ハーフモデルからるろ剣など女優への華麗なる転身で
活躍の場を広げる高橋メアリージュン。
彼女の幼少期は、父親の会社倒産により貧困生活に
苦しんだようです。
それでも周りに支えられ芸能界デビューを果たし
母譲りのポジティブ志向で借金返済や病気すらも
乗り越えて来たと言われています。
彼女のルーツや生い立ちを改めて追ってみようと
思います。
高橋メアリージュンの生い立ち~国籍とルーツ
高橋メアリージュンは日本人の父親と、スペイン系
フィリピン人の母の元、1987年に京都府で出生。
滋賀県大津市で育ちました。
プロフィールには滋賀県出身としているようです。
また『PINKY』などでモデルを務めている高橋ユウが
妹で、姉妹揃って『CanCam』の誌面に登場したことも
あります。
2012年から2017年まで京都サンガFCで、2018年からは
サガン鳥栖でプロサッカー選手として活躍する高橋佑治が
実弟の一人であり、もう一人一般人の弟が居る、4人の
兄弟姉妹のようです。
改めて調べると結構凄い兄妹ですね。
高橋メアリージュンの父親の会社倒産で奈落の底に
メアリージュンが中学1年生の頃、父親の会社が
倒産し一家は貧困生活を余儀なくされたといいます。
あるテレビ番組で、その貧乏生活を語る場面では
普段の食事は焼肉のタレをかけただけのご飯や
クリスマスでも玉子を乗せただけのインスタント
ラーメンだったと語っています。
その時の母親は、
「モデルになったら体型維持しなきゃいけない。お肉を我慢する練習をしましょう!」
とポジティブな言葉を姉妹にかけていたといいます。
またその時の母親について、姉妹からは
「とにかく前向き」
「ずっと笑ってるし、楽しい事を見つけるのが得意」
「貧しさを感じさせないように、すごい努力をしてくれてました」
とも語っています。
メアリージュンが15歳の時に芸能事務所の
オーディションを受けるため、実家の滋賀から
400㎞以上離れた湘南のオーディション会場まで
いとこから借りた車に乗り、お金のかからない
一般道を通り8時間かけて会場に向かったそうです。
「会場に連れて行ってくれるからには絶対に受かろう!」
と、決意したと語っていました。
結果、オーディションで見事グランプリに
輝き、芸能界デビューしました。
芸能界デビュー後も、借金を返すためにお小遣い
制を維持して返済に努めているとも語っています。
高橋メアリージュンの数々の病気乗り越えて
デビュー後も会社からもらった給料は「高橋家」
に一度入れてから、そこから両親がメアリージュン達に
生活費として振り込む。
そんな生活が15年ほど続いていると言います。
しかしメアリージュンが自身の著書
『Difficult? Yes. Impossible? …NO. わたしの
『不幸』がひとつ欠けたとして』で語っている言葉があります。
『30歳にもなって収入を家族に渡すことで、人より「できないこと」は多いのだろうと思います。それは変なのかもしれません。収入の面で言えば、わたしは人よりも選択肢が少ない。でもそのおかげで自分がやりたいこと―演じるということにたくさんの 時間を注ぐことができる。家族の愛おしさを感じさせてくれる瞬間を得ることができる。出かけられなかったパーティーのぶん、レッスンをして想像力を掻き立てて、 たくさんのことにトライをしてよりよい演技を目指す。一番大事な人たちに対して、まっすぐに向き合うことができるのです』
『似たような感覚を持つことってあるんじゃないでしょうか。他の人は持ってい るのに自分は持っていない。そこにストレスや劣等感を感じること。もちろんそれはつらいことなんだろうけど、だからって「不幸」なわけではな いと思います。自分が大事にしたい何かのために、持たないことを納得できるか。選択できるか。ただそれだけのことで、むしろ得るものがあるはずです。』
母親譲りのポジティブ志向から言わせる
言葉なのでしょうね。
しかし女優としても活躍の場を広げていた
2016年、事態が急転しました。
突如感じた下腹部の違和感から、病院で
受けた検査結果を聞けば
「高橋さん、検査の結果、がんが見つかりました」
と告げられることになりました。
これまでもメアリージュンは胃潰瘍性大腸炎・顔面神経麻痺
などの難病を経験して来た彼女ですが、また新たな病魔が
襲い掛かりました。
その後の検査で子宮頸がんを克服したと医師から
告げられますが、さまざまな経験を経てから
想ったことなどを自著本に綴ったとの事です。
おわりに
幼少期の貧困環境などから必死にのし上がり、見事成功しつつも病気に見舞われるなど、不運が続いてもポジティブに前を向き続ける姿は、外見だけでなく内面もとても綺麗な方だなと思います。これからも健康に気をつけて美麗なお姿を見せて頂きたいですね!
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