相次ぐ有名俳優や女優の自死が続く中、またも
自宅マンションにて竹内結子さんが自死によって
亡くなると言う訃報が流れました。
遺書などが一切なかった事から、改めて過去に彼女が
語った家庭環境の複雑だった生い立ちや実家との関係。
両親への想いまで女優竹内結子さんの複雑な生い立ち
父の再婚による連れ子だった過去と兄妹の関係、実母の
今についてお伝えします。
竹内結子プロフィール
氏名:竹内結子(たけうちゆうこ)
生年月日:1980年4月1日
没年月日:2020年9月27日享年(40歳)
出生地:埼玉県浦和市
死没地:東京都渋谷区
身長:164㎝
血液型:A型
職業:女優
配偶者:中林大樹
事務所:スターダストプロモーション
主な受賞歴:日本アカデミー賞優秀主演女優賞・『黄泉がえり』
『いま、会いにゆきます』『春の雪』、優秀助演女優賞『ふしぎな岬の物語』など
竹内結子の自死の衝撃
2020年9月27日、人気女優竹内結子さんが
亡くなったニュースが流れ、世間は大きな
衝撃と悲しみに包まれました。
竹内さんはまだ40歳で、今年1月に子供を生んだ
ばかりでもあり彼女の家族に対する心配の声も
多くあがっています。
明るくいつも笑顔の絶えない竹内結子さんの
生い立ちを見ると両親の離婚や再婚などがあり、
大変な苦労が多かったという驚きの過去が明らかに
なり注目を集めています。
大物女優で代表作も多い竹内結子さん自死の
ニュースは大変な衝撃でした。
20年9月27日午前2時頃東京都渋谷区の自宅
マンションで意識不明になっている竹内結子(40)
さんを夫で俳優の中林大樹さん(35)が発見。
その後直ぐに119番通報しましたが、搬送先の
病院で死亡が確認されました。
状況から自殺とみられていますが、遺書はなく
自死の理由は明らかになっていません。
前日の夜は家族で食卓を囲みいつもと変わらない
様子だったと言われており、夕食後家族より先に
自宅2階の寝室に向かったそうです。
昨年2月に夫の中林さんと再婚し今年1月には第2子
となる男児を出産しており、子育て真っ最中だった
だけに突然の悲報に国内外からその生涯を惜しむ声が
絶えません。
竹内結子の生い立ちは複雑で連れ子の過去
竹内結子さん生い立ちは幼少期から複雑で
あったと言われております。
埼玉県浦和市(現さいたま市南区)に誕生した
竹内結子さん。
小学生の時に両親が離婚し、彼女は父親に
ひきとられて生活していたといいます。
竹内さんは3人姉妹の末っ子だったそうです。
その後、竹内さんの父親は再婚し、彼女は連れ子
として再婚相手の継母と継母の連れ子の男の子3人と
一緒に暮らすのですが竹内さんは家族となじむことが
難しく悩みを持っていたそうです。
過去のインタビューでも、幼かった当時の葛藤が
垣間見える発言が確認されています。
「私は父に好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。」
(「サーフスプラシュ」桜井亜美・1999年幻冬舎文庫)
という自身の言葉もありました。
「自分はここにいちゃいけないんだ!」
と感じて小学校低学年の頃家出をした経験が
あったとか。
家に帰りたくない一心で1時間近くも電車に乗って
居た事さえあったそうです。
心細さに泣き出し近所の人に、見つかって保護
されますが、家族はできたものの入っていけない
閉鎖的な幼少期が影を落としていたことは確かな
ようです。
竹内さんは映画「今、会いに行きます」で共演した
中村獅童さんと2004年結婚後、一人息子太郎さんを
もうけますが、ほどなくして離婚。
2019年には4歳下の俳優中林大樹さんと再婚するまで
の十数年をシングルマザーとして長男を溺愛して育てて
いたといわれています。
中林さんとの再婚も、その長男の後押しがあったから
こそ再婚に踏み切れたと言われており、夫の大樹さんと
長男太郎さんとの仲も良好であったといいます。
竹内結子さんは長男太郎さんを連れ子とした再婚で
まさに自身の生い立ちと重なるところがあり、彼を
大事に育て寂しい思いをしないよう深く配慮していた
ことは想像できます。
竹内結子の兄妹の関係も複雑
小学校の時に両親が離婚し、父親の再婚により父
継母、継母の子3人(男の子)と結子さん姉妹3人での
新生活が始まりましたが、連れ子というレッテルは
竹内さんの中で消えることはなく兄弟たちとの関係も
複雑だったようです。
「家に帰りたくなくて最寄り駅を過ぎてもまだ電車に揺られていた。」
「晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。」
「足早に台所を通り過ぎる時、一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのために食事の支度をしている。」
(サーフスプラッシュ、同上)
仲の良い瞬間、心から笑える瞬間が彼女の生活に
あったのだろうかと思わせるような父が必要とした
女性とその子供たちと呼ぶしかない、距離をおいた
どこか満たされない関係があったことがわかります。
竹内結子さんは自身の家庭環境を複雑だとし、
中学を出て原宿スカウトで芸能界入りした10代の時
「戻る場所なんてないです。だからこの世界で絶対に頑張らなきゃいけない。」
(niftyニュース)
と周囲に話していますが、彼女を孤独から救って
くれた唯一の場が女優の世界であったのかもしれません。
竹内結子の実母の今
両親の離婚で父親側に付いた竹内結子さんですが
実母は父親と離婚後も同居は続けていたといいます。
また竹内家の知人によると、竹内さんの実母は
40才になる年に亡くなっており当時結子さんは
当時まだ14歳だったとされています。
竹内さんの実母は、がんで亡くなった、といわれて
おり、その翌年に父親が再婚したようです。
憶測にはなりますが14歳と言えば一番多感な時期
この時期に最愛の母親を亡くし、僅か1年後の父親の
再婚は、相当彼女にとっては許容し難い苦痛だった
のではないでしょうか。
皮肉なことに、竹内さんの長男も現在14歳で
母親を亡くしたことになり悲劇の連鎖ともいうべき
ものを感じざるを得ません。
実母は、とてもきれいな方で結子さんは、お母さん
似であったといわれ家族の仲も良かったそうです。
子供の食事にも気をつけ、玄米に無農薬野菜の
料理など体によいものをいつも使っていたといい、
結子さんも必死で看病していたそうです。
母親の死後スカウトされ悲しみから救われる
ように仕事にもがんばり成功していきます。
9月30日には家族葬で天国に旅立った竹内結子
さんですが、一番甘えたかった実母の元に向かって
いったのでしょうか、彼女の本心が見えないまま
一人旅立っていってしまいました。
おわりに
女優の竹内結子さんの生い立ちは、幼い時期に両親の離婚や再婚があり、連れ子だった過去のためその兄妹関係や親子関係が複雑だったことがわかります。
いつも一人ぼっちのような感覚が新しい家庭でも残り、戻る場所のない彼女が救いを求める覚悟で選んだのが芸能界でした。14歳の時実母ががんで亡くなるという悲劇に見舞われながらも必死でトップ女優の座をつかんでいった強い女性だったといえます。
元気でいつも笑顔のまぶしい彼女に励まされてきた多くの人々に与えた衝撃は大きく、今は彼女が安らかに眠ってくれることを願うばかりです。
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