仁支川峰子の生い立ち~昔の映画が迫力満点!五社英雄の愛人説も

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仁支川峰子アイキャッチ

昔は歌手としてデビューしその後女優として
活躍する仁支川峰子さん。

プライベートでは火野正平の愛人であったり
年下夫との結婚や離婚など波乱に満ちた彼女の
ルーツとなる生い立ちを改めて追ってみようと
思います。

女優として開花した映画「吉原炎上」の
監督五社英雄氏との関係や噂も同時に追って
見ましょう。

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仁支川峰子プロフィール

芸名:仁支川峰子(旧名:西川峰子)
本名:福田峰子
生年月日:1958年5月23日(61歳)20年3月時点
血液型:A型
出身地:福岡県
趣味:観葉植物・料理・釣り
職業:歌手・女優
所属:ミネファンタジー

仁支川峰子デビューから現在まで

歌手としてデビューし、大ヒットを飛ばしながら
女優としても数々の代表作に出演し、その大胆な
演技とはっきりとした物言いで、女性としての
魅力も人気上昇中の仁支川峰子さん。

女優の仁支川峰子さんは意外にも1974年代表曲
「あなたにあげる」で歌手としてデビューしています。

そのデビュー曲が大ヒットとなり、FNS歌謡祭
最優秀新人賞や日本レコード大賞新人賞など数々
受賞し、以後もヒット曲を出し続け一躍人気歌手の
仲間入りをします。

NHK紅白歌合戦にも4年連続出場を果たすなど
国民的人気歌手でしたが、その後、声が思うように
でなくなったこともあり女優に転向します。

映画「陽暉楼」「吉原炎上」、テレビ時代劇
「暴れん坊将軍」など多数出演し女優としての
地位を確固たるものとしました。

2001年7歳年下の隠岐の島、在住の町議会議員の
男性と結婚しましたが、子供にも恵まれず、元夫の
浮気や金銭トラブルなどで2009年に離婚し、芸名も
それまでの西川峰子から現在の仁支川に改名します。

恋愛や生い立ちなどプライベートなことも
公の場でズバズバと言う熟女というイメージが
今や定着しています。

2010年甲状腺乳頭がん摘出手術をしたことも
話題になりました。

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仁支川峰子の生い立ち~5歳まで立てなかった極貧生活

仁支川峰子
気風の良い大人の女性というイメージが
定着している仁支川峰子さんですが、幼い頃は
たいへんな極貧生活を過ごし、まともな食事も
とれないこともあったといいます。

福岡田川郡の山奥2軒の内の一軒家で自給自足に
近い生活で野菜を作り、野草を食べるような毎日で
卵さえ貴重品だったといいます。

栄養失調で死んでしまうのでは、というひもじさの
中で体も弱く5歳まで足が立たなかったという悲惨な
子供時代を過ごしました。

歌で肺や内臓を強くしたいとういう母の思いもあり、
幼い頃から一時間くらい毎日歌っていたといいます。

実家は水道も電気もない極貧であるばかりでなく、
1歳半で産みの親に捨てられていており小6で
実の母親を知ったと言います。

実母に捨てられた事で祖父母により育てられて
その事に関しては、とても感謝していると話されて
いますが先日出演した「関ジャニ∞のジャニ勉」
自身の口からこう明かしています。

