神田沙也加の生い立ち~子供時代から聖子の影響と壮絶イジメ体験

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神田沙也加アイキャッチ

2021年12月18日、北海道札幌のホテルから転落し35歳の若さで亡くなった神田沙也加さん。

父親は俳優の神田正輝、母親は歌手の松田聖子という大物の両親を持ち、ミュージカルや声優として活躍中だった彼女の突然の死は世間に大きな衝撃を与えました。

沙也加さんは子供時代から特に母親の聖子さんから大きな影響を受け、たくさんの悩みや苦しみがあったといわれています。

親が有名人のため学生時代に壮絶ないじめがあったことも告白していました。

神田沙也加さんの生い立ち、子供時代からの聖子の影響と壮絶イジメ体験についてお伝えします。

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神田沙也加プロフィール

氏名:神田沙也加(かんださやか)
生年月日:1986年10月1日
出生地:東京都千代田区
死亡日:2021年12月18日北海道札幌市(35歳没)
学歴:東海大学
職業:女優、歌手、声優、YouTuber
事務所:ローブ
両親:松田聖子、神田正輝

神田沙也加の生い立ち~松田聖子の娘として

80年代を代表するアイドルとして当時から大スターだった松田聖子の娘として誕生した神田沙也加さん。

神田沙也加さんは、幼少期から両親の影響でCMなどの芸能活動に参加するなどし、テレビなどで両親が出演するのが当たり前といった特殊な環境に育ちました。

特にトップアイドルだった松田聖子の娘として、生まれる前からさかんにメディアに取り上げられ注目の的だった沙也加さん。

学校行事などにも聖子さんのマネージャーが同行し、運動会や家族でのハワイ旅行などの度に注目され、当たり前とはいえ常に気の抜けない生活だったことは想像できます。

また有名人の娘ということからか、子供同士で遊ぶことが禁止されていたとか。

家でゲームをしたり、図書館で借りてきた本を読んだりすることも多く、孤独な幼少期であったともいわれています。

沙也加さんは、2001年に芸能界デビューを果たしながら、2005年には芸能活動休止もあり苦労を重ねますが、28歳の時2014年ディズニーアニメ「アナと雪の女王」で王女アナの声を担当し大ヒット、声優、ミュージカル女優として名実ともに注目を浴びました。

松田聖子の娘、親の七光りなどという言葉を嫌い、オーディションに積極的にのぞみ切磋琢磨してきた沙也加さんは実力で認められたいという強い願いを達成したばかり。志半ばの死に心が痛みます。

神田沙也加の生い立ち~子供時代と聖子の影響

多忙な両親の代わりに松田聖子さんの母親であり彼女の祖母が沙也加さんを養育したことが知られています。

それ故、孫である沙也加さんの躾や教育には、かなり厳しく育てられたと言われています。

沙也加さんが初めて喋った言葉が「パパでもママでもなく「マチュコミ」だった」(文春オンライン)といい、いかに沙也加さんと両親との時間が少なかったかがわかります。

沙也加さんの小学校高学年頃の10歳で両親が離婚、親権は聖子さんが持ちますが、離婚原因は松田聖子さんの度重なる不倫や浮気だったといわれています。

正式に離婚する前から、既に神田正樹への気持ちが切れていた母親聖子は、娘の沙也加の前でも夫への嫌悪感を全く隠さなかったと言います。

でも娘の沙也加から見たら、お母さんも大好きだけどお父さんだって大好き、端から見ても幼い子供ながらに両親の顔色を伺うような素振りが当時から垣間見えていたたまれないとマスコミ関係者の間でも言われていました。

沙也加さん誕生後も聖子さんはアメリカ進出を図って、しばしばアメリカに渡り1990年には英会話の先生であるジェフ・ニコルスさんと不倫関係にあったとされていました。

沙也加さんは多感な青春時代を前に両親の離婚を経験し、祖母の手で育ちながらも、その後母親の2人の男性との再婚で心穏やかでなかったことと思われます。

それが証拠に再婚したどの夫とも沙也加は懐かなかったと言われています。

彼女のとってのお父さんは、どんなに聖子がそおの時々愛した男であっても、やっぱり神田正樹ただ一人しかいなかったのです。

そうしたお思いもあってか10歳と幼い年齢で父子が離れて暮らしていますが事ある事に父親の神田正樹には相談をし、またそうした相談にいつも彼女の味方だと寄り添っていたと言います。

彼女の元夫である村田充との結婚を報告した時も、母親の聖子は大反対で結婚式にも参加していませんが、神田正樹は、娘の意思を尊重して結婚式に出席しバージンロードも彼女に寄り添って歩いた事が話題となっています。

