オウム真理教の教祖麻原彰晃とその側近である
早川紀代秀死刑因。
オウムの中でもナンバー2と言われていた彼が
裁判中に号泣した事も話題になった彼が何故
大手ゼネコンに勤務し、家族もある身でありながら
オウムに心頭していったのか?
大手ゼネコン出身の元オウム真理教幹部
早川紀代秀は幹部の中ではもっともはやく
洗脳が解けたと言われています。
早川紀代秀の生い立ちや経歴に教団内での
役割などを調べてみました。
早川紀代秀のオウムへの役割とティローパとして
早川紀代秀は元オウム真理教幹部で、ホーリーネームは
「ティローパ」とされている人物です。
オウム教団内では「建設省大臣」という役職に
就いていたようです。
大手ゼネコンに所属していた経緯もあり、その経験などを
買われて土地の売買や不動産交渉などを担当していたようです。
その他にもオウムが起こした色々な事件の計画立案や
海外での活動も多く、麻薬密輸から武器調達等の計画執行
準備全般に関わっていたといいます。
また麻原彰晃に代わって事務的な役割も一手に引き受けて
いたようで、オウム事件一連において大きな責任を
問われる事になったとみられます。
影の交渉人であったことから、週刊誌などである事ない事
書かれるようになったとのことですが、早川紀代秀と
面会した弁護士によれば
「単なる宗教好き、精神世界好きのおじさん」
と評されているようです。
また青年幹部が多い中、早川紀代秀は唯一
麻原彰晃よりも年上です。
普段は温厚な人間ですが、怒ると怖いとの
評判もあったようです。
麻原彰晃と初対面の時にも、遅刻してきた
麻原彰晃に怒っていたとの話もあります。
当時早川紀代秀より上の立場であった上祐史浩に
対しても怒鳴りつけることもあり、裏のNo.2と
呼ばれるほどの影響力があったといいます。
そして麻原彰晃の洗脳から抜け出したのが
一番早い人物でもあります。
麻原彰晃は弟子の逮捕理由を「銃刀法違反」と
予言していたようですが、実際は「建造物侵入罪」
であった事から、
「弟子の逮捕理由を見誤るとは、予言能力はないのではないか」
との疑念を持ったようです。
真剣に信じていたのですね・・・麻原を・・・
予言能力なんてあるわけないのに・・・
また逮捕後も
「麻原尊師が不利になることを言うな」等と
弁護士から言われ
「麻原は自分の身を守ることしか考えていない」と感じ
麻原の人格を疑い始めたそうです。
その後も予言していた核戦争勃発で放射能被害を
受けるはずだった村井秀夫が刺殺された事や、麻原は
癌を患っていたという話が嘘だった事などを知り
幻滅して行ったようです。
そして、麻原彰晃は逮捕後に自殺を図ろうとしていたが
出されたカレーライスを食べたくてそれを断念した
という俗物的一面を知った事が決め手になったようです。
このカレーライスは今回死刑執行された側近ら大半が
ドン引きだったと言われています・・・
たかがカレー、されどカレーって感じです。汗
早川紀代秀の生い立ち~
早川紀代秀は1949年に兵庫県に生まれます。
家族は両親と兄との4人家族のようです。
幼少期等の情報はメディア等で取り上げられた
ことも無いようですし、普通に順風満帆な
家庭で育ったと思われます。
1979年に結婚して奥様は見え、同じオウムに妄信した
信者として知られていますが、子供さんが見えるとの
情報は見つかりませんでした・・・
早川紀代秀の学歴と家族の今
大阪府堺市に引っ越し、大阪府立三国丘高校から
神戸大学農学部に進学します。
その後は大阪府立大学大学院で緑地計画工学を
専攻します。
非常に優秀な学生だったそうですが、大学生当時には
学生運動にも参加していたため、公安にマークされていたとか。
修了後は教授の斡旋により鴻池組に就職したようです。
学生当時から心理学や世論形成などに関心があり
世論調査をする会社等の存在を知らず、勧められる
まま建設業界に進んだとの話もあります。
鴻池組では社長賞を取るなどの働きも見せますが
自身が専攻していた緑地計画工学から緑地を主体とする
発想をするため、上司とよくぶつかっていたといいます。
1979年に結婚し、その頃には世論調査請負の会社の
存在を知り、翌年1980年に退職しています。
自身のやりたかった環境関係の仕事をするために
世論調査などのリサーチ研究所に勤務し、その
後独立して会社経営も行っていました。
この頃の早川紀代秀の評判は「いいやつ」「頭が良い」
「ノンポリ(政治運動に関心がない人)」「口数少ない」
など様々ではありますが、基本的に善良な気さくな
人間だったようです。
社会人になった頃からSFや超常現象に関心を持ち始めていた
早川紀代秀は、1984年に新興宗教阿含宗に入信し、その後
麻原彰晃の著書に共感を覚え、1986年にはオウム神仙の
会に入会、翌年には出家しています。
早川紀代秀の妻も同じ思想を持っていたようで、共に
オウムに入信していたようです。
妻は最後まで連れ添い、逮捕後も面会に通って
いたとのこと。
それ以外に家族についての情報はあまり
出回っていないようですね。
お子様も恐らくは見えたのではないでしょうか・・・
気の毒ですが・・・
おわりに
早くに洗脳が解けたという話から、比較的まともに近かった人なのかもしれません。もちろん許されざる事件を起こした一人ですから同情の余地はないです。しかし、死刑執行された他の死刑囚にも言える事ですが、オウムと関わらない少し違った機会があればこんな事にはならなかっただろう人材という意味では残念ですね…。
コメント
この人は年齢が他幹部より少し上という事でマスコミにも余計にある事ない事、書かれたようです。兄はおらず、ひとりっこ。また、学生運動とは距離を置いていて、当時公安にマークされたという事もありません。これらは裁判でも出ているので書き込ませて頂きました。自分はオウマーです。
あと、奥さんは >オウムに妄信した信者、ではないようです。早川さん出家後も離婚せず、その後オウムが事件を起こすようになり夫が90年12月に国土法違反で逮捕、保釈中にオウムから短い間ですが夫婦で共に離れる事ができた時に教団から身を引いてほしい、と思ったそうですが、早川さんはすでに(妻は知らないが)過去の事件に関わっていたので抜けられない、自分と一緒では妻は幸せにはなれない、と思い「離婚してもええで…」と言ったら奥さんは涙をいっぱいためて、「いやや」と言ったそうです。
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