連続幼女誘拐殺人事件を起こし死刑執行された
宮崎勤の生い立ちや、家族との微妙な関係と
事件後の一族の末路など調べてみました。
数奇な運命をたどる事となった宮崎勤の幼少期や
母親や父親との関係や一族の末路が悲惨過ぎる事件の
ルーツは何だったのか?
生い立ちから追ってみようと思います。
宮崎勤の埼玉県連続幼女誘拐殺人事件
宮崎勤は、埼玉県連続幼女誘拐殺人事件の
容疑者として逮捕・起訴され、死刑判決が
確定され既に刑死しています。
享年45歳だった宮崎勤死刑因の行った残虐な
事件は今も語り継がれる凶悪犯罪として負の歴史
として残っています。
1989年に女子児童にわいせつ事件を起こそうとした
いたところに被害者の父親により取り押さえられ
現行犯逮捕されました。
逮捕された後の供述通りに遺体が発見され
連続島所誘拐殺人事件の容疑で再逮捕されました。
その後も次々と事件が明るみに出ていき、法務大臣は
「死刑くらいでは収まらない残酷な出来事だ」
との発言をされていました。
当時4歳から7歳の4人の女児児童が小児性愛者であった
宮崎勤にわいせつ目的で誘拐され殺害。
殺害後の遺体に乱暴してその様子を動画に取り遺族に
遺骨を送るなどの残忍な行為で当時の世間を騒然と
させる事件となっています。
精神鑑定も受けましたが、精神分裂病の可能性は
否定できないが人格障害の範囲に留まると判断され
起訴に踏み切ったとの事です。
裁判では、1997年の第一審で死刑判決され、即日
控訴するも東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却
されました。
翌月上告することになりますが、2006年1月に
最高裁判所も上告を棄却、弁護側から判決訂正を
求めましたが、2006年2月に棄却されています。
そして2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行されました。
自宅には6000近いビデオテープと部屋中を埋め尽くす
漫画とで埋め尽くされた状態だった。
宮崎勤の生い立ち~母親から遠ざけた家族
宮崎勤は東京都で裕福な一家の長男として生まれます。
当時の日本では150ほどしか症例が無い
「両側先天性橈尺骨癒合症」という障害を
持っていたそうです。
症状としては手首を回して手のひらを上
に向けるという動作が出来ないというものですが
医者からは「手術しても100人に1人くらいしか成功しない」
と言われていたため、積極的な治療を受けさせなかったそうです。
幼稚園では、お遊戯や頂戴のポーズ等も出来ないた
周囲からからかわれたりして「非常につらかった」
と供述していたようです。
また宮崎勤のことは、祖父とシッターとして雇われた
30代の知的障害を持った男性が面倒を見ていたようです。
母親は宮崎勤の事を可愛がっていたものの、姑の
育児方針の「ベタベタするとロクな人間にならない」
というものがあり、母親が抱っこするのは夜に
なってからだったとか。
小中学時代は英数の成績は上位であり、母親も
「うちの子は英語が得意なの」と自慢していたようです。
中学1・2年生の頃は陸上部、3年生では将棋部に所属し
負けると異常に悔しがり勝利への執着が非常に強かった
一面もあったといいます。
高校は手の障害を気にして、片道2時間もかかる
学校に通っていたそうです。
障害に対するコンプレックスは両親にも隠していたらしく
両親は「英語教師になる為に、遠くてもこの学校を選んだ」
と思い込んでいたようです。
高校時代は全く目立たず、かなり影が薄い存在で
あったそうです。
成績も徐々に落ち、クラスでも下から数えた方が
早いような状態になり、希望していた明治大学は
当然無理で、短大へと進みます。
奇しくもタレントの川崎麻世さんと同じキャンパス
だったようですが、川崎麻世さんの記憶にはさっぱり
残っていないそうです。
当然の結果でしょうが・・・
短大卒業後は伯父のコネで就職しますが、勤務態度が
悪く評判も最悪だったとか。
1986年には「依頼退職」し、家族から家業を
手伝うように持ち掛けられてそれを受け入れます。
この頃からアニメの同人誌を発行したり、多数の
ビデオサークルに加入したりしていたようです。
テレビでの報道でも紹介されましたが、宮崎勤の部屋からは
6000本近いビデオテープが発見されています。
この事件報道からアニメや漫画への風当たり
が強くなった印象がありますね。
またこの頃から家族への暴言暴力などが
目立つようになってきます。
両親や妹に対して殴る蹴るの暴行や、飼っている犬の首を
針金で絞めたりと、異常な行動がみられていたとか。
1988年5月に、宮崎勤の幼少期を世話し
可愛がってくれていた祖父が他界します。
そしてその3か月後に第一の犯行を起こすことになります。
自分を可愛がってくれた祖父の存在は
大きかったのだろうと想像できます。
宮崎勤の生い立ち~家族は障害を恥だと思ってた。
障害のある子だという事で、両親は宮崎勤が
なるべく人目につかないようにしていたようです。
また幼少期に、母親とはよくお喋りを
していたようですが、父親が居間に入ってくると
すっと自室にこもるような事が多かったようです。
この事からも父親との関係が伺えますね。
宮崎勤の一族の末路
事件後には宮崎勤の家族や親戚には
「お前たちも死ね」
「殺してやる」
などの嫌がらせ手紙が大量に送られて来たとか。
父親は自宅を売り、その代金を被害者遺族に
支払う段取りを付けた後に多摩川にかかる
神代橋から飛び降り自殺しています。
他の兄弟は職を辞めることになり、父方の
伯父は5つの会社役員を全て辞職、
もう一人の伯父は旧姓に戻るために離婚、母方の
従兄弟二人も辞職しています。
一人は警察官で一人が学校教員でした。
当然この二人も事件以降退職したそうです。
宮崎には2人の妹がいましたが一人は事件後務めていた
会社を退社、その後結婚予定だった婚約者とも婚約破棄。
もう一人の妹は当時看護学校に通っていたそうですが
途中自主退学したそうです。
全て一般の方であるため簡単な情報しか出ていませんが
やはり大きな影響があるのですね。
おわりに
障害によるコンプレックスや家族との微妙な関係など、その辺りが要因になっているのかもしれませんが、宮崎勤の起こした事件は許される事では無いし、同情の余地はありません。また加害者家族にも大きな影響が出るという事が広く認識された事件でもあった気がします。被害者児童女児のご冥福を祈るばかりです。
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