夫だった村田氏と父神田正樹とのスリーショットも披露しています。母の聖子ではなく、そうしていつも彼女の気持ちを尊重し見守っていた父神田正樹離れて暮らしていても、きっと大切な大切な1人娘だったのでしょう。

どんな時でも沙也加の味方だから、と常に彼女の心の支えであり続けた父親神田正樹さん。

21年12月18日、死の直前30分前にも、その数日後の22日が誕生日だった父の神田正輝に電話をしていた事が明らかとなっています。

母親ではなく、追い詰められて命の灯が途切れそうな時でさえ、彼女は母親の聖子ではなく、父親の神田正輝に連絡を入れているところからも何となく生前から語っていた母聖子の事を、

「親子というより姉妹みたい」と話していたのが思い出されます。

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神田沙也加の生い立ち~壮絶イジメ

そんな神田沙也加さんの学生時代には壮絶なイジメも、あったことは有名です。

沙也加さんは小学校(私立小中一貫校聖ドミニコ学園)卒業後、聖子さんと継父(歯科医・波多野浩之さん)との生活のためアメリカに行くことを提案されますが、よく知らない場所や再婚相手との生活に不安を覚え、日本に残ることになりました。

そしてそれまでの祖母との生活から離れ全寮制の中学(私立名門・暁星国際中学)に入学しますが、芸能人の子供ということで壮絶なイジメにあったそうです。

「中学校は正直つらいことしかなかったです。結局4回転校を繰り返しました。(中略)寮ではすさまじいいじめが待っていて、寮生活でのいじめって逃げ場がないんですね。」(引用:週刊女性プライム)

下着を盗まれ「さやかのだよー」と皆のさらし者にされたり、夜寝る時に布団がびしょびしょにされたことも。(2015年の著書「Dollygirl」)

その後も都内中学、母親らのいるアメリカロサンゼルスの学校にも編入しますがなじめず、単身帰国し中3で日本の中学(千代田女学院中学校)に入っています。

またこの頃、母の聖子も自身のアメリカ進出への夢を捨てきれてなかったのでしょう。

欧米での活動を優先したからか高校の卒業式でさえ、母親として聖子が出席する事はなかったそうです。

誰もが知るスター松田聖子の娘であり、それが原因で学校では壮絶なイジメに合う、母親に寄り添いたくても多忙な母親はビジネスでのキャリアを優先して日々の出来事さえ話せる状態ではありませんでした。

どれほど、この当時から沙也加さんが精神的に孤独だっただろうか、心細かっただろうと思うと何とも言えない気持ちになります。

神田沙也加の複雑な親子関係

沙也加さんと母親松田聖子さんの複雑な親子関係に注目が集まっています。

2人は彼女が亡くなる最後まで絶縁関係にあったともいわれ、理由は先に紹介した沙也加さんの結婚に反対した事が発端となったようです。

沙也加さんの結婚相手の村田充さんの収入面で不安があり、結婚を祝福しなかったといいます。

その為、聖子さんは2017年の結婚式にも出席していません。

結局収入云々とは別で、2年後に沙也加さんは村田氏と離婚しましたが、そうした別れも母親の聖子さんに相談せず決めたことで2019年の離婚以来2人は全く連絡を取らなくなったといわれています。

また離婚後の元ジャニーズジュニアの秋山大河さん(29)との不倫疑惑にも聖子さんが激怒したとか。(ライブドアニュース:引用)

大河さんはこの騒動で事務所を退所させられ、参加していたグループの「MADE」も解散に追い込まれ、大河さんのファンが沙也加さんに対しSNSで攻撃的な対応をすることも。

何でも娘沙也加のことを心配する聖子さんの親心ではあったのでしょうが、自分の意思で歩きだした沙也加さんの思いとはかけ離れていたことが哀れにも感じられます。

誰もが憧れる超有名人の松田聖子を母親に持ちながら彼女が生前、生まれ変わったら何になりたい、と聞かれた時

『私意外なだ誰でも』と答えていたそうです。

端から見るより彼女らの親子関係は、幸福ではなかったのかもしれません。

人知れず苦しい想いをしてきた沙也加さんにとっては、他人には分からなく苦労や苦悩が、そう思わせていたのでしょう。

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神田沙也加の性格は聖子と真逆だった

神田沙也加さんは、大物芸能人を両親に持ちますが、その性格は母親の聖子と真逆だったといわれているようです。

恋愛や離婚、どんなスキャンダルも自身の活動の肥やしにする、したたかさのあった聖子さんと比べ、沙也加さんは芸能人らしい華やかな交流は苦手だったといいます。

若い頃と変わらぬ人気と美貌で還暦前の今でもアイドルと呼ばれて謙遜の無い可憐な存在の松田聖子ですが、本来彼女の性格は物凄く頑固でコレと決めたら誰が何を言っても言う事を聞かない性格だそうです。

