河瀨直美の生い立ち~父親も母親も不在の養子がもたらした人格形成

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河瀬直美アイキャッチ

映画監督河瀨直美の、カメラマンへのパワハラ暴行を文春が報じ話題となりました。報道後、監督のパワハラなどが大きく噂になり騒動となっていますね。

河瀨直美は、カンヌ国際映画祭をはじめ様々な外国賞を受賞し、世界からも高い評価を受けていますが、生い立ちは複雑な環境で、養子だったことなどが話題になっています。河瀨直美の壮絶な生い立ちが気になります。

河瀨直美の生い立ち、父も母も不在の養子がもたらした人格形成についてお伝えします。

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河瀨直美プロフィール

名前:河瀨直美(かわせなおみ)
生年月日: 1969年5月30日 (年齢 53歳)22年6月時点
出生地: 奈良県奈良市
身長:167㎝
学歴: 奈良市立一条高校→大阪写真専門学校・映画科(1989年)
職業: 映画監督、脚本家。東京2020オリンピック公式映画総監督
2025年大阪・関西万博テーマ事業プロデューサー兼シニアアドバイザー
バスケット女子日本リーグ会長、ユネスコ親善大使

河瀨直美は、大阪写真専門学校卒業後、1996年まで同校の講師として勤務し映画を作成。その後、個人事務所兼制作プロダクション「有限会社組画」を設立します。

27歳(1997年)の時に、『萌の朱雀』という映画で、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞し注目されました。その作品でプロデューサーを務めた仙頭武則さんと結婚しますが3年後に離婚。

その後一般男性(学生時代の知人)と再婚し妊娠、2004年34歳で第1子(長男・光祈)を出産しています。(現在息子は18歳)

河瀨直美の暴行パワハラがヤバい

相次ぐ映画監督からの性被害が問題化される中、今回は話題の女性監督として活躍する河瀬直美の、女優らへのパワハラとスタッフへの暴力が前代未聞で話題となっています。

1:カメラマンA腹蹴り事件
2:スタッフA顔面暴行事件

1の最初のパワハラ暴行が話題となったのは22年4月27日の文春オンラインで、河瀨直美監督が撮影助手Aさんを腹蹴りしたと報道しその超パワハラが話題になっています。

2020年公開の「朝が来る」の撮影現場で騒動が起きたとされ、その結果撮影監督とスタッフらが作品を降板していたとか。

俳優の演技がおわったときにエスカレーターで撮影していた河瀨監督は、助手が補助器具をひぱった際バランスを崩し、助手の足元に自分の足で咄嗟にカメラマンAさんを腹蹴りして抵抗したと説明しています。

何故腹蹴りが咄嗟に出たのかが不思議すぎますが、本人の説明によると不可抗力によっての腹蹴りだったとの事。

「組画」HPによると、3年前の広島での撮影の際に河瀬監督は10キロ近いカメラを担いでエスカレーターで撮影していたが、俳優の演技が終わったタイミングで助手が河瀬監督の補助器具を引っ張って誘導しようとしたところ、「咄嗟のことで河瀬は重心を保てず、転倒しそうになりました」という。

 「両手が塞がって自由が効かない河瀬にとって、急な体の方向転換は恐怖でしかなく、防御として、アシスタントの足元に自らの足で抵抗しました」(Yahoo:引用)

すでに腹蹴りは事故、カメラマンとは話し合いで解決済みとされていますが。事務所スタッフや俳優へのパワハラ疑惑も出ているようで彼女の周囲は騒然としているようです。

ただこの一見以降、このカメラマンAら撮影部を離れる事となった経緯からも、彼女の説明通りの不可抗力だとは到底思えない肌蹴りだったと推測する方が大半かもしれません。

そしてこの1の腹蹴り暴行パワハラが世間に広まった後、さらなる追い打ちとして報道されたのが、2のスタッフA顔面暴行事件なのです。

このスタッフA顔面暴行の内容も、またしても過去に例のない狂暴な内容で世間を驚愕させています。事の内容は、15年10月と1の暴行事件よりさかのぼって今から7年弱前の話となります。

Aさんを待っていた状態で会社オフィスに帰ってきたAさんを見るなり河瀬直美がAさんの顔面を自らの拳でグーパンチをし続けたという想定外以上の狂暴な内容に、ただただ驚きしかありません。

しかも1度ならず、いきなり顔面を殴打されたスタッフAさんを殴り続けたというのです。一体何があってそんな事をするのか?

