佐藤浩市の生い立ち~三國連太郎の母子にした仕打ちと生き様が壮絶

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佐藤浩市アイキャッチ

少し前に息子の菅一郎さんも俳優としてデビュー
された佐藤浩市さん。

ドラマや映画、CMと幅広く出演しどんな世代からも
愛されている日本を代表する二枚目実力派俳優である
佐藤浩市。

その父は釣りバカ日誌のスーさんでお馴染み
昭和の歴史的俳優の三國連太郎だったことは
かなり有名です。

当時に有名俳優を父に持った事で壮絶な
生い立ちや過去がある事も知られた事実です。

親子で同じ道を進みながら何故あれ程の確執が
生まれてしまったのか、佐藤浩市のその壮絶な
生い立ちを追ってみようと思います。

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佐藤浩市の生い立ち~三國連太郎の母子を捨てて

佐藤浩市といえば、映画「青春の門」「美味しんぼ」
「HERO」最近では「64(ロクヨン)」等挙げるとキリが
ないですが、これまでに名だたる映画やドラマに出演。

素晴らしい演技で観る人たちをグイグイと惹き寄せる
その魅力は、父であり同じく演技派俳優として有名
すぎる三國連太郎の影響もあるかもしれません。

佐藤浩市が、役者佐藤浩市になるまでの
生い立ちを見てみましょう。

父、三國連太郎は1957年に結婚し、1960年に
佐藤浩市が産まれます。

子供
三國連太郎にとってはこの結婚は3度目の結婚でした。

幸せは長く続かず、僅か2年後の1962年に三國連太郎は
佐藤浩市とその母親家族を捨てて蒸発してしまうのです。

母とふたり取り残されますが、母はスナックで
働き一心に佐藤浩市を育てます。

しかも佐藤浩市が中学生の頃、母も親子2人の生活が
耐えられなかったのか彼氏を自分の家に住まわせます。

思春期だった佐藤浩市としては、この事実は
受け入れられなかったのかもしれません。

高校2年の時に、父同様に家を出ます。

以降30年にわたり母とも関係は断絶されます。

俳優にはならないー―。

と心に決めていましたが、父のマネージャーに
紹介されたNHKドラマ「続・続 事件 月の景色」
オーディションを受けた際、見事合格してしまったのです。

さらにいきなり主演に抜擢されます。

佐藤浩市の父三國連太郎の女性遍歴の壮絶さ

父三國連太郎の女性遍歴といえばまず名が
挙がるのは自身と同じく芝居に命をかけていた
太地喜和子でしょう。
大地喜和子
太地喜和子が19歳の時、39歳で既に妻子持ちの
三國連太郎と出会い、大恋愛に発展します。

この妻子は佐藤浩市とその母なのです。

かなりの年の差でありながら、まだ離婚も
していないのに、彼女の実家に結婚の許しを
得るために挨拶に行くほど溺愛していたようです。

ふたりは同棲を開始しますがわずか3ヶ月
三國連太郎から別れを告げることになりました。

10年後に行われた対談では、なぜ別れたか
真相が明らかになりました。

三國連太郎は、太地喜和子の肉体に溺れていく
自分が怖くなり、逃げ出したのだと答えています。

それほどまでに太地喜和子は魅力的だったのでしょう。

「今まで、惹かれた女優さんは一人だけです」
太地喜和子の名を挙げていました。

釣りバカ日誌でヒロイン役だった
石田えりとも噂があります。

愛人を強要したとのこと。

しかし石田えりはあっけらかんと
それを無視し、結果的に三國連太郎の権力で
映画を降板させられたと言われています。

三國連太郎は短小コンプレックスを持っており
それが逆に女性遍歴のエネルギーになっていた
ともいいます。

色々なエネルギーの持ち方があるものです・・・

真偽のほどは定かではないですが、本人は
気にし過ぎな程に相当悩んでいて
インタビューでも語っています。

それでも十分に相手を満足させられることを
証明する為に、様々な女性を口説いたと言われています。

最後の妻である友子さんとは1976年に結婚します。

共通の友人だった写真家の故・ケン影岡さん宅で
知り合ったのがきっかけ。

友子さんの両親は結婚を大反対しましたが
何とか結婚に至ったようです。

嫁
※画面左が友子さん

三國連太郎が糖尿病で入院した時には、友子さんは
毎日のように看病に来ていたそうです。

三國連太郎は「まるで天使のように見えた」
と語っています。

明るく笑顔のたえない友子さんと暮らしていくうちに
三國連太郎自身の性格も変わっていきました。

妻と連れ立って人前に出ることを極端に
嫌っていたのも、友子さんだけは許せたようです。

晩年の三國連太郎は「友子のために長生きしなくては」
と、友子さんとの生活を大事にしていたようです。

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佐藤浩市役者をやる決意と三國連太郎の返答が闇

佐藤浩市は役者になると決めた時、父の
三國連太郎に報告しています。

早稲田駅のホームで決意を伝えると、三國連太郎は
「そうか」とただ一言だけ残して去ったそうです。

三國連太郎は当時のことを
「おやりになるなら、親子の縁を切りましょうと言いました。俳優という仕事に関して何かの支えになる自信がなかったのです」

と語っています。

一般人である私達から聞いたら無茶苦茶素っ気なく
ドライな返答にしか見えませんが・・・

三國連太郎
以降1996年上映の映画「美味しんぼ」で親子共演を
果たしますが、製作会見で「俳優はサービス業」
と言った佐藤浩市に対し

「サービス業などという考え方は間違っている」
と三國連太郎が批判する場面が。

やはり確執は深いと世間に思わせます。

三國連太郎は、息子との共演について、

「1本、息子とやったんですけど、やりにくかったからそれ以来、やったことがない。やりにくいというよりね、親子という以心伝心みたいなものがどっかに潜んでいるんじゃないでしょうか。言えた義理、立場じゃないんですけど、もう、断絶するほうがいいんじゃないかと思うんです」

と役者馬鹿とも言える発言を残しています。

佐藤浩市から見た三國連太郎という男

三國連太郎が亡くなってから、佐藤浩市は
父のことを語りました。

「本当に役者として生きたんだなと思いました。孤高さを守り、芝居にかかわってきた。おやじの顔を見た時、そのことを感じました」

父親
「誰にとっても父親というのは越えなければならない山だけど、自分の場合はひときわ大きな山で、そのことで苦労した。とはいえ、彼の映画には知らず知らずのうちに影響を受けています」

父親としてはひどいと口にしながらも
役者としての三國連太郎を尊敬していたのですね。

「世間は僕と三国の間に確執があったなどと言いますが、そうではない。僕らはお互いのことを大切に思っていて、親子であることを安売りしたくなかっただけです。今となっては、もっと共演しておけばよかったとも思います。」

佐藤浩市にとって三國連太郎は、最も
尊敬する俳優だったのでしょう。

かなり特殊ではありますが・・・

それこそ遺伝子レベルで役者と言う特殊な世界に身を
置く者同士にしか分からない親子の想いがあった事は
確かなようですね。

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おわりに

家族である事を捨て名俳優としてそれぞれの道を歩んできたふたりは、世間的にはありえない関係でしょうし、びっくりするような内容の話ですが、共に役者に徹する姿は、とても素敵だと感じました。今度はある意味間違いなく反面教師になったであろう佐藤浩市が自身の息子佐藤菅一郎さんとどう役者として親子として交わっていくのか佐藤家の役者としての活躍にも目がはなせませんね。

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