過去に聖子の番記者曰く完全なる「唯我独尊タイプ」で自分が1番、そして異性に関しても遊び人の男そのもの、と評される程見た目と中身のギャップがある男性的な性質を持っている女性と評されています。

また古くからのファンはそうしたギャップと見た目と真逆のパワフルな彼女の生き様こそが憧れの対象となりファンで居続ける人が多いのだとか。

ただ、そうした聖子の頑固や強さは周囲の人との軋轢も当然産む事もあり、一番身近で一番見方でいてあげて欲しかった娘沙也加とさえブツかり、自分が折れて娘に合わせると言う事はなかったのです。

22年1月5日発売の週刊文春で亡くなる直前まで交際関係にあったとされる俳優前山剛久との通話音声が公開されましたが、聞くに堪えうる内容です。

前山「死ねよ、もう。めんどくせぇな」

沙也加「死ねって言わないで」

前山「死ねよ」

沙也加「死ねって言わないで」

前山「死ねよ」

沙也加「涙声何で言うの」

前山「死ねよマジで」

沙也加「死んだらどうなるの?」

前山「ん?別に」

沙也加「何とも思わないの?」

前山「うん」

沙也加「せいせいする?」

前山「だって、お前しつこいんだもん」

すすり泣く沙也加が言葉を繋ぐ

沙也加「死ねって言わないで。叩きなよじゃ。『殺すぞ』とかさ。『死ね』とかいうんだったら言う事きかせればいいじゃん」

前山「そんな事しないよ、だって 殴ったらだって俺、悪くなるじゃん」

沙也加「そんな事いったって『死ね』って言ったって『殺すぞ』って言ったって同じだよ」

前山「いいじゃん。もう死ねば。みんな喜ぶんじゃない。

沙也加「私が死んだら?」

前山「うん」

沙也加「なんでそんな事言えるの?みんなに嫌われてるってこと?」

前山「うん」

しばらく沈黙が続き、沙也加が声を絞りだす。

沙也加「ねぇ、そんな酷いこと言わないでお願いだから。」

音声データ最後

沙也加「大好きだって。こんな合う人いないって言ったからついてきたんだよ。」
週刊文春:引用

男女の色恋で惚れた晴れたがあったにしても、男から「死ね、しつこい」と言われて縋るだなて…

彼女が母親の聖子の性格に少しでも似ているところがあったなら、と思えて仕方ありません。

また沙也加さんは芸能界の友人といえば、中島美嘉さんくらいで「私は友人が少ないんです」が沙也加さんの口癖、「自分の殻に閉じこもるタイプ」だったとか。

「二世タレントなら誰しも一度や二度あることですが、テレビ出演した際に、ほかのタレントから『二世だから』と陰口を言われたと明かしたこともある。気を使って派手な芸能人たちと付き合うよりも、一般人や1人で過ごすことの方が好きだった」(音楽関係者)

実際、ラーメンや焼肉などに1人で行くことも平気で、部屋でのアニメ鑑賞やアニソンを聴いて過ごすことが安らぎと打ち明けたことも。真面目な性格の上、堅実派で電車や徒歩で移動することも多かったという。(引用:東スポweb)

両親の影響で華やかな世界に幼少期から身を置いてきたことが、かえって彼女を孤独なひとりの世界に安住させることになったようでとても痛ましく感じられます。

やっと独り立ちし、その実直さで大きな世界に漕ぎ出した神田沙也加さんの未来がもう見られないと思うと悲しすぎますね。

ほんの少しでも母の聖子の強さと逞しさが彼女にもあったなら、と悔やまれて仕方ありません。

今となっては僅か35歳の生涯を自ら閉じた沙也加さんのご冥福をお祈りするばかりです。

おわりに

急逝された神田沙也加さんの生い立ちは、芸能界の大物の両親の影響で常に世間の目がつきまとい、両親の離婚や母親の松田聖子さんの子として生きねばならない辛さで大変な苦労があったといえます。
華やかな芸能活動の裏で、沙也加さんには学生時代の壮絶なイジメ、聖子さんとの絶縁とされる複雑な関係もあり、次第に聖子さんとは真逆の真面目で一人を好む性格になっていったと思われます。彼女の生き生きとした明るい姿の中にあった数々の苦しみが思われ、今はただ安らかにと願うばかりです。


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