土谷正実の生い立ち~彼女の別れ両親との亀裂に家族の願い届かず

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土谷正実アイキャッチ

平成の大惨事を起こしたオウム真理教の
教祖麻原彰晃ら含む側近ら7人の死刑執行が
実行されました。

その中のオウム真理教の博士、土谷正実は
生まれは裕福な家庭であったけれど、大学時代から
歯車が狂って行きます。

彼女との別れや実家の家族と最後まで和解される
事は無かった話など、調べてみました。

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土谷正実のオウムへの役割とクシティガルバとして

土谷正実は元オウム真理教幹部で、ホーリーネームは
「クシティガルバ」とされている人物です。

 
オウム真理教内での役割として、教団に省庁制が
採用された後「厚生省次官」「第二厚生省大臣」
というポストに就いていたようです。

メディア等では「化学班キャップ」と呼ばれ、あの
日本史上最大の無差別テロ事件として有名な地下鉄
サリン事件等で使用されたサリンやVXガスの生成、また
LSDの合成などの薬物密造の中心的人物
の一人として
関与していました。

土谷正実の生い立ち~裕福な家庭環境にて

1965年に東京都で生まれます。

 
裕福な家庭に生まれ、5歳下の妹、7歳下の弟が
居るようです。

 
高学歴者の多いオウム真理教の例にもれず、土谷正実も
非常に高い学歴を持っています。東京都立狛江高等学校から
筑波大学第二学群農林学類へと進学し、卒業後は同大学
院科学研究科へ進学
しています。

 
高校時代にはラグビー部でも活躍していたようです。

元々成績は良くなかったそうですが、高校2年の時に
「イオン化傾向」に興味を持ち、科学を勉強し始めて
学年トップとなります。

しかし相性の悪い先生に代わると一気に0点近くになるなど
好き嫌いが激しい面もあったとのこと。

この頃に人間は一生のうちに脳細胞の数%しか使わずに
死んでいく事を知り、

「これを100%近くまで発揮するものがあるはずだ」と考え
ヨーガに興味を抱く切っ掛けとなります。

 
大学時代にもラグビー部に入部するも、早い時期に
重傷を負ってしまい、退部を余儀なくされます。

そこから自暴自棄による酒浸り生活を送ることになり
時間とお金にルーズでだらしない生活を続けていたそうです。

土谷正実の最初の挫折は彼女との別れ

 