1歳半で栄養失調で死にかけた。

育ての親である祖母が博打好きで立つのを面倒
がってミルクの変わりに、まだ幼い仁支川に
塩せんべいを食べさせて栄養不足から5歳まで
歩く事も出来なかったそうです。

実の母親が小学6年生で再婚するまで姉として
育てられ、実の姉を母として育てられたそうです。

現在も産みの母親と顔を合わせる事はあるけど
「全然母親の感情が沸いてこない」と話されて
いました。

無理もありません。

とは言え、なんとも悲しい生い立ちで
あったことに違いありません。

でも、そんな中でも救いとなったのが中学で出場
し始めた「のど自慢大会」です。

数々の、のど自慢大会で受賞した彼女は高校生
になると「全日本歌謡コンテスト」に出場します。

そうした受賞が彼女の自信となり、僅か14歳で
歌手になるため東京に出ていく決意をしています。

希望と不安を胸に福岡から独り上京してきた少女は
1974年の16歳で見事歌手としてデビューとなります。

その後の活躍はみなさんの知るところとなりますが
僅か14歳で東京での一人暮らしは、どれほど不安で
心細かった事か…

でもその決断力が現在の彼女のルーツになって
いるのですね。

仁支川峰子の昔の映画が迫力満点

映画
さて順調に歌手として大ヒットも飛ばして活躍
した仁支川峰子ですが冒頭で説明したように声の
不調から歌手から転向し女優となります。

歌手の才能があったからと、そうそう簡単に女優
として成功するものなのか?と素人的にも思うのですが
彼女には芸能人としての才覚があったのでしょう。

出演した映画は、どれも印象的な映画ばかりですし
個人的には現役時代の歌手の姿を知らないので女優
のイメージしかないくらいです。

時代背景と共に少しエロくてハスッパなヤンチャ
キャラが多い仁支川峰子さんの昔の映画は迫力満点。

80年代女流ものでヒットを重ねていた五社英雄監督の
「陽暉楼」、「吉原炎上」「肉体の門」など身体張る派
の役柄が多いものの、どれもハマり役で全ての映画が
大ヒットし、彼女の代表作にもなりました。

特に1987年公開の「吉原炎上」(東映)では肺病で
心身に支障をきたした女郎・小花を演じ、その豊満な
ヌードを大胆に披露し話題になります。

その映画監督だった五社英雄監督との仲も噂に
なったほどの見事な配役と仁支川峰子を女優と
して決定づけた映画でした。

元売れっ子女郎の真っ赤な布団部屋で鮮血を吐きながら
男を求め絶叫する悲壮なシーンは、「吉原炎上」最後の
場面として強烈なインパクトがあり、仁支川さんと
いえばこの場面をあげることが多いようです。

正直言って子供時代に、この「吉原炎上」をテレビで
見た私は子供ながらに絶句状態でインパクト大大大。

それほど迫力満点の迫真の演技だったのが今でも
忘れられません。

元歌手で清純なイメージのあった歌声からは
想像もつかない変貌ぶりですが、女優としての
評価は大変高まったといえるでしょう。

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仁支川峰子と五社英雄監督の愛人説の真相は?

またプライベートでも映画の色気に負けず数々の
浮世を流した仁支川峰子さん。

昭和のモテ男として、かなり有名な火野正平との
愛人関係や他の俳優とも様々な噂が飛び交ったようです。

女優としての活路を見出し適正な出演作を探している
さ中に出会った映画「吉原炎上」の小花役が、なかなか
決まらず、五社英雄監督が自ら推薦したのが二支川峰子
だったと言われています。

そうした経緯からも、スタッフの中には

「監督は峰ちゃんと怪しいんじゃないの。」

と言っている人もいたといいます。
(2012年エキサイトニュース)

80年代監督と共に官能的な作品を作り上げてき
た2人ですから愛人説も多く真相が気になります。

ですが仁支川さん本人によると、

「自分の娘さんのように可愛がってもらっただけ」
だったといいます。


これ本当に名シーンです!

また代表作となっている「吉原炎上」での迫真の
ラストシーンでほぼ半裸状態で叫びながら絶叫する
シーンで役柄に成り切っていた仁支川が放心状態で
いつまでも半裸姿でいると優しく自分の服を彼女に
掛けてくれる男前な監督さんだったそうです。

1992年五社監督は働き盛りの62歳で亡くなりますが、
新しい仁支川峰子さんの人生を切り開いた恩人で
あることは確かといえるでしょう。

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続く人に「吉原炎上」の仁支川峰子の熱演を
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おわりに

歌手・女優として若い時から大ヒットを重ねてきた仁支川峰子さんですが、その生い立ちは極貧で体も弱く、育ての親がいるという不遇なものでした。
女優に転向し、五社英雄監督の映画作品「陽暉楼」や「吉原炎上」などの体当たりの演技が迫力で、監督との愛人説まで浮上しましたが、実際は愛人ではなく良き俳優人生のパートナーであったことがわかります。
貧しい生い立ちにめげず、はきはきと思ったことを正直に吐露する彼女の前向きな姿勢は仕事にも反映されており、60歳を過ぎてもまだまだ若々しく熟女ぶりを発揮していかれることでしょう。


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