
演技派俳優としては群を抜いた存在感の香川照之さんが21年連れ添った夫人と離婚発表されました。
母親に女優、父親に歌舞伎俳優と言う役者一家に育った彼の家庭環境と、生い立ちは壮絶な過去があると言います。
長年の親子の確執を乗り越え、それでも息子と共に歌舞伎の世界に足を踏み入れた彼の想いとは一体何処にあるのか~を追ってみましょう。
香川照之プロフィール
香川照之(かがわ てるゆき)
生年月日 1965年12月7日(56歳)22年9月時点
出身地 東京都
身長 171㎝
血液型 AB型
最終学歴 東京大学文学部社会心理学科卒
父:二代目市川猿翁
母:浜木綿子
香川照之の生い立ち~母と父
実の父親に歌舞伎役者の二代目市川猿翁、母親に元宝塚の雪組出身の浜木綿子との間に誕生した一人息子として生を受ける。
出典:http://www.asahi.com/articles/DA3S12365860.html
だが夫婦関係は父親の愛人藤間紫との関係が切れなかった事が原因で、僅か彼が1歳で自宅を出て夫婦は
香川が3歳で両親は離婚。
その後は母の浜木の元で母子家庭として育つ。
出典:http://bokete.jp/boke/5006372
勉強は大層デキが良かったようで小学校より暁星学園に入学中高一貫を経て、その後ストレートで東京大学に合格し1988年
に卒業しています。
注目したいのが両親の離婚はともかく相当二方が揉めたのか、この両親の離婚時の彼が当時3歳の頃から25歳で俳優を目指し思い立って父親の公演を見に行くまでの22年間この親子の交流は一切なかったと言ます。
香川照之父親に否定された確執
両親の間にどれほど深刻な溝があったのかは今となっては分かりませんが、それでも一人息子。
23年間も親子が顔を合わせないこの不自然さと何よりも俳優デビューして父親に自ら会いに行ったという息子照之本人に父の市川猿翁が言い放った言葉が残酷過ぎました。
出典:http://www.pt-hamamoto.biz/index.php?1193
まずは、公演前に楽屋を覗いた彼にこう一喝、
「大事な公演の前にいきなり訪ねてくるなんて役者としての配慮が足りません
そして立て続けにこう突き付けたと言う。
「すなわち、私は家庭と訣別した瞬間から蘇生したのです。だから今の僕とあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって僕はあなたの父でもない。」
「あなたとは今後、二度と会う事はありません。」
この残酷な言葉を言い放たれた当時の香川照之は一体どう反応したのでしょう…
あまりにも残酷無碍なこの言いように他人事ながら驚愕状態してしまいます。
冷たすぎます。泣いて礼を言ってもいいだろうと思えるこの23年ぶりの息子の到来にこのドライすぎる対応。
悲し過ぎます。
この冷たすぎる対応が、23年ぶりに対面した親子の確執になった事は言うまでもありません。普通はそうなるのではないでしょうか。
香川照之それでも歌舞伎の世界へ息子共々
それでも又会う事になった理由とは?
通常なら二度と会いたくないと思うのはいたって普通の感情ではないでしょうか。
だが彼は違いました。
既に俳優として十二分に知名度もあった彼が何故歌舞伎の世界にこだわったのか?
それはやっぱり自身の息子で長男・五代目市川團子が誕生した事で変わったそうです。
自分が継ぐことができなかった、「猿之助」の名跡を継がせたい。
出典:http://n-jinny.com/3736.html
彼曰く政明(息子)がいるのに、140年にわたって続いた一族を自分が継がなくていいものかと思った。
『その船に、乗らないわけにいかなかった。』
この決断を独断で行って当時パーキンソン病も、発症していた父親との同居も妻への相談なく独断決定した香川にこの度、離婚を発表された妻は辟易としていたと言います・・・・
物凄い執念が香川照之を歌舞伎の世界へと導いたようです。常人には理解しがたい思考回路ですが…
おわりに
香川照之の両親の離婚の原因に父の2度目の妻となった藤間紫との愛人関係が切れなかった事が夫婦間の離婚理由と言われている。実に身勝手な父を許しても自らの息子を針のむしろへと立たせるべきだと思った香川照之のこの決断が英断となるが愚業となるかますます、とはいえ我が身と生後間もない我が子を捨てて、愛人(藤間紫)の元へと走って振り向きもしなかった元夫猿之助と現在歌舞伎界への伝承を~の想いからとは言え元夫を引き取った我が息子を母浜木綿子さんの立場からすると複雑な想いでしかないと思えて仕方ありません。常人とは違う思考回路と芸の道を邁進する香川照之から目が離せませんね。
今思うと病気の父親を利用してたのではと思う