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福田和子の生い立ち~子供時代から悲惨!息子だけに見せた母の顔

福田和子アイキャッチ 事件

松山ホステス事件として15年もの逃亡生活の末、わずかな時効を目前にして逮捕された福田和子。

彼女の起こした事件も元より15年もの間逃亡して平気で生活し事実婚までしていた彼女の生涯やそのルーツとなる生い立ちはやっぱり悲惨だった。

彼女が求め続けていたモノは最後まで手に入らなかったが、息子にだけ見せた母の顔と子供時代の悲惨な環境を改めて追ってみよう~

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福田和子の松山ホステス事件

1982年同僚だったホステスの首を絞めて殺害してその殺害女性の家財道具一式を奪い女性を山中に破棄。

強盗殺人と死体遺棄で日本中に逮捕状が出るもその後、彼女の逃亡激は15年の時効わずか21日前まで続い事が世間でかなり話題となります。

しかもその15年の間福田和子は顔を整形し、事実上の婚姻関係と言っても過言ではない事実婚状態で老舗の和菓子店にまで入り込んで生活していたことに世間は驚愕しました。

この強盗殺人時に福田には夫も子供もおり夫は、このホステス殺害に死体遺棄にかかわりその後逮捕されています。

そして福田和子には4人の子供がいた。

夫は警察への自首を進めるもこれを拒否した彼女は一人家族を捨てて逃亡生活に入る。

15年もの間顔を変え、人の女になって・・・

1997年7月29日福井県の飲食店で逮捕される。

福田和子の生い立ち~子供時代は売春宿で~

1948年昭和23年に愛媛県松山市に生まれる。

幼少期に両親は離婚。母親に引き取られ、同県の川之江市に移り住むも母親は自宅で売春宿を経営していました。

そんな生活の中母親は漁師と再婚、来島に移り住むが島の排他的な生活に福田親子は耐え切れず、結局漁師の元を離れ母子で今治市に移り住みます。

そんな環境の中、福田和子が高校生の時交際中の男性が事故死した事で自暴自棄になり高校を3年生で中退。

その後知り合った男と18歳で同棲するも、男性と高松市の国税局長の家に強盗に入り逮捕される。

この逮捕で松山刑務所に服役中の1966年に第一次松山抗争で逮捕された、郷田会の関係者が看守を買収して女性受刑者を強姦する松山刑務所事件が起きる。

その被害者となったのが当時18歳で服役中だった福田和子だった。

また福田和子はその後被害者として移監された先である高松刑務所でも同時に同じ被害で強姦の被害者となっている。

それでも被害届を出すことが認められなかったという。

恵まれた環境とは言いずらいこの時代戦後の混沌とした時代でも、今も昔も決してこの先も途絶える事の無い売春という行為を母親が売春宿経営という凄まじい環境で育った福田和子。

その後の波乱に満ちた人生を暗示するかのような生い立ちが彼女のルーツでした。

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福田和子の息子に見せた母の顔

とは言え幾度も場所を変えて転々と15年に及ぶ逃走劇の中、彼女は男を切らす事はなかったと言います。

福田和子は当時34歳で子供4人と夫を残し、さよならも言わずに松山から逃走したあの日からわずか8ヶ月で印刷メーカーに勤める男性と金沢で同棲生活をスタートさせていた。

その後乗り換えるように和菓子屋の旦那に驚きの行動をとる。

彼女は一緒に同棲していた印刷メーカーの男と暮らしていた当時の家財道具一式を全て持ち出し突然、姿をくらましたという。

この変わり身の早さ。

印刷メーカーの男には小野寺忍と名乗り。

和菓子屋の若旦那には小野寺華世と名乗り同棲9ヶ月目に既婚者だった若旦那は嫁と正式に離婚。

その後和子は内縁の妻として若旦那の家族と共に暮らし始めたという。

そこでの折り合いがイマイチつかなかったのが、若旦那と前妻との子供だったという。

そして自身の子供を思い出しどうしても我慢できなくなった彼女は驚きの行動に出ます。

息子に会いに愛媛まで行き、甥と名乗り、和菓子屋に見習いとして働き一緒に息子を呼び寄せ住んでいたといいます・・・

ちなみにこの和菓子屋店、かの松井秀樹の実家が近所だったらしく良く買いに行って当時の福田和子を凄く感じの良い奥さんだったと評しています。

和菓子店福田和子が嫁入りしてからかなり繁盛していたとの事です・・・

4年ぶりに息子と暮らした和子とその生活は長く続きはしなかったものの、最後警察の手が回るとまたも息子に未練の素振りも見せず逃亡生活に突入する。

1988年2月12日逃亡5年6ヶ月。

警察が部屋に入ると間一髪の所を和子は着の身着のままで自転車を盗んで逃走した。

息子を置いたまま・・・

福田和子が求めた平凡な家庭

長い逃亡生活の中彼女が逮捕後に収監された刑務所の中で書いた手紙の内容にこうあった。

私の弱さのせいで男性にたよったこともありますしお酒も強くなりました。
逃亡中にもかかわらず、ぜいたくな生活もしたこともあります。

でも表面だけしかみられてないことがとても悲しいのです。

どんな高級品を身につけても、心の渇きや叫びがいやされるものではありません。

私は一人っ子で育ったのですが、母は商売に力が入っていて欲しいものは不自由なく買ってもらえたけれど心は空虚でした。

だからね。結婚したらたくさんの子供を生んで、にぎやかな家庭を夢見ていたのですがどこかで歯車が来るってしまってこんな数奇な人生を送ってしまった。何もかもなくしてしまったし真実の愛もみつけられなかった。
matome.naver:引用

何から逃れるために15年もの歳月を逃亡生活して暮らしたのでしょうか。

そして彼女自身が求めたモノは本当に平凡な家庭だったのでしょうか・・・

2003年に無期懲役が認定され服役中だった福田和子は2005年5月にわずか57歳の若さで、くも膜下出血でこの世を去っていま

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おわりに

福田和子という凶悪な事件を起こしながら日本各地を美容整形を繰り返し姿を変え、名前を変え、住む場所を変えて彼女が決してたどり着くことのない平凡な家庭を手にしながら犯した罪から逃れた15年間とその後のあっけない死亡までがなんとも福田和子という女性そのものを象徴するかのような人生だったのかも~と思わざるを得ません。それにしても女性としての魅力もたっぷりあったと言われる福田和子。天は決して二物を与えないのでしょうか?今となってはいずこですが・・・儚くも短い逃走劇的人生を生きた女こそ福田和子だったのかもしれませんね。


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