も現在でもサッカー少年の起爆剤となる心のより所は
「スラム街の貧乏からの脱出」
これが全ての原点であり、目標として唯一の脱出方法として
みなボールを蹴り始める。
彼もその多くの中の少年の一人にすぎなかった。
だが彼が違ったのは、彼は貧しいだけでなく彼の
父親は麻薬の売人で刑務所に入っていたということ。
貧困と暴力の中どうすることも出来ずに耐えている
母親を傍目に彼は「自分の足だけが、母を救える唯一の確実
な方法だと言う事に確信を持ち始めます。」
彼を目標としてひたすらサッカーに打ち込んだ彼、
当時の彼の評判を聞きつけ確かめに見に行った
ジャイルジーニョが試合を観戦した時、最後まで
ロナウドの利き足が分からなかったと言います。
恐るべし怪物だったのです。
ロナウドの生い立ちブラジル最強の男
直ぐにブラジルの名門チームであるクルゼイロに入団。
ここに1年所属した彼はすぐにオランダのPSVに移籍。
その後、バルセロナ、インテル、レアルマドリーACミラン
と着実にステップアップ。
この間に個人タイトルでFIFA最優秀選手賞を3度
バロンドールを2度受賞。
そしてすべてのチームを優勝にも導いています。
確実に1990年から2000年代を代表するストライカー
としてサッカー界では、ピークの彼は現在のメッシが
比では無いとも言われる伝説の男だったのです。
そのころの彼こそが『ブラジル最強の男。』
これが彼の呼び名でした。
当然ブラジル代表としても12年間選ばれており
その間FIFAワールドカップに4回出場。
2002年、日韓共同開催大会で8得点を挙げ得点王に。
チームは優勝。
https://youtu.be/fprBSQw1Y0A
晩年は度重なる怪我に泣かされ引退を余儀なく
されましたが、彼のドリブルは数人が塞いでも
止まらない、ファウルをものともせず、瞬発力や
瞬時の判断力、そんな中でのシュートの精度の高さ。
俊足でのドリブルはディフェンスを抜き去るレベルの
速さで、まるで後ろにも目があるかの如くタックルも
交わせるテクニック。
こんな彼がブラジル最強の男と言われるのは当然だった
のかもしれませんね。
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ロナウドの嫁はどんな人?
結婚は1999年にモデルでサッカー選手だったミレーネ・ドミンゲス
と結婚。
翌年4月に長男ロナウドが誕生するも2003年9月に離婚されてます。
原因はちょっと分からないけど、でもその後さらに再婚。
この方おっぱいが異物感が物凄いの・・笑
さすがブラジリアン。でしょ?
2番目の奥様はダニエラ・シカレリ
もちファッションモデル。
籍は入れてないとか入れたとか・・・良くわかんない・・・
3番目の嫁
ビア・アンソニーさんとは2005年に結婚。でもまたしても
2012年にロナウド36歳の時離婚。
彼女との間には娘が2人授かったもよう・・・
その後も数々の浮世を流してるらしいロナウド
だけど、みんなモデルが多いかも・・・
まぁ英雄色を好むとは良く言ったもの。
これも甲斐性だもん。麻薬やるより全然いいよね。笑
もうちょい年とらないと落ち着かなそう・・・
おわりに
それにしてもブラジル最強の男と呼ばれたロナウドの全盛期は本当にヤバいです。これがスラム外仕込みのスーパープレイと言わんばかりの、圧巻のプレーの数々、当時の逸話、スカウトが利き足が分からなかった~が納得のプレーです。彼の現役生活は終わってしまいましたが、将来は監督として又チームを引っ張る時が必ず来るはずです。その時の彼を楽しみに~待ちましょう。
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