女優業やバラエティー番組などでの歯に
衣着せぬ物言いの毒舌キャラが個性的な
杉田かおるさん。
天才子役とうたわれ順調な芸能界生活を
送っていましたが、その陰には壮絶な
生い立ちがありました。
杉田さんは若い頃から多額の借金を抱える
一方、母子家庭でもあったため家計を支え
病弱の母親の世話をしてきました。
杉田かおるの若い頃の壮絶な生い立ち、借金
返済の悲しい理由や母親の看取りについて
お伝えします。
杉田かおるプロフィール
氏名:杉田かおる
本名:橋本薫(はしもとかおる)(結婚前本名・結婚後本名は非公開)
生年月日:1964年11月27日(56歳)20年12月時点
出身地:東京都新宿区
身長:157㎝
血液型:B型
職業:女優・歌手
学歴:明星学園高等学校中退、日本放送協会学園高等学校
(NHK学園高等学校)卒業
配偶者:鮎川純太(2005年1月~8月)
・一般男性(2013年12月~)
事務所:オフィスPSC
主な出演作品:テレビドラマ「パパと呼ばないで」「ウルトラマンレオ」
「3年B組金八先生」「池中玄田80キロ」「積木くずし」など。
趣味:無農薬野菜づくり
杉田かおるの若い頃が可愛い
アラフォー以降の年代の方はご存じの方も
多いかと思いますが、子役時代から活躍する
杉田かおるさんの若い頃がかわいいと評判
だったようです。
杉田さんが子役として活躍するきっかけと
なったのは母親の勧めで入った劇団「若草」で
ピアノや歌、踊りを習い始めた事になります。
1972年6歳で舞台に立ち子役デビュー、翌年には
テレビドラマ「パパと呼ばないで」で石立鉄男
さんと親子のような女の子「チー坊」役が当たり、
天才子役として有名になりました。
1979年には「3年B組金八先生」で妊娠する
中学生役、1980年にはドラマ「池中玄太80キロ」
の挿入歌「鳥の詩」が40万枚を売り上げ大ヒット
清純派でかわいいと評判になりました。
素朴でアイドルっぽさがあふれていて、演技力も
高く早くからブレイクしていたのはすごいですね。
杉田かおるの生い立ち~両親の離婚一家の大黒柱に
若い頃から子役として順調な活躍をした杉田かおる
さんですがプライベートの方は順風満帆な人生でした。
彼女が6歳の時、両親が離婚することとなり、その後
母子家庭で妹との3人家族で育ちました。
母親と妹の3人暮らしの中、父親は養育費を入れず、
体の弱い母親のためにも早くから子役の仕事で生計を
支える必要がある事になります。
後に当時のことを
「お芝居をすればお金がもらえて食べるのには困らない。恵まれた環境にいると思っていました。」
と話しています。
ですが、芸能生活を早くから始め学校も、あまり
通えず、高校も通信制で10代終わりごろは悩んだ
こともあったそうです。
でも一家の大黒柱の意識が強く、彼女の仕事が
順調であることが全てであったようです。
家計を支えると言う使命感や母親を大事に思う
心ひとつで、少女時代から働きづくめの人生を
ひたすら歩んできた杉田さん。
突然飛び込んだ芸能界で子役ブレイクを果たし、
全てがうまくいったかのようだったのですが・・。
杉田かおるの借金返済の理由が悲しい
天才子役として順調だった杉田かおるさんは、
実は若い頃から借金まみれだったことが
知られています。
売れっ子となった杉田さんは、子役からの脱皮を
試み13歳の時、独立し個人事務所を設立していますが
これが倒産し、なんと300万円もの借金を背負う事に
なります。
そこに大手芸能プロダクションの社長から
「うちは売れているタレントを抱えているから、君に投資する余裕があるよ。」
とうまい話を持ちかけられたたとか。
そこで杉田さんは借金を抱えながらも、わらにもすがる
思いで、人気学園ドラマ「3年B組金八先生」の
オーディションに合格。
中学生の妊娠という当時話題の役柄で熱演、
ブレイクします。
ただ出演前には、順調だった子役スターだった
彼女は等身大で思春期でちょうど子役からの脱皮
を意識する年齢での高校生の妊娠&出産と言う
役柄に、かなり躊躇したと言います。
当時を振り返って彼女曰く
「借金がなかったら絶対やってなかった。」
と後に話していますが、借金返済が彼女の
女優魂に火をつけたのは驚きですね。
借金完済後も活躍しますが、杉田さんは26歳の
時また新たに1億もの借金を抱えてしまいます。
この時は父親の不動産の借金の連帯保証人に
なったことが原因でした。
詳しいことについては明らかになっていませんが、
1億円は杉田さんが20年近くの年月をかけて42歳で
完済したのだそうですから立派ですね。
インタビューなどで当時を振り返りどんな仕事でも
受けたといいますが、父親の借金とはいえ黙々と
仕事に向かい長くかかって返すという殊勝な行いには
本当に絶句します。
杉田かおるの母を看取って
その後、破天荒な毒舌キャラも定着してバラエティー
では欠かせない存在として活躍した杉田かおるさん。
近年は、その姿をバラエティーで見る事が減った感
も否めないのですが実は杉田さんは2011年の東日本
大震災後、杉田さんは生活拠点を一時的に福岡に
移しています。
2013年に再婚した後は女優・タレント業を10分の1
にまでセーブし療養中の実母と6歳年下の一般男性の
夫と共に神奈川県で農業生活をはじめていました。
母親は20年前から慢性閉そく性肺疾患を患って
いましたが、杉田さんは母親と在宅で一緒に暮らし
介護を続けていたそうです。
日々酸素供給装置が欠かせず、呼吸不全のため
胃腸の働きが弱るため食事にも配慮が入り、杉田
さんも介護にかなり限界を感じていたといいます。
2017年10月母親が80歳頃重篤な状態となり命は
助かりましたが、リハビリや入院生活を行っており
後に施設に入居することになりました。
2018年1月6日、杉田さんがずっと介護していた
母親がとうとう他界してしまいます。
親孝行な杉田さんはその後母親にコメントを
寄せています。
“忙しくてなかなか親孝行出来なくて、最後の4年半はずっとずっと一緒にいられて幸せでした。人は仏様になれるんだと教えてくれた最後でした。そしてその事を考えてくれるために産んでくれたのだと知りました。お母さん本当にありがとうございました。”
杉田かおるさんは4年半にわたる介護生活を経て、
健康や命の大切さを感じたといい、2019年日本健康
マスターの資格を取得します。
健康マスター名誉リーダーにも就任、2020年日本健康
マスター検定エキスパートコースも取得しています。
オーガニックにも目覚め、農業生活を実践し自然農を
追究し続けるなど精力的に活動を続けており、母親から
受けた生を満喫した人生を送っています。
幼少期から母親の勧めをきっかけに子役として活躍
した杉田かおりさんは、色々な役柄を演じた女優でも
ありますが、プライベートでは生涯をかけて母親を
支えた孝行な娘さんだった事が分かりますね。
おわりに
天才子役として一世を風靡した女優杉田かおるさんの若い頃からの生い立ちは母子家庭で、早くから一家の大黒柱として奮闘し、借金にも追われる壮絶なものだったことがわかります。
借金を抱えるたびに、自身の仕事で稼ぎ返済するという不屈の精神と、女優魂の凄さは人一倍だったといえるでしょう。
杉田さんは母親にも尽くす親孝行で、看取った後も農業や健康に関する学びを極め人々の暮らしに役立つ方法を実践している努力家で立派な方ですね。これからも元気で活躍の場を広げていってほしいと思います。
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