力の限り拳で殴り続ける河瀬直美の暴行によってAさんはその場に崩れ落ち、男性は河瀬直美をなだめるように、言葉を投げかけるも河瀬直美は気が収まらないのか、暴行を止めようとはせず、逃げ惑うA氏を追いかけて殴り続けたのだとか。

ただただ一方的に殴られた男性の顔は腫れあがてしまい、その状況を見ていたスタッフも、あまりの勢いと迷いのない暴行を見て、その場に居合わせたスタッフは別のフロアに逃げ出した程だったそうです。

狂暴過ぎませんか?当然この一方的に殴られ続けた男性スタッフも、この後荷物をまとめ2度と戻る事はなかったそうです。

これだけの暴行が15年から続いていたらしい河瀬直美、事件にならなかったのが不思議なレベルですし、およそ尋常ではないとしか言いようがありません。

また2022年4月12日の東京大学入学式の来賓で出席した河瀨監督の祝辞スピーチも波紋を呼び騒動となりました。ウクライナ侵攻について、ロシアという国を悪者にすることは簡単、と発言、これに国際政治学者から批判が殺到するなど、過激なイメージが後を絶たず注目を集めています。

河瀬直美の役者らへのパワハラ

冒頭のスタッフへの暴行パワハラだけでも充分インパクトの強い情報ですが、彼女のすごいところは、こうした姿勢は監督として作品の華である役者らにも及んでいるところかもしれません。

性格的にハードな性格なのでしょうか、彼女は役者らにも相当なパワハラ行為を行っていると話題となっています。

現時点で話題となっている役者は4人。

1:村上虹郎「2つめの窓」
2:尾野真千子「もがりの森」
3:宇多滋樹「もがりの森」
4:水崎綾女「光」

そうそうたる面子ですが、監督である河瀬直美はこれらの役者ら相手でも容赦なかったようです。

1番の村上虹郎さんは彼が16歳の時の主演映画「2つめの窓」での出演でしたが、その演出方法で、怒鳴り散らかしての撮影シーンは怒号状態で若手俳優としては戦々恐々なのではないかと想像します。

2番3番は「もがりの森」で共演した自らが発掘した女優尾野真千子さんと宇多滋樹さん共演の映画ですが、この時の撮影でも相当なダメ出しの連続で、何が気に入らなかったのか、尾野真千子さんに対しては撮影中、完全なまでに無視を決め込んだ態度を取っていたと言われています。

映画撮影の現場で最も権力を持つだろう指揮官の監督から、女優が無視されるという状況は想像以上に厳しい現場だったのでは、と素人ながら想像できますよね。

そしてラストに4番の水崎綾女さんですが、彼女も映画「光」の主演女優として出演中に彼女の演技が気に入らなかった河瀬直美は、何と水崎綾女に土下座をさせたのだとか…

幾らなんでも土下座って完全にアウト案件ではないでしょうか、やり過ぎ感は否めないし、やはりパワハラと言われ問題史されても仕方がない内容だと言えると思いますね。

今時、気に入らなかったとしても土下座だなんて、紛いなりにも女優として活躍している女性に、コレはやり過ぎかなと思います。

例え主演女優でなくても土下座は違うでしょうと思うところ、主演級の女優に土下座なので、如何に彼女のパワハラが極端な態度で示されているかが分かるエピソードですね。

これらの暴行パワハラ内容を聞いても、相当強烈な人物である事は間違いなさそうですね。

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河瀨直美の経歴

河瀨直美は高校業後、大阪写真専門学校映画科に入学しています。同校卒業後は自らの特殊な境遇にまつわる映画製作に没頭しました。

1995年には自身の生い立ちを描いた自主映画で、生後間もなく生き別れた父親を探す8mm映画『につつまれて』、また、養母と暮らす日々を紡いだ『かたつもり』という作品で、山形国際ドキュメンタリー映画国際批評家連盟賞受賞、国内外で注目されました。

1997年劇場映画デビュー作「萌の朱雀」でカンヌ映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞。学校の下駄箱を掃除していた地元中学生だった現在女優として活躍する尾野真千子さんに声をかけ、映画出演させ女優としてのデビュー作となったことでも有名になりました。

2007年には「殯(もがり)の森」でカンヌ映画祭グランプリ(審査委員特別賞)を受賞し数々のヒット作を生んでいます。

その後も、特別養子縁組を取り扱った映画「朝が来る」なども制作、不遇な生い立ちから生きている意味が分からず悩んでいた河瀨直美でしたが、映画制作が人生を考える転機だったと言います。

