富司純子の生い立ち~父親俊藤浩滋はヤクザな男?若い頃の伝説も

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富司純子アイキャッチ

演技派女優として活躍する寺島しのぶの実母としても知られる女優の富司純子さん。

夫には歌舞伎界で活躍する尾上菊五郎と、その跡取りとして息子尾上菊之助を持つ事でも知られています。

富司純子さんは若い頃の昭和の任侠映画で一躍スターとなった女優さんです。今回は華やかな昭和の大スターとして活躍した富司純子さんの波乱に満ちた生い立ちには欠かせない父親の俊藤浩滋さんとヤクザ映画についても紹介したいと思います。

映画界では知らぬ人が居ない存在だった父親俊藤浩滋がヤクザな男と言われた理由や、富司純子さんの若い頃の伝説まで追ってみましょう。

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富司純子プロフィール

氏名:富司純子(ふじすみこ)
本名:寺島純子(てらしまじゅんこ・旧姓は俊道)
別名義:藤 順子(ふじじゅんこ)
生年月日:1945年12月1日(76歳)22年1月時点
出生地:和歌山県御坊市
出身地:大阪府大阪市東成区
血液型:O型
ジャンル:映画・テレビドラマ
活動期間:1963年~
配偶者:7代目尾上菊五郎
著名な家族:(長女)寺島しのぶ、(長男)5代目尾上菊之助

富司純子の生い立ち~父親俊藤浩滋の次女として

富司純子さんは終戦した年の1945年12月に、疎開先の御坊市で3人の子供の次女として誕生します。

上に兄と姉がいる末っ子の3人姉弟だった富司さんですが幼い頃から人目を引く可愛さで、母親も自慢の子供だったそうです。

その後、一家は疎開先から富司さん5歳の時に大阪市東成区へ移り、器量が良かった事もあってか僅か7歳から日本舞踊を習っていたそうです。

彼女の父親は映画・ドラマのプロデューサーとして活躍した俊藤浩滋さんで、鶴田浩二さん主演の「博徒」や高倉健主演の「日本侠客伝」などヤクザ映画ブームを牽引したことで知られています。

富司純子さんは大阪市立の小中学校に通っていましたが、父親の俊藤浩滋さんは愛人(京都で伝説の芸者おそめ)と同棲するなどし家にはほとんどおらず、母と祖母に苦労して育てられたといいます。

純子さんは中学のときに宝塚歌劇のファンになり、中学卒業時に宝塚音楽学校を受験しようと考えて、宝塚コドモアテネに通っていたこともありますが、父の大反対で受験を断念したとか。

富司さんは1962年(昭和37年)、四條畷学園高等学校2年生のときに、よみうりテレビの歌謡番組『ハイハイ、マヒナです』のカバーガールとして姉・允子と共に出演(大阪の芸能プロダクションに所属)。

同年一家が京都に転居したため、京都女子高等学校に転校します。

1963年(昭和38年)、当時共演をしていた名和宏から「松竹のカメラテストを受けてみないか」と誘われ、松竹も東映も当時、京都に撮影所があった松竹、東映の両方に行き、松竹の後父の勤務先の東映京都撮影所(以下、東映京都)に行った際、マキノ雅弘にスカウトされ、藤純子の芸名で映画デビュー、任侠映画で人気を得て、役者として活躍していきます。

当時から父親俊藤浩滋氏が京都の撮影所に居た事もあり、当時から火宅の人だった父親に会いに行こう、と思い除いた撮影所で関係者だったマキノ雅弘にスカウトされる程だったので、如何に人目を引く美貌だったのかが分かるエピソードですね。

富司純子の父親俊藤浩滋はヤクザな男?

当時としては奇抜な発想だった任侠映画で一時代を作った事で業界でも一躍時のプロデューサーとなった俊藤浩滋さんですが、その作品のがヤクザ映画だからかヤクザと見られることも多かったようです。

本当に俊藤さんはヤクザな男だったのか気になりますね。

俊藤さんは、40歳を過ぎてプロデューサーになるまでの活動は定かではなく、若い頃は賭場に通う生活だったともいわれていたようです。

また彼は、1960~70年代にかけて暴力団山口組の最高幹部だった管谷政雄さんと幼なじみだったり、たまたまでだったと思うものの交友関係にヤクザな世界で生きている知り合いが多かったようです。

それ故、彼を任侠映画のプロデューサーとして「映画を作ってみないか?」と最初に声を掛けた東宝のゼネラルマネージャだった岡田氏は時代劇からの転換でヤクザの世界を良く知る俊藤に白羽の刃を立てたと言われています。

ですが、俊藤さんは「わしはヤクザやない」といい躊躇する俊藤浩滋氏に「責任は俺が取るから」と後押しして俊藤を任侠映画のプロデューサーとして後押ししたと言います。

それが時代にマッチして一躍任侠映画の一大ブームとなり共興としても大成功。

当時の大スターだった鶴田浩二を主演に『博徒』、その後も高倉健主演の「日本任侠伝」など次々と任侠映画を大ヒットさせます。

そのヤクザ映画の大ヒットがあったからこそ任侠映画の生みの親といわれ、プロデューサーとして認められる存在になりましたが元々俊藤浩滋さんは、賭場生活を経ており、そうした経緯を理解していた当時の東映ゼネラルマネージャー岡田氏の見初めが見事に的中した発案でしたが世間的には富司純子さんの父親俊藤浩滋さんが任侠映画の発案者だと思われた人が多かったようです。

