生田悦子の生い立ち~毒母で育児放棄の奔放な母親に振り回されて

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生田悦子アイキャッチ

若い頃から美しかった女優の生田悦子さんが
今年7月15日に、虚血性心不全で急逝されました。

名女優生田悦子さんのその生い立ちから芸能界
デビューの経緯には両親の育児放棄と身売りされた
という壮絶な過去がありました。

若く美しかった彼女の母親は今も昔もいただろう
奔放な女性だったようなのです。

それでも母と同じお墓に入りたいと最後まで夫に語り
頼んだという生田悦子さんの儚くもいじらしい生い立ちと
最後までを追ってみようと思います。

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生田悦子の生い立ち~両親に捨てられて

 

生田悦子は1947年に福岡県に生まれで
筑紫女各園高等学校出身です。

母親は18歳の頃に生田を身ごもったといいます。

父親は福岡で歯科医を開業するも大酒のみで、母親は三姉妹の
末っ子として『博多にわか』の大御所・生田徳兵衛の娘として
裕福な家庭で育った女性だったという。

そして三姉妹の中でも後に上の二人を病気で亡くした事から
祖父はこの生田悦子の母親を溺愛して育てたという。

そうした環境から生田悦子の母親には『我慢する』と言う単語
が彼女の中になく、しょっちゅう夫婦喧嘩をしていたんだそうです。

溺愛のあまりどんな我がままでも聞く周囲の大人の環境と
若い頃の生田悦子と並んだその姿を見れば、あれほど納得の
美貌を誇る若き日の生田悦子も霞む程の美貌の人でもあった。

娘の生田悦子曰く母は『これが欲しい』と言ったら
絶対に手に入れないとダメな人間に育ったの・・・

こう生田悦子が回想するほど彼女の母親は若く美しく、そして
我がままな女だった・・・

生田悦子さんがその頃の話を語った話があります。

「うちの父はめちゃくちゃ大酒飲みで、しょっちゅう夫婦ゲンカをしていた。それで母は夜にタクシーを呼んで、私を連れて逃げるわけ。だけど私だけ途中の公園に置いていかれるわけよ。“忘れ物したから取りに戻る”って。3歳か4歳よ。当時なんて街灯もないから真っ暗な中で、待てど暮らせど戻ってこない。そうすると遠くから“悦子!”って、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんの声がするのよ。“ここです!”って必死で叫んだわ」

そんなことが何十回もあったと語ります。

 
結局両親は生田さんが9歳の頃に離婚したそうですが
今でもあるシーンを鮮明に思い出すそうです。

「重厚な建物の中で、私がひとり長イスに座っているの。そうしたら、黒いスーツを着た知的な女性がコツコツと歩いてきて、私の前に跪いてこう話すのよ。“悦子さん、こんなに可愛いのに、なんでお父さんもお母さんもいらないって言うんだろう”って抱きしめてくれた。彼女は裁判官だけど、それだけはずっと忘れられない。ふたりとも生活難じゃないのよ。だけど、私のことはいらないって……

両親から引き取り拒否された生田は、母方の
祖父母の許で育つことになります。

 
しかしそれは孫へ愛情を持っていたからでは
ないようで、祖父は生田さんの母親を好きだったから
生田さんを引き取って育てただけだといいます。

「膝の上で抱かれたことは1度もない」

「二人の前で泣き言を言ったら、次はどこに行かされるのか?」

「公園で捨てられ、裁判所で捨てられ、そういう恐怖心をずっと持っていた」

 
と、本人が語っています。

 
その後、生田さんが中学生の頃に母親が博多に
戻ってきて夜のお店を経営していたため、週末だけ
母親のアパートに泊まることが許されたといいます。

生田悦子は毒母に売られて芸能界へ~

 

しかし、高校1年の時、突然母から

「青山学院に入れてあげるから、今から東京に行きなさい」
 

と、いきなり夜汽車に乗せられたそうです。

お金もなくボストンバッグに着替え1組だけだったとか。

見送りに来た母親は汽車が走り出す前に彼氏と
手をつないで行ってしまったのだとか。

東京駅に着くと、知らない男女が生田さん
を待っていたそうです。

銀座クラブの経営者で生田さんをそこで
働かせようとしていたのだとか。

 
つまり母親に騙され、売られたというわけです。
当時たったの16歳だった娘生田悦子をです・・・汗

 
そこで生田さんが頼ったのが1枚の名刺だったそうです。

中学生の時、モデルコンテストに出場し、
”もし東京に出ることがあったら連絡して”
テレビ局のプロデューサーから渡されていたものだとか。

そちらに電話すると”すぐ来なさい”と、
助けてくれたそうです。

 
その縁からモデル事務所に所属し、1963年に『準ミス平凡』
に選ばれ、モデルとして芸能界入り、1966年に松竹へ
入社して11月に映画『命果てる日まで』で女優デビューを
飾り、以降はテレビドラマや映画で活躍をつづけました。

 
また独身時代のアントニオ猪木と
交際していたなどの話も聞きますね。

 
そして2005年の57歳で、実業家の
村田陽一さんと結婚されました。

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生田悦子のそれでも母親と同じお墓に

 

生田さんが22歳の時に、スキャンダルに襲われます。

「母が妻子ある男性と心中未遂を起こしたの。連日ワイドショーや週刊誌で大騒ぎ。私が何かしたわけじゃないのに、決まっていた映画やCM、レコードなど、仕事はすべてキャンセル。1年間は復帰できなかった。人気絶頂のときに母に足を引っ張られたの」

この時の母親のスキャンダルで1年間復帰できなかった
そうです・・・

「モデルで稼げるようになった18歳から、母が亡くなる48歳まで、毎月仕送りを続けたわ。時には100万円単位で要求されたことも。それでも断れなかった。母を憎めたら、どんなに楽だったか……。でも、それができないのよ。もし、私が亡くなったときは、福岡にある母の眠るお墓に一緒に入りたい。それは夫にも約束してもらってるわ」

そんな自由奔放で美しく最後まで女だった生田悦子の
母親は48歳で亡くなったそうです・・・

どんなに振り回され、足を引っ張られても、母親を
見捨てることが出来ないと語る生田悦子さんでした。

 
2018年7月15日、虚血性心不全により急逝なさいました。

美しく、強く輝く名女優は静かに眠りにつきましたが
きっとあちらではお母さんと語り合っているのでしょうね。

腐っても母親・・・美しく我がままな母親に生涯
振り回されても愛して止まなかった生田悦子さんの
母親を想う愛は格別な唯一無二の存在だったのでしょう~

天国で今度こそは娘の想いに答えてあげてくれるはず~
そう思いたいですね。

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おわりに

親に捨てられても親は憎めないという優しい温かな心をお持ちの方だったのですね。今頃お母さんと何を話されているのでしょうか…。生田さんの出演した作品の数々はずっと残されていますので、若い世代の方々にもこれから触れる機会がきっとあるはず。今はただただ、ご冥福お祈り申し上げます。

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