マリリンモンロー生い立ち~母親の精神病たらい回しにされた幼少期

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マリリンモンローアイキャッチ

1950年代を代表するハリウッド女優であり
世界的にもセックスシンボルとして今も語られる
マリリンモンロー。

プライベートで故ケネディ大統領兄弟との交際
など華やかでスキャンダラスなイメージのまま
その死因にも未だに様々な疑惑が残っているようです。

そんなマリリンの華やかな表舞台からは想像できない
知られざる生い立ちには精神病の母親から逃れた先に
待ち受けていたのは、幸せではありませんでした。

愛される事を求め続けたマリリン・モンローの生い立ち
を追ってみようとお思います。

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マリリンモンローの生い立ち~母の狂人化

マリリン・モンロー、当時の本名ノーマ・ジーン
ベイカーは1926年6月1日にカリフォルニア州
ロサンゼルスに生を受けます。

出生時の名前はノーマ・ジーン・モーテンソン。

“モーテンソン”は、母親のグラディス・モンローの
当時の結婚相手で、2番目の夫であるエドワード
モーテンソンの姓。

ふたりは正式に離婚はしていないものの、この時
既に別れており、『ノーマ・ジーン・モーテンソン』
は出生証明書に書かれた法的な名前でしかありません。

エドワード・モーテンソンとは1928年に離婚していますが
実際の父親はグラディスと同じアパートに住んでい
た事のあるスタンリー・ギフォードであるとされています。

母グラディスは、ノーマが生まれて程なくして
モーテンソンの姓からベイカーへ届出変更を
しています。

さて、この母親ですが、一度目の結婚のときに
産んだ子ども達を夫に取られ逃げられた過去が
あります。

その時から酒に溺れ、誰とでも寝るように
なったといいます。

二度目の離婚を経て、さらにはスタンリー
ギフォードにも逃げられた際には精神に
異常をきたし、とても子育てなんてできる状態
ではなかったと言われています。

見かねたグラディスの母はノーマ(マリリン)を
里子に出します。

生まれてからわずか3日のことだったそうです。

本当は両親が生きているのに一緒にいられず
置き去りにされ家族を知らないまま里子に出された。

この事は以降ずっとマリリンを苦しめることになります。

それでも、月に何度かは母親と会っていたそうです。

ノーマ・ジーン・ベイカーがマリリン・モンローに
なるまでの道のりは、とても遠く苦難の多いものでした。

マリリンモンロー里親をたらい回しみんな私を捨てるの

ノーマは最初、里親業をやっている
ボレンダー夫妻の元に預けられました。

グラディスの母デラが意味不明に発狂して
家に押しかけてきて殺されかけたり、病んで
いても我が子を育てたい!

と狂ったグラディスに誘拐されそうにもなります。

ノーマにとっては、ここが家で、グラディスは
たまに来る人という認識でした。

厳しい躾はあったものの、7年ほど安定した
暮らしを送ったそうです。

母とマリリン
幼少期のマリリンの母グラディス

ノーマが7歳の頃、当時少し精神状態が安定し落ち着いた
グラディスとグラディスの親友グレース・マッキー夫妻と
同居することになります。

マリリンはこの時を一番楽しかったと語っています。

ただ、楽しい時は長く続くことはなく、またも
グラディスの精神はおかしくなります。

不意に笑いだしたり叫んだり、はたまた、皿を
壁に投げつける等したそうです。

結局、ノーマが8歳の時にグラディスは
入院することになりました。

今度は母親の親友であるグレース・マッキーが
保護者代わりとなりノーマを育ててくれることに
なりました。

グレースの若い頃の夢は女優で、ノーマに
夢をゆだね、よく映画館に連れて行ったそうです。

ノーマが9歳の頃、グレース・マッキーと
ドック・ゴタードが結婚します。

その際に、グレースにとっても再婚であった為
「今度の再婚こそ失敗したくない」そんな想いから
ノーマとの同居に良い顔をしなかった再婚相手の
ドック・ゴダートの顔色を見て結局ノーマを手放す事
を決意します。

またも安住の地であったノーマは孤児院に
送られることになりました。

週末はグレースと過ごし、プレゼントも
たくさんもらいます。

1937年6月、11歳の頃再びグレースに引き取られ
11月には母の義妹の母アイダと暮らします。

一度も会ったことのない人と、3人のいとこたちの
中でこの頃が過去を振り返ってノーマは一番孤独を
感じたと後に語っています。

1938年12歳の頃、グレースの父の姉アナと
暮らします。

ただこのアナは心臓病で、2年後にまたも
グレースに引き取られる事に・・・

自分を「愛しているよ」と言ってくれた
里親たちも、結局自分のために生き、平気で
捨てる。

ノーマは常に不安だったといいます。

これほど幼少期からたらい回しにされれば当然の
事でしょう。

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マリリンモンローの性的虐待の危機

孤児院と里親の間を転々としている中で
彼女は性的虐待を受けます。

8歳の時、里親宅にいた下宿人が「ゲーム」
という名目で彼女に性的虐待を行いました。

この初めての経験に、ノーマは死んでしまいたい。
と思ったそうです。

その後も11歳の頃、グレースの再婚相手である夫
ドック・ゴタードにも手を出されてしまいます。

その時に引き取ってくれたのがグレースの叔母にあたる
アイダですが、そこでもいとこから性的暴行を
受けてしまいます。

立て続けに性的虐待を受けてしまった影響か
ノーマまで精神を病み、吃音症になっていまいます。

マリリンモンロー孤児院に戻りたくないから結婚

第二次世界大戦下の16歳のとき、高校を
中退し最初の結婚をします。

グレースの夫が新しい仕事を得て、ヴァージニア州へ
引っ越すこととなったのがきっかけです。

遠すぎるヴァージニア州へ引っ越すか、再び
孤児院に戻るか、どちらかを選ばなければ
なりませんでした。

だってノーマには帰る場所がなかったから・・・

学生の身であるし引っ越しは難しい、でも孤児院は
嫌だと葛藤している中、グレースが結婚したら
いいんじゃない?と助言したと言います。

結婚
別にしたくもないけど孤児院に帰るくらいなら
と結婚を選びます。

相手は、家族ぐるみで付き合っていた5歳年上の
ジェームス・ドハーティー。

15歳のノーマと、20歳のジェームスですが
お互い想い合っていたこともあり、すぐに結婚します。

この結婚を境にノーマ・ジーンとしての壮絶人生は幕を
閉じたかに思われます。

ただ結果論から言いうと波乱の幕開けだったのかも~
ですが。

この後に彼女は、あまりにも無力だったノーマジーンから
更なる波乱と悲運に満ちた階段の第一歩を世紀のセックスシンボル
マリリン・モンローとして歩きはじめる事になるのです。

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最後まで愛を求めて~パート2
マリリンモンローケネディ兄弟の愛人破局も死因は座薬の毒殺悲劇の女

おわりに

永遠のセックスシンボルといえば聞こえはいいですが、幼い頃はただ愛に飢えていた女の子でしかなかったのですね。
この出来事が後のマリリン・モンローに影響を与えているのは間違いないでしょうが、あまりにも悲しい生い立ちに思えます。


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