小児性愛者だった小林薫が起こした事件
奈良県小1女児殺害事件の小林薫死刑因。
許されざる事件を起こした彼の生い立ちは
また壮絶な過去があったという。
壮絶な父親からの暴力止めてくれた母親の死
彼には弟しかいなかった。
止められる事が出来る事件だったのか死刑因となり
既にこの世にはいない小林薫死刑因の生い立ちと
事件を振りかえってみよう。
小林薫死刑因の奈良県小1女児殺害事件
2004年11月17日に奈良県奈良市で当時小学1年だった
有山楓ちゃんが小林薫死刑因に誘拐され、殺害・破棄
された事件である。
事件後発覚した彼の自宅から発見された児童ポルノ
ビデオやダッチワイフ女児の下着や衣類が約80枚
押収された事から小児性愛者であることが判明。
わいせつ等いたずら目的の誘拐でした。
誘拐された、女児有山楓ちゃんを特定して狙ったのでは
無く、本人曰く女の子なら誰れでも良かったとの事。
楓ちゃんの死因は水死。
2006年9月26日死刑宣告を受けた時の検察側の主張は
その殺害方法をこう供述。
「水道水を張った風呂場か洗面器に顔を押し付けて水死させた」
だが実際は、いたずらがしたかった小林薫死刑因の殺害
となってしまった真相はこうだった。
「悪戯をするために女児に睡眠剤を大量に飲ませたのちに
入浴させたところ、気が付いたら湯船の中で死んでいた」
2005年4月18日の初公判で述べたように
『厚生する自信も反省の気持ちも全く無い。第二の
宮崎勤として世間に名を残したい』
と語ったように希望通り死刑を宣告されて
ガッツポーズを取ったという・・・
こうなってしまった背景に少なからず生い立ちが
暗い影を落としているのでは~と思える。
許される事ではありませんが・・・
小林薫死刑因の生い立ち~家族
大阪区住吉町で誕生した小林薫の両親は母親と
燃料店を経営する父親とそして、弟との5歳の人家族の
長男として誕生しています。
兄弟は3人兄弟の長男です。
ただこの父親が物心つく頃には相当な暴力をまだ幼い
小林薫に向けてふるっていたらしく、母親が制止していた
らしいですが、その頼りの母親も小林薫が10歳の時3男
出産時に難産の為死亡します。
これ以降更に薫死刑因にたいする暴力は壮絶を増し
そして難産の末誕生した弟にも脳性麻痺が残って
しまったそうです。
その為家族は障害を持つ弟につきっきり。
小林薫死刑因は10歳にして家族から放置され
時に父親からは壮絶な暴力を振るわれ幼少期を
過ごしたと言われています。
この行為がどれだけ屈折した精神状態へと追い込んだ
のか、壊れてしまった一つの要因では~と思えて仕方
ありません。
小児性愛者という嗜好は別として・・・
そして彼は幼い頃から左目だけ視力が極端に弱く弱視で
そんな経緯からも幼稚園時代から中学までの多感な時期を
相当な同級生からのイジメにあって過ごしていたそうです。
家庭での孤独と父親からのDV。そして学校での言われない
イジメ。どこをとっても逃げ場のない彼はどんどん壊れて
いったのでしょう。
小林薫の始めての犯罪
既に自我が出てきた頃には自分の殻の中で異変が起きて
いたのでしょう。
最初の犯罪は高校2年生の時に起こしています。
府内の私立高校へ進学していた彼は高校で入ったクラブ
の合宿で鳥取に行ったとき、宿泊した旅館の近隣で見かけた
女児2人(小学3年生)くらいにいたずらをして逮捕されています。
この時高校2年生でした。
高校卒業後に努めた新聞配達でも新聞配達の契約を捏造して
お金をごまかしたり、集金したお金を持ち逃げしたりと勤務態度も
褒められた状態ではなかったようです。
そしてその後も1989年12月で20歳の時5歳の女の子2人に
服を脱がせてわいせつな行為をして逮捕。
この時は実刑を食らい懲役2年、執行猶予4年、猶予期間中の
保護観察処分となっていました。
でも、もう既に止められない衝動でその後もまたも事件を
起こします。
1991年10月にまたも5歳の女児に首を絞めてわいせつ行為
を行おうとして殺人未遂で逮捕。
懲役実刑3年でした。
この後の1995年の仮釈放後も女の子の衣類や下着を窃盗したり
1996年7月に仮釈放が終了して9月には6歳の女児に身体を触るなど
わいせつな行為をして、その後楓ちゃん殺害へと続くのです。
もはや壊れていたとは言え止める事も治すことも出来なかった
彼の小児愛・・・
ゆがんだ性の対象となった犠牲者を思うと心が痛みます。
こんな事件の経緯の中父親も病死して残されたのは
障害者と二人の弟のみ・・・
最後まで彼は自身が犯した罪を悔いる事なく亡くなって
いったのか定かではありませんが・・・
こうして病んでしまった小林薫に歯止めをかけられる
人物がもしかしたら温かい家庭なら、わずかな希でも
あったのでは~と思えます。
おわりに
幼い命が犠牲となった小林薫死刑因の犯した罪は重すぎます。13年に既に死刑となった彼は死を前にしてやはり後悔の色を見せていたと言われています。犠牲となった楓ちゃんのご冥福を祈るばかりです。
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