大学時代、高校時代から交際していた恋人について
反対する父親と喧嘩になり、仕送りを絶たれたため
新聞配達のアルバイトなどで食いつなぐことになります。

その頃から次第に恋人との仲も上手くいかなくなり
苦しむことになりますが

「体を傷つければ心の痛みを忘れられる」
という、とある漫画でのワンシーンを思い出し
果物ナイフで自らの胸を40cmに渡り切りつけたといいます。

「肉体的苦痛により精神的苦痛が和らいだ」

「この気持ちを合理的に説明するのは宗教だ」

「新たな価値観を掲示する団体が登場したら所属しよう。それまでに得意な科学の能力をより伸ばしておこう」
と考えたようです。

その後恋人と別れ、仕送りも再開されましたが
授業にはあまり参加しなかったようです。

しかし科学だけは熱心に勉強をつづけたのだとか。

大学院時代には、指導した教授からは

「発想力豊で、将来国際的な研究者となる」

と、高い評価を得られたものの、博士課程に進んだ後
オウムにのめり込むことになり、1993年に正式中退しました。

 
オウム入信のきっかけとしては、以前から興味を抱いていた
ヨーガ関係からということになります。

 
1989年頃に同乗していた車の自動車事故により
鞭打ち症を患うことになります。

その時、医師の勧めでヨーガ教室に通い始めるのですが
その頃友人から誘われた麻原彰晃説法会に誘われる事に
なります。

説法自体は遅刻して聞き損ねたそうですが、科学に詳しい
村井秀夫に関心を抱くことになります。

その後に村井の勧めで訪れた道場で
「ここなら本格的なヨーガの修行が出来る」と感じ
「宗教団体との認識を持たずに」入信。

教団のヨーガ指導の通りに実践すると、以前から患っていた
椎間板ヘルニアが快癒することになり、神秘体験も
するようになったそうです。

その頃には「オウム=ヨーガ教室」という認識も改め
麻原彰晃の著作を読んでみたところ大いに感銘を受け
オウム入信を母親に報告したようです。

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土谷正実の両親の必死の願い叶わず

母親は修行内容を聞いて、心配で脱会するように
説得したようですが叶わず

「他人を絶対勧誘しないこと」

「毎月実家に帰ること」

「修士は取ること」

という約束を交わすに留まることになります。

しかし土谷正実は、博士課程に進学するも
6月には通わなくなり、修行に専念し始めます。

また、両親に知らせずに引っ越し、母親との約束で
あったはずですが、実家にも帰らなくなってしまいます。

そして高額なオウム教材やセミナー参加費の為の
借金がかさみ、多数のアルバイトに明け暮れ、バイトで
稼いだ50万円以上も全額教団に注ぎ、正常な思考能力を
徐々に失って行ったといいます。

1990年にシークレットヨーガと言われる個人面談で
初めて麻原彰晃と対面します。

「尊師が空であり、海であり、太陽である」

と感じ、尊敬の対象が実父から麻原彰晃へと
移って行ったのだとか。

周囲に借金をし、学習塾講師・家庭教師の立場を利用して
教え子の中高生数人をオウムへ入信させたりしていたようです。

結局母親との約束の大半は守れなかったようです。

土谷正実が入信させた高校生の親からの抗議を切っ掛けに
オウム教団との様々な攻防が繰り広げられます。

土谷正実は茨城県にある厚生施設「仏祥院」の独居房
「反省室」に監禁され説得を受けたとの事ですが
聞く耳持たなかったそうです。

仏祥院での監禁開始から2週間ほど経ったころ、つくば
警察署から土谷家に「筑波大学助教授殺人事件捜査」
について問い合わせの電話があり、母親は居場所を伝えますが
この電話をオウムが盗聴しており、土谷正実の居場所が
ばれてしまう事になります。

その後は父親の勤務先や土谷家の周辺に誹謗中傷の
ビラを撒いたり、家に火をつける等の嫌がらせ電話や
無言電話が多数かけられ、仏祥院周辺では24時間体制で
張り込んで麻原彰晃の説法やオウムの歌「真理のたたかい」
を朝から晩まで流し続けたそうです。

 
そんな中、土谷正実は、両親と弟妹、自身が勧誘した
生徒の親らの前で、仏祥院の合田氏から
「オウムを辞めると言わなければ殺す」と言われ

さらに自身の母親からも

「いえ、私が殺します」
とまで言われたようです。

母親からの「殺す」という言葉に大きな衝撃を受け

「もう帰る場所はない、オウムで生きていくしかない」
と、思いつめる事になったようです。

その後は、家族にもオウムを辞めたフリをして人身保護請求の
裁判に備えて泊まっていた帝国ホテルから、隙をついて母親の
バッグから現金を抜き取り脱走し、オウム道場へ逃げ込んだ後
オウム真理教富士山総本部で出家したそうです。

そして様々な凄惨な事件を引き起こし、逮捕後の公判でも

「自分を判断力のない赤ん坊か廃人扱いした両親を許さない」

と証言し、洗脳が解けた後でも家族との和解は
なされなかったようです。

最後までオウムに狂ったまま精神状態が正常に戻る事の
無かった土屋正実の母親の心境を想像しただけでいたたまれ
ません。

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おわりに

土谷正実は彼の証言で言っていましたが、十分に「判断力のない人」だと思います。というか「判断力が無いけど行動力がある」という最悪なパターンではないでしょうか…。薬品密造に関わっていた土谷正実が、オウムに傾倒することなく真に心身鍛錬としてのヨーガを行っていれば、多数の残虐事件の結末は違ったのでしょうか…

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