女性ボートレーサーの第一人者であり生涯獲得賞金
10億超えの日高逸子。
華麗なモンキーターンでも知られる日高逸子が
昨年は度重なるフライイングが原因で大幅な
降格となった彼女にとって今年は勝負の年と
なりそうです。
賞金女王として長く君臨した日高逸子は選
手としてはもちろん、その激動の逆転人生でも
知られており若い頃から夫が主夫として手厚い
サポートをし支えてきたと言われています。
日高逸子のボートレーサーまでの生い立ちから、
生涯獲得賞金10万円超えの凄い経歴をお伝えします。
日高逸子プロフィール
氏名:日高逸子(ひだかいつこ)
生年月日:1961年10月7日(59歳)21年2月時点
出身地:宮崎県都城市
身長・体重:155㎝・46kg
血液型:A型
職業:競艇選手(本拠は福岡競艇場)
配偶者:日高邦博(1996~)
デビュー日:1985年5月
学歴:宮崎県立福島高等学校
書籍:「私は、迷わない。」
成績:通算2354勝。通算優勝75回
日高逸子の生い立ち~壮絶幼少期
女子最高の生涯獲得賞金10億円を誇る現役
レジェンドと呼び名の高い女性競艇選手の
日高逸子さん。
ボートレース界の「グレートマザー」の彼女も
59歳、昨年前期の大幅な降格によりそろそろ
引退かとささやかれましたが現役続行を決めており
再起をはかります。
そんな彼女の生い立ちを追ってみましょう。
日高逸子さんは中学教師の父と保育士の母の
長女として、宮崎県都城市で生まれます。
4歳の時、父がバイク事故に遭った後遺症で酒に
浸るようになり暴力を振るいはじめます。
そのため母親が家出し、日高さんは2歳上の兄と
共に祖父母のもとに身を寄せ養育されました。
祖母は兄には優しいのに日高さんには厳しく、
家事や稲刈りなどをさせられ、苦しい家計を
支えるため兄と早朝から新聞配達までこなし
とてもつらい幼少期だったそうです。
父の暴力を恐れ、母がいなくなる不安を味わい、
貧乏とよその家で生活するという気まずさまで
一気に彼女に降りかかったのですが、それこそ
「私の負けず嫌いの原点」と振り返っています。
苦しい時にも、そこからの脱却を試み、誰にも
負けないという不屈の精神がやがて彼女の
アスリート人生を作ることとなります。
日高逸子が若い頃にボートレーサーを目指した訳
日高逸子さんが若い頃ボートレーサーを目指した
訳は、テレビのCMのボートレーサー募集を見て、
年収1000万円というキャッチコピーに強く心を
動かされたことといいます。
高校時代は獣医になりたかったそうですが、
そのためにはお金がかかるので断念し卒業後は
信用金庫に勤めるもすぐやめてしまい、上京後も
転々としていた矢先のことでした。
幼少時からお金に苦労してきたこともあり、
ボートレーサーになればお金になると思い
立ったのでしょうね。
日高さんは早速試験をうけ、見事合格を果たします。
ですがその後、1年間の本栖湖(山梨県)での
訓練は壮絶でやめたいと思ったほどだったそうです。
「教官に『やめます』と言ったが、その教官が同郷の人で『負けるな』と励ましてくれ奮起した。」
(ヤフーニュース:引用)
そして大変な練習を重ね、最下位の成績も次第に
上位クラスへと上がりついに1985年にデビューし
快進撃を果たします。
日高逸子の夫が主婦で子供は?
現役最年長で輝かしい経歴を持つ彼女を支えた
陰の立役者の一人に、彼女の夫があげられます。
彼女の夫である邦博さんは主夫兼マネージャー
として彼女に協力を惜しまず献身的なサポートを
続けています。
邦博さんは妻である逸子さんに代わり、16年間も
子供のお弁当を作ったり、日高さんの栄養管理の
ために調理をしたりとこまめな様子が見えています。
夫は専門学校の時の同級生で、その時、交際を
求められましたが日高さんが断ったといいます。
その後も何度も彼から交際を申し込まれますが
時は流れ、平成8年にようやく結婚、大学生の娘
2人もおり家族としてまた彼女を支えています。
日高さんが家を空けることも多い中、家事や娘の
教育などを邦博さんがこなし、彼女が練習で故障し
引退を考えた時に
「次女が『やめないで』と言ったので思いとどまった。」
と話すなど36年の競技生活の中には家族の姿が
常にあったことがわかります。
日高逸子の生涯獲得賞金10億超えが凄い
日高逸子さんは1985年にデビュー以来これまで
通算2354勝、通算優勝75回、女子賞金女王など
数々の金字塔を立ててきたスーパーレジェンドです。
1989年と2005年に女子王座決定戦(現レディ―スチャンピオン)
2014年にクイーンズクライマックス制覇と長年
彼女の名が途切れることはなく、生涯獲得賞金
累計10億円超えの凄い経歴があることで有名です。
女子最高額ときいて、
「せっかく一位になれたのなら、抜かれないようにしよう。」
と誓ったそうです。
ですが現在彼女は前期(昨年5~10月)に期間中
3度のフライングを切り、最高ランクA1級から最低の
B2級へ陥落しています。
フライング2回目以降の計150日間にも及ぶ
出場停止の間は無収入で、復帰も至難の技の
まさにどん底の位置にあります。
とは言え50代後半で既に60歳を目前にした女性
レーサーの中でもフライイングでの降格を受けた
と言う事は彼女自身が如何にレーサーとして
攻めの姿勢を持ち続けているか、とも捉えられます。
幾つになろうが攻めの姿勢があるからこその
フライイングが日高逸子らしさを物語っており
流石とも思えます。
2月17日に復帰戦が待っていますが彼女の、はい上がりの
人生の再現がまた見られるのではと大きな期待が
かかっています。
「生涯獲得賞金もいつ抜かれるかわからない。女子最年長記録の61歳も破りたい。」
(ヤフーニュース:引用)
と話し彼女は既に未来を見据えています。
負けない、逆転に次ぐ逆転を約束する彼女は
まだまだ強くなりそうな気がします。
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おわりに
引退説も出て崖っぷちにありながら生涯現役を貫く競艇界のレジェンド日高逸子さんの生い立ちは、父母から離れ貧しいながらも負けずに生きる壮絶なものでしたが、彼女の逆転人生形成になくてはならないものだったといえるでしょう。
生涯獲得賞金10億円に甘んじることなく、まだまだ1位で突っ走りたいという日高さんの心意気には脱帽ですね。主夫である夫や優しい娘のバックアップもあり彼女の人生は劇的な展開を見せてきました。復帰戦でどんな姿をみせてくれるのか日本中が注目しています。
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