池永チャールストーマスの起こした
世間を騒がせたストーカー刺殺事件の
流れと、犯人池永の生い立ちを調べてみれば
母親は酷いネグレストだったという事実が
解りました。
そこから池永の異常な精神構成がされたのでは
ないかなどの考察がされているようです。
リベンジポルノと言われたこの事件の背景と
彼の生い立ちを追ってみよう~
池永チャールストーマスの三鷹市女子高生殺害事件
三鷹市女子高生殺害事件とは、フィリピン人ハーフの
池永チャールストーマスが、フェイスブックを通じて
知り合った事件当時18歳の女子高校生鈴木さんを
ストーカー行為を経て刺殺した事件です。
鈴木さんは小学生の頃からタレントとして活動し
スクリーンでの女優デビューも果たしていました。
2011年、当時スーパーやコンビニでアルバイトを
していた池永と、鈴木さんは出会います。
フェイスブック上でしつこく絡まれていた
という彼女を英語に堪能であった池永が彼氏役を
演じ撃退したというのがきっかけといいます。
京都に住む池永が東京に出向き、自身はフリーターで
あったのですが立命館大学の学生だと偽り、彼女も
それを信じていたようです。
月に数回会う程度の遠距離恋愛が始まりますが
池永はフェイスブックを見て彼女の浮気を疑います。
しかし浮気していたのは池永の方で、当時出会い系
サイトで知り合った24歳の女性と男女関係になって
いたとのこと。
性行為の動画を撮られたと感じたその女性は池永の
ノートパソコンを確かめると、大量の女性の裸の
写真があり、池永が写り込んでいる画像もあったとか。
女性の方から別れを告げると、池永からメールが
送られて来たそうです。
送られてきたメールに貼られてあったURLを開けば
以前に撮られた動画がアップされていたそうです。
元交際相手が拒否された仕返しに、認めていない
動画や画像などを無断でアップするという
リベンジポルノです。
この時は女性とその友人男性からの抗議などがあり
池永は謝罪して動画を削除したようです。
東京の鈴木さんは、この女性と池永との関係は
知る由もなかったようですが、何かしらの不信を
感じたのか、2012年の秋に海外留学を切っ掛けとして
池永に別れを告げます。
その後2013年に帰国してから、池永は強く復縁を
求めたといいますが、鈴木さんは決別を決意し
池永の携帯番号を着信拒否に。
池永は後輩の携帯電話を借りるなどして執拗に
連絡を取ろうとしますが、鈴木さんは池永の
新しい番号だと思い改めて着品拒否にしたようです。
9月27日に、池永は夜行バスで上京。28日には犯行に
使われるペティナイフを購入しています。
その後鈴木さんの自宅周辺で池永と見られる男
が何度も目撃されたとの報告もありました。
10月2日には海外の投稿サイトに、鈴木さんの
画像や動画がアップロード。
下着姿や一糸纏わぬ裸など全部で60点以上に
及び性〇為と思われる1分程度の動画なども
アップロードされていました。
またしても池永のリベンジポルノです。
10月8日、鈴木さんは両親と一緒にストーカー被害を
相談する為に三鷹署を訪れます。
三鷹職員は池永に連絡しようとするも電話に
出なかったため「三鷹署まで連絡が欲しい」と
留守録を残しますが、その番号は以前に池永の
新しい番号だと勘違いした、池永の後輩の番号
だったようです。
同日の午後、池永は鈴木さん宅へ侵入します。
隣家のエアコン室外機をつたって、鍵のかかって
いなかった2階の窓から入り、鈴木さんの自室
クローゼットに身を潜めたといいます。
そのクローゼットの中から、京都の友人へ
LINEを送っていたようです。
「ふんぎりつかんから、かなりストーカーじみたことをしてる」
「元カノの家の押し入れにて」
など、送っていたようですが、受け取った
友人は訳が分からず何かの冗談だと思って
いたようです。
帰宅した鈴木さんが三鷹署員からの帰宅確認の
電話を終えた後、クローゼットから飛び出し
手にしたペティナイフで鈴木さんを襲います。
道路まで逃げた鈴木さんにまたがり、首や
背中など11か所を刺して殺害しました。
現場から逃走した後、また友人にLINEを送っています。
「被害者。無差別では無いです。恨みがありました」
などと言い訳なのか犯行声明なのか、そんな
コメントと共に、リベンジポルノのURLが張り付けて
あったそうです。
リベンジポルノ拡散について、池永は法廷で
「自分の存在証明」と開き直っていたといいます。
東京地裁で行われた第一審は求刑・無期懲役に
対して懲役22年の判決が下されますが、起訴されていない
リベンジポルノ行為まで処罰し刑を重くした恐れが
あるとして第一審判決を破棄、審理を差し戻します。
その後差し戻しの一審判決は差し戻し前と同じ
懲役22年となり、東京高裁が一審判決を支持し
控訴棄却して懲役22年が確定しました。
池永チャールストーマスの母からの壮絶ネグレスト
池永は日本人の父親と、フィリピン人の
母親の間にマニラで生を受けます。
フィリピンでは仕事が無く、母親は日本で
働いていたようで、池永は母方の祖父母と
メイドの手で育てられていたようです。
1歳10か月の頃に両親のいる日本に
来ることとなったそうです。
日本に来てから半年ほどの間は実の両親との
3人で暮らしますが、父親からの虐待を
受けていたようです。
また母親は貞操観念にだらしなく、結婚していながら
多数の男性と関係を持っていたそうです。
その相手の中にはアルコール中毒者や暴〇団関係者も
居て、池永はそれらの男性からも酷く虐待を
受けたそうです。
池永が4歳の頃に両親は離婚し、母親はアル中男と
同棲内縁状態になります。
ホステスをしていた母親は夜には不在になり
その間にアル中男から拷問レベルの酷い虐待を
受ける毎日。
母親がアル中男と旅行に出かけたりした場合
置いて行かれた池永は飢えをしのぐために
コンビニ店長の好意で廃却するお弁当を
貰ったりしていたようです。
池永チャールストーマスは精神崩壊か?
光熱費や家賃滞納などを繰り返す母親のせいで
中学3年生までの間に7回も引っ越しをすることになり
当然長い期間の友人なども出来ず、他人の立場に
立って物事を考えるという能力が育たなかったと
みる声もあります。
育児放棄状態の母親であることから、児童相談所に
2度保護されたこともありますが、結局母親の元で
育って行くことになっていました。
もし母親から切り離して育てられたら違う
結果になったかもしれません…。
おわりに
この事件以外でも、酷い幼少期を過ごした人間が、大人になってからヒドイ事件を起こすという話を聞く事がありますよね。事件が起こってから、どうにかならなかったのかという話になるのは遅いという事は解ります。しかし、ホント、どうにかならなかったのでしょうか…。女優への道も開け、夢も希望もあっただろう彼女のご冥福をお祈り申し上げます…。
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