高須克弥の生い立ち~医師一家の美容整形外科への道は祖母の力添え

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高須克弥アイキャッチ

高須クリニック院長として、また、文化人として
独自の地位を築いている高須克弥さん。

最近ではツイッターでの発信でも存在感を世間に
示しプライベートのパートナーには西原恵理子さん
との交際もされ話題の高須克弥氏。

今回はそんな高須克弥氏のルーツをたどるべく
生い立ちについて追ってみようと思います。

実は祖母の存在が大きく影響していると言われる
その生い立ちから、美容整形外科医へ転身し
大成功するまでの道のりを追ってみました。

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高須克弥の生い立ち~医師一家に生まれて

高須克弥さんは太平洋戦争中の1945年1月、米軍機が
空を飛び交う極寒の防空壕の中で誕生しました。

地元は愛知県愛西市に誕生されています。

本家本元が愛知県にあるのはその為ですね。

高須家に100年ぶりに生まれた男の子だったそうで
祖母である高須いまさんが、凍死の危機にある克弥さんを
必死に介抱し一命をとりとめました。

戦後、周囲が貧しさに苦しんでいた中、江戸時代から
続く医師業を営んできた高須家は裕福だったので
高須克弥さんはおぼっちゃまとして何不自由なく
育てられていました。

その幼少期には、母親は産婦人科医で仕事が忙しく
ほとんどを祖母と過ごしていました。

でも高須克弥氏を天塩にかけて育てた祖母も
小児科医という、華麗過ぎる医師一家で女性で
あれど医師としてバリバリ当時から働く姿を見て
高須氏は戦後の混沌とする時代を、恐らくは相当
裕福な医師一家として育ったのでしょう。

ちなみに、実の父親はわずか41歳という若さで他界
されています。

死因は明らかにされていませんが、もしかしたら当時では
治療困難なガンだったのかもしれませんね。

幼少期の高須氏は色白でぽっちゃりしていたため、白豚と
呼ばれ、かなり壮絶ないじめを受けていたそうです。

しかし、高須克弥さんはいじめられても言い返す
強さを持っていました。

とは言えイジメの内容は結構壮絶で、石を投げられたり
所持品を隠されたり・・・

戦後直前の本当に物がなかった時代に、明らかにお金が
あり周囲の同級生とは比較にならないレベルの所持品や
持物を持っている高須氏は格好のイジメの対象になった
のは仕方がないのかもしれません。

誰もが貧しく物も無く、食べる事にも事かいた時代です。

幼いながらに、自我が出てくる子供なりに、自分との
暮らしぶりや身振りの違いに羨望の眼差しを超えてひがみ
根性でイジメに走るのも無理が無いのかもしれません・・・

それでも、この頃の経験が、何事にもポジティブで思ったことを
ストレートに口にする、現在の性格の元となっているのかも
しれません。

当時は漫画家になりたかった高須克弥さんですが、祖母の
猛反対にあい、一族の生業である医師を目指すため地元では
有数の進学校として知られる東海高校を卒業して大学は
昭和大学医学部に入学します。

大学では骨などの機能障害を治療する整形外科を
専攻していました。

高須克弥の美容整形外科への転身

昭和大学医学部を卒業した後は大学院に進み
ドイツやイタリアの大学に研修留学するなどして
知識と技術を高めました。

そして大学の同級生で席が隣であったシヅさんと
1974年に第一号となる高須病院を地元名古屋に開設。

二人三脚で歩んで行きます。

ちなみにこの亡くなられた奥様シズさんも実家は
三河で医師を経営する娘で自身も高須克弥氏の母親と
同じく産婦人科医に進まれたそうです。

高須病院では、ケガ治療の整形外科医として
ヨーロッパで学んだ最先端医療を積極的に施しました。

ところが、長く入院しないと保険が出ない患者からは
短期間で治療できてしまうことがあまり喜ばれず
病院としての収益も減ってしまいました。

そこで、ドイツ留学時に目にし、衝撃を受けたという
美容外科に着目します。

当時日本ではほとんど美容業界が発達しておらず、今
始めればトップに立てると確信した高須克弥さんは
美容整形専門の高須クリニックを新たに開設しました。

元々の顔にメスを入れるという美容整形は、日本では
まだ偏見だらけでしたが、高須克弥さんは巧妙な
マーケティング手腕を発揮し、またたく間に日本中へ
普及することとなりました。

現在ではご存知の通り、年商60億の押しも押されもせぬ
美容業界トップ地位を確立しました。

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高須克弥の後ろ盾祖母が自ら実験台に!

高須克弥さんがここまで上りつめることができたのは
祖母・いまさんの後ろ盾があったからでもあります。

生まれてすぐに命を助けられたことや、母の代わりに
なって育て上げてもらったことで大きな影響を受けた
そうです。

「おまえは特別な子だ」

と祖母に言われて育った高須克弥さんは、その言葉で
自信を持ったといいます。

将来の道を決める時も、高須克弥さんの才能に
気付いていた祖母は医者になることを強く勧めます。

その後、整形外科から美容外科へ転身する際は、身内から
大反対にあっていた高須克弥さんの味方になってくれました。

この後押しがなければ今の高須クリニックは
存在しなかったかもしれません。

美容整形
高須克弥さん自身が全身整形の実験台になり、若返り術を
行ったことは有名ですが、実は祖母もその実験台になっていた
そうです。

高須クリニックの第一号が名古屋に開設した当時はまだ
美容整形が世間に全然浸透してなかった時代です。

この時祖母は率先して自分の顔を差し出し、若返り
初め様々な美容整形にトライして、幅広い人脈を行使
して自らが美しくなり宣伝して、名古屋の地元のマダムに
宣伝してくれたそうです。

その口コミ効果が凄かったとか・・・

どれ程心強い後ろ盾になったか高須氏を本当に可愛がって
いた祖母は陰に日向に孫の克弥氏を支えてくれた存在
なのですね。

高須氏自身もTwitterで

「妻も母も祖母も僕が整形したよ」

と明かしています。

愛する孫の決めた道を全力で応援する祖母の強い
覚悟が伝わってくるエピソードですね。

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おわりに

今や美容整形の医師の領域を出て発信力のある人物としてツイッターでもいつも話題の高須克弥さん。彼の生き方に大きな影響を与えた祖母の存在や医師一家の生い立ちに、美容整形外科への転身を早くに決断するなど当時から先見の明があったことがよくわかりました。
昨年は癌の告白をされたりもしましたが、まだまだお元気でいつまでも世間をあっと言わせる存在であって欲しいです。


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