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豊田亨の生い立ち~実家の家族は全員教員の元東大生の転落と目覚め

豊田亨アイキャッチ 事件

教祖の麻原彰晃はじめ側近らの死刑執行から
残る死刑因としてきたる死刑執行を待つ身の
一人である豊田亨死刑因。

オウム真理教元幹部の豊田亨は、祖父の代からの
教員一家で生まれ、自身も東大出身の高学歴です。

実家の両親や妹ら家族が教育者である彼自身も
性格も良く優秀な人だったそうです。

しかし何が彼を狂わせてしまったのか、また
洗脳から目覚める切っ掛けはどこだったのかなど
調べてみました。

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豊田亨のヴァジラパー二として~

 

豊田亨はオウム真理教の元幹部で、ホーリーネームは
「ヴァジラパーニ」とされています。

 
元々は教団内ステージは師長だったようですが
地下鉄サリン事件直前の尊師通達で正悟師に
昇格したとのこと。

省庁制採用後は「科学技術省次官」の一人として
活動していました。

教団内で核開発を担当し、オーストラリアに
「豊田研究所」を持っていたようです。

 
地下鉄サリン事件ではサリン散布の実行犯の
一人として行動し、その他にも東京都庁小包
爆弾事件、新宿駅青酸ガス事件や自動小銃密造
事件等多くの事件に関与し、起訴されて死刑
確定囚となりました。

教団内で選挙出馬が行われた当時は、まだ
22歳で被選挙権が無かったので、お面をかぶって
麻原彰晃の横で歌って踊っていたそうです。

豊田亨の生い立ち~実家の家族は教員一家

 

豊田亨は、1968年に兵庫県で生まれます。

生まれた家は祖父の代からの教員一家だそうで
父親は高校の体育教師、祖父は校長まで務めた
高校の生物教師、弟は哲学の教師、妹の夫も
高校の教師だそうです。

実家の前には禅宗の寺だったらしく、死の
恐怖を身近に感じていたといいます。

 
兄弟等の家族構成情報は詳しくは明らかに
なっていないようですが、本人の学生時代の
評判は非常に良く、性格は誠実温厚で明るい
ナイスガイ、関西弁でジョークを飛ばす好人物
だったと評されています。

また、物理学の他にもギターや少林寺拳法など
多才な一面もあったとか。

 
白陵高等学校を経て、東京大学理学部物理学科を
卒業
、素粒子理論を専攻し、東京大学大学院理学
研究科物理学専攻修士課程を修了
しています。

その後同博士課程に進学しています。真面目で
慎重な人柄で、高校時代は校則違反になるからと
喫茶店などにも寄らず、事故を起こすリスクを
考えて自動車免許もとらないほどだったそうです。
 

後のインタビューで、父親は

「気が弱く大人しい、正直で慎重な子だった」

「放任主義で育てていたが、躾は母親に任せていた」

と語っています。

 
放任主義で育てるというのを実行するのは、非常に
リスクが高いものと考えられます。

放任主義できちんと育つには、ほんとに小さな
ころから自尊心を育てるように愛情たっぷりに
接していないと成り立たないといいます。

他人の子供に厳しく指導を行っている教師は
自分の子供に向き合えない親になることが多い
という事例に当てはまっていなかったのか
気になるところです。

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豊田亨も元東大生の転落の始まり~

 

周りから認められる好青年であった豊田でしたが
大学入学年の1986年に麻原彰晃の著書を東京駅で
見つけた事を切っ掛けに「オウム神仙の会」
入会しています。

 
この当時は「前から少し気になっていたヨーガの教室に行ってみるか」
という程度の感覚だったとのこと。

しかしその後、博士課程を1か月経たないうちに
中退、出家しています。

豊田亨の洗脳からの目覚め

 

豊田亨は、前述した多くの事件に関わっていますが
裁判においての証言は、淡々と冷静に証言するだけでした。

「自分がした行為は人間として許されない」

「このような事件が2度と起こらないようにするのが極めて当然である。あのようなことをした人間が生きていること自体が申し訳ない」

地下鉄サリン事件の遺族に宛てた手紙の中では

「裁かれる者として、遺族・被害者の方の不快感を増大させる言動を慎むことが最低限のとるべき態度だと考えます」
と述べています。

 
1999年に行われた豊田・杉本繁郎の公判に麻原が
証人として出廷した際には、麻原が意味不明な
発言などを繰り返したため

「松本被告、僕は今日何も言わないつもりできたんですけれども、今日のあなたの態度を見て考えが変わりました。あなたは本当にグル(「指導者」「教師」「尊敬すべき人」等の意味)なんですか」
 

と麻原に問いかけますが、麻原彰晃は
何も答えなかったようです。

 
この時から豊田の気持ちは麻原彰晃から
離れていったと思われます。

 
事件について父親が語ったコメントがありました。

「こんな大事件を起こして責任を取るのは当たり前です。私たちはここに減刑の嘆願に来ているわけではないんです。ただ被害者の方に謝るだけです。すんません。つらいです。なんでやねん、なんでやねんと、そればっかりなんです。頭の中をぐるぐると回って、私の頭ではわからないです。」

 

文字通り、どうして良いか解らないと感じるほどの
事を仕出かしたわけですから、親としても
やり切れないでしょうね…。優秀な青年だったはずなのに、と。

一体どこで歯車が狂ってしまったのか・・・今となっては
それしかないのかもしれませんね。

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おわりに

豊田亨も元々は好青年で高学歴のエリートだったということですが、そんな優秀な人ほど、宗教に縋りたい何か悩みのようなものを持っているのかもしれませんね…。今月上旬にようやく死刑執行をされた教祖の麻原彰晃と側近ら6人の同時死刑執行後きたる今月中には残る死刑判決のオウム関係者の死刑が執行されると言われています、彼は今何を思っているのでしょうね。ともあれ二度とこういう事件等が起きないようにと、被害者の方のご冥福を祈ることしかできません。


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