ヤクザとの交流が多く、本人曰くリアルなヤクザではないが、生活そのものは40歳で任侠映画のプロデューサーとなるまで実際は何をしていたか実態が無い状態でまともな職には就いていなかったと言われています。

そうした生活感の無さやリアルな任侠関係との交流からヤクザでなくとも当時の常識から考えても気質の人間だとは思われず、リアルで真に迫る任侠作品を世に出したため、その出自も本物のヤクザと噂されていたようです。

実際、プロデューサーとして『博徒』の監督でデビューするまでコレと言う職に就かず賭場に出入りして、家庭を持ち子が3人いても家庭には帰らずの状態の男です、ヤクザでなくとも、当時の常識で考えてもカタギだと思う人がどれ程いたでしょう。

そうした俊藤氏の経歴からもヤクザな父親と思われていたそうです。

娘の富司純子さんが尾上菊之助と結婚し梨園の妻となった時には、”ヤクザの娘が梨園の妻になってよいのか”などかなり物議を醸したといいます。

俊藤さんは、2001年84歳、肝不全で死去する最後までヤクザ映画に情熱を傾けたとされますが、それほど自身の全てをつぎ込んだ世界であり大成功を収めたといえるでしょう。

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富司純子の生い立ち~父は愛人のヒモ

父親の俊藤さんは長く京都や銀座の繁華街で活躍していた伝説のマダム、上羽秀さんと事実婚関係にありました。

富司さんら妻子がある既婚の身であるにもかかわらず、終戦後、上羽さんと出会った俊藤さんはそのまま同棲を始め、家にもほとんど帰らず植芝秀さんとの間にも子を儲けるなど火宅の人だったのです。

上羽秀さんは後に「おそめ」と呼ばれts、京都で人気№1の伝説と語られる芸者でした。

2人が出会い即同棲した頃、上羽さんの母親は2人の交際に大反対、

「あれは極道もんや、まともな仕事をしている人とは違う」と反対したのだとか。

京都では知らぬ者が居ない程今だに伝説として語られる売れっ子芸子だった、おそめは俊藤氏と出会った当時とっくに当時の松竹の経営者だった白井信夫に見受けされていた女性です。

その女性を、ほぼ何もしていなかった状態の裸一貫どころか所帯持ちの男に過ぎない俊藤が奪い取り、その妻子まで後に面倒を見させ、おそめの家から子供ら富司純子も学校へ通っていたと言われる程ヒモとして徹底したクズっぷり。

俊藤さんは、愛人上羽さんの完全なるヒモ状態だったようで、上羽さんが俊道さんの家族(富司純子ら子供)の生活費も工面していました。

上羽秀と暮らす家に出入りしていたとも言われる程、幼い頃から父親の愛人に生活を面倒見てもらっている状態は家族の認知状態だったそうです。

また、どこかでそうした肩身の狭い母子の立場から実母の生活を楽にさせてあげたい一心だったのでしょう。母を一日でも早く自分が一人前になって楽にしてあげたいと思い当初は全く興味なかった女優としてデビューしたと言います。

本人的には一人前になれれば女優でなくても良いと考えていたのだそうです。

おそめと呼ばれた上羽秀さんのお店は芸者を引退した後も財界人から政界人、芸能関係者も幅広い人間が、かつての伝説の芸者「おそめ」だった上羽秀会いたさに彼女のお店に集まった事から、そのヒモであり愛人であった俊藤さんも映画界に入るきっかけを作ったともいわれています。

富司純子さんにとってはそのおかげで家に父親がおらず、母や祖母の世話になり複雑な気持ちだったと思われます。そのためか、姉や母と今も頻繁に連絡を取り合うほど仲がよいのだそうです。

富司純子の若い頃の伝説

富司純子生い立ち
富司純子さんの若い頃の伝説は、なんといってもその美貌にまつわるものが多いようです。

富司さんの3つ年上の姉・允子(みつこ)さんは、

“人形のようなかわいらしさで母も連れて歩くのが自慢でした。私が真っ黒に日焼けして男の子たちとメンコで遊ぶ一方で、妹が日本舞踊を習い始めたのは、7歳ごろでした。”

日本舞踊の影響で所作や着付けを早くから身に着け、宝塚を目指し声楽やバレエなども習うなどしており、凛としたたたずまいが今なお魅力ですね。

5歳年上の兄・正弘さんも、

“周囲からきれいな顔と言われ、学芸会でも主役していたね。おふくろも芸の道に進ませたかったんだと思う。学校では絵が得意で、運動会で足が速かった記憶があるね。”

と語りとにかく赤ちゃんの頃から、かわいかったと評判だったそうです。

デビュー後は東映で91本の映画に出演し、1972年にオールスター総出演の『純子引退記念映画 関東緋桜一家』で見送られ引退するという華々しさで、その結婚・引退は世間に衝撃を与えました。

今や4人の孫がいるという76歳の富司さんですが、相変わらずの気品と若々しさで活躍中です。

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寺島しのぶの生い立ち~息子まほろを歌舞伎界に弟に託す母の想い

おわりに

現在もなお女優として活躍する富司純子さんの父親は、映画やドラマのプロデューサーで任侠映画の産みの親とも言われた俊藤浩滋さんで、この方がヤクザという噂があったのには驚きます。
父親の俊藤浩滋さんが愛人のヒモで、純子さんら家族とは別居し、生活費まで入れてもらっていたといい苦労していますが、若い頃からとにかく絶世の美女と注目を集めた純子さんは瞬く間に映画界で輝きを見せました。年齢を経ても美しく、大物のオーラに包まれた富司さんの活躍を今後も期待しています。


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