菊地直子の生い立ち~高橋克也との逃亡生活と無罪判決の理由とは

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菊地直子アイキャッチ

教祖の麻原彰晃ら側近の死刑執行から半月が
経とうとする中死刑執行直前の死刑因の情報
などが生々しく流れ出しています。

そんな中忘れてならないのがオウム信者としては
異例の逃亡生活を送っていた菊地直子です。

元オウム真理教の教徒菊地直子は17年間も
逃亡生活を送り、性的行為も強要された高橋克也との
逃亡生活の後、普通の一般男性と結婚生活的も送って
いた事で話題となった女性です。

そのビジュアルもかわいいと言われ評判だった
彼女の裁判では意外にも無罪判決が下されました。

その無罪判決の理由など追ってみました。

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菊地直子の生い立ち~

 

菊地直子は、1971年に埼玉県で生まれます。

父親の仕事の都合で転居を繰り返すことに
なったそうですが、後に大阪市に居を定め
地元の小学校に通っていたそうです。

父親は大学教員でとても厳格だったそうで
教育熱心な家庭に育ったようです。

低学年からピアノを習い、偏差値70を超える
大阪教育大学付属天王寺中学校に入学、その後
付属高校天王寺校舎に進んでいます。

 
優等生タイプで成績はトップクラスであり
真面目で優しく人望が厚かったといいます。

 
高校3年の時にオウム真理教に入信し、高校でも
陸上部に所属していたことと、爆発物原料の運搬を
担っていた事から「走る爆弾娘」などと呼ばれて
いたようです。

 
また菊地直子には弟が居るようで、菊地の出家
当時には有名進学校に通っていて、後に国立大学の
医学部に進学しているそうです

家系的にも彼女自身も家族もかなりの高学歴だと
言う事が分かりますね。

菊地直子と高橋克也の逃亡生活が闇

 

菊地直子は、1995年3月に起こった地下鉄サリン事件に
関与したとして特別指名手配され、2012年6月に逮捕
されるまで、17年間の逃亡生活を送りました。

 
最初は林泰男と行動を共にし、カップルを装って
いたといいます。

4日ほど千葉県に潜伏した後、すぐに愛知県名古屋市へ移動。

水商売に就いていた女性信者が暮らす寮に住み付きます。

林泰男は水商売をしていた女性信者と生活を共にすると決め
菊地には他の男と逃げるように言ったそうです。

 
菊地直子が次に身を寄せたのは埼玉県所沢市で、オウム信者
男性4人と生活を共にしたようです。

しかし1996年に一緒に潜伏していた男の一人が警察に
出頭し、そこから次々と捕まっていき、菊地がアパートに
入った時には他の信者たちは居なかったといいます。

 
所沢から逃げた菊地は、高橋克也と二人で新横浜や
川崎のラブホテルを転々としたようです。

逃亡資金が尽きた頃、役所で人が書き込む書類を盗み
見して、他人に成りすますことにしたとの事。

 
当時は名前と住所の申告だけで住民票が手に居れる
事が出来た為、菊地直子は「櫻井千鶴子」という
名前を手に居れる事が出来ました。

 
そして高橋克也と二人で川崎に借りたアパートで
2年間くらし、菊地直子は人材派遣会社に登録し
事務の仕事に就いていたようです。

 
菊地の手記によれば、高橋に
「無理やり性行為を強要された」という主旨の
書き込みが見つかり、高橋と二人で逃げる間にも
泊まるたびに高橋は菊地に性行為を迫り、それで
菊地は精神的に嫌になっていたといいます。

 
その性行為も、高橋克也は自分勝手な行為ばかりを行い
菊地直子はその要求を、たとえ変な要求でもなんでも
受け入れていたといいます。

変態的行為も受け入れるままという、高橋克也の
性欲の奴隷と化していたと言われています。

理解不能な流れです・・・

 
菊地は2006年に派遣先が横浜の物流倉庫に代わり
その頃には高橋克也とは別行動になっていたようです。

 
また、その職場で知り合った男と付き合うように
なったとか。

男は菊地に結婚を申し込み、菊地も交際相手に真実を
打ち明けたそうです。

それでも男は菊地と暮らすことに決め、ウェディング
ケーキとタキシードで記念撮影を行いました。

 
その後、菊地は以前にもまして大胆に行動するようになり
新婚旅行として広島や四国などへ旅行し旅行先各地で
記念撮影まで撮っていたようです。

 
2010年には相模原市の古い一軒家に引っ越し、周辺の
住民にも二人は仲の良い夫婦だと思われていたようです。

 
2012年に菊地の交際相手が兄を東京に呼び出し、全てを
打ち明けたと言われています。

そして兄が警察に「菊地に似ている女性を見かけた」
と通報し、菊地直子は逮捕されました。

 
取り調べで菊地は

「麻原は嫌いです。でもオウムの教えは正しいと思います」
 
と語っていたそうです。

やっぱり思考はヤバいままだったみたいです・・・

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菊地直子が無罪判決だった理由

 

第一審では、求刑懲役7年のところ、懲役5年の
判決を言い渡されますが、即日控訴して2015年に
控訴審が始まり、改めて無罪を主張し11月には
無罪判決を受けて釈放されました。

 
第二審では

「一審判決の判断は、経験則、論理則に反する不合理な点が少なからず見受けられる」

 
菊地が運んだとされる薬品が毒劇物に指定されており
取り扱いに注意を要するという意味で危険なもので
あったとしても、直ちにテロの手段として用いる毒ガスや
爆発物を製造することを思い起こすことは困難であると
見られています。

また、薬品を持ち込んだ居室内で爆薬が作られていることの
認識も認められないとして爆発物取締罰則違反幇助罪は
成立しないとされています。 

「一審判決の根拠となった井上嘉浩の証言は合理性を欠く」

 
二審での事実取り調べによれば、井上らは、他に
重要な役割を担って住居に出入りや居住していた
信者らに対しても活動の内容や目的を秘匿していました。

また当時、菊地は土谷の助手であって井上の部下などではなく
教団におけるステージとしても一般信者の2つ上である師補という
立場にあったに過ぎないのであって、この菊地に対し井上が殊更に
ねぎらったというのは

「不自然といわざるを得ない」とされています。

また井上らは、菊地以外の住居に出入りしていた
女性信者2名に対して活動内容や目的を秘匿しており
「井上証言は信用できない」とみています。

「長期間逃亡をもって殺人未遂幇助の意思を認定できない」

 
自身が地下鉄サリン事件等で指名手配を受け、薬品運搬を
していた事実があるうえで「事情を知らずに関与した」
と菊地が思っていた教団信者が有罪判決を受けたことも
認識していたのであるから、処罰を恐れて長期間逃亡
していた事実を持って殺人未遂幇助の意思を認定
することもできない。

 
などの認定のうえ、無罪判決を下しています。

 
一連のオウム真理教事件で起訴された教団関係者は
193人にも上りますが、そのうち無罪判決を受けたのは
菊地直子と杉浦実のみであるそうです。

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おわりに

結局何に使うのか知らないままに材料を運んだだけ、同じく内容を知らないはずの仲間たちが次々と有罪判決を受けていたために逃亡を続けたって事なのでしょうけど…高橋克也に性的奴隷扱いされるくらいなら出頭した方が良かったのではとも思いますが、彼女からすれば違ったのでしょうかね。かなり理解に苦しみますが、無罪となった今彼女はこれだけの羞恥的な事実が明らかとなりどこでどうやって生きているのかが気になりますね。何と言う波乱の人生か・・・

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