自らの過去を映画にするという経験を通して、「生きていて良かった」と思えるようになったそうです。

河瀨直美の生い立ち~養子としての学生時代

河瀨直美は、1969年奈良県奈良市に生まれましたが、実は両親から離れ養子として学生時代を過ごしたといわれています。

母親が河瀨を妊娠中から、既に母は父親と別居していたそうで、大伯母夫婦(母方の祖母の姉夫婦)のもとで河瀨直美は生まれています。

その後、河瀨が1歳半のとき、両親が離婚、彼女は大伯母夫婦のもとで育てられることに。ですが子供がいない50代の大伯母夫婦は河瀨に優しく接し、とても可愛がってくれたそうです。

乳幼児の時の両親の離婚の為、彼女は実の父親の顔を知らずに育ったといいます。

その後母親は新しい家庭を築くことになり、河瀨直美が小学校に上がる前に一緒に住まないか、と聞いてきたそうですが、大伯母夫婦と離れたくなかった河瀨直美は、それを拒否し、小学校4年生のときに大伯母夫婦の養子縁組に入ります。

河瀨は中学に入るとバスケットボールを始め、高校在学中はバスケットボール部キャプテンを務めますが、心はいつも両親のことでいっぱいだったようです。

彼女は、国体出場経験もあり活発だったようですが、10代の頃は死ぬことばかり考えていたそうです。
(Juicy News)

「私はなぜここにいるのだろう」「なぜ生きているのだろう」と自問自答の日々。

河瀨は父親に会ったこともなく、また父のことは聞かされていなかったため、役所に行って自ら戸籍を調べたとか。

河瀨直美は、父親の名前や、引っ越しを繰り返していたことなどもその時に知り、自分のルーツを探りながら映画の道に進んでいきますが、そのうち「生きていて良かった」と思えるようになったといいます。

河瀨は44歳の時のインタビューで、

30代半ばまで私の祖先が奄美大島の出身で、私のルーツが奄美大島にあるとは知らずに過ごしてきた。(日経ウーマン)とも話しています。

彼女の映画作品にも出自がもとになったものが見えており、これまでずっとそのルーツをたどってきたものと思われます。

河瀨直美の父親との絆は刺青の噂が?

河瀨直美には刺青の噂がありますが、本当でしょうか。河瀨直美は、あるドキュメンタリー映画のために背中に刺青を彫ったそうです。

彼女は「父親が背中に彫っていて、父との絆を出そうと思って彫った。」(narudora media)

とその理由を話していたといわれますが、実際の画像がなかったり、はっきりとした情報は多く見えず真相はよくわからないようです。

他にもその刺青は、俗にタトゥーといわれるお洒落的なものではなく、かなり本格的なものだともいわれているようですね。

父親についてもそういう世界の人だったのかと思わせるところがありますが、見知らぬ父親とのつながりを探しさまよっていた河瀨にとって、刺青は一種の安らぎであったのかもしれません。

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河瀨直美の養母の看取り

河瀨直美の自身の育ての親である養母の看取りのエピソードにも視線が集まっています。

最初の結婚生活から離婚後、高齢の養母のためを思い、生まれ故郷の奈良市内に一戸建てを買い同居を始めたのですが、2001年はじめ、義母に異変が生じ認知症とわかりました。

養母の夜間徘徊や転倒を気にし、常に注意を払わねばならず、90代になり症状が進行すると妄想や置き忘れなどが頻繁で、彼女自身介助をしながらもいら立ち、精神的に疲れ切っていたといいます。

2003年夏、交際相手の子供を妊娠した河瀨さんは再婚、養母の世話を仕事スタッフや介護ヘルパーに任せ、東京で暮らすようになります。デイサービスや職場、出来る限りのサービスで仕事と介護をこなします。

養父は既に他界しており、この頃実母とも疎遠で、実父に再会はしたものの2000年ごろ他界したとだけ知らされていたそうで、彼女をつなぐ大事な存在はこの養母のみであったといえます。

養母は2012年2月10日、97歳で他界していますが最期の看取りまで一緒にいられたことは彼女の支えとなったことと思います。

おわりに

他に類を見ない女性監督の暴行パワハラ報道で話題となった河瀬直美監督ですが、やはりこうした暴行やパワハラが日常化している彼女のこれまでを振り返るとどうしても彼女の複雑な生い立ちと無関係とは思えない関係がありそうです。
多感な思春期に、こうした自身の両親への疑問や複雑な家庭環境から彼女の人格形成が、やや人より攻撃的になってしまった可能性も否めないのかなと感じつつ、映画監督と言うエンタメ界においてこのようなパワハラや暴行が今後も許されるとも思えません。
こうしたマスコミが報じるパワハラ暴行報道への明確な返答が未だ無い河瀬直美監督の今後の身の振り方に益々注目が集まりそうですね。


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