川俣軍司の生い立ち~祖父の仇討ち?現在も存命の深川通り魔事件

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川俣軍司アイキャッチ

平成が終わろうとする中昭和後期の56年に
起きた深川通り魔事件の犯人川俣軍司。

薬物中毒者の起こした無差別通り魔事件として
逮捕された川俣軍司の生い立ちとそのルーツを
辿ると、彼の殺害された祖父と、深川通り魔事件の
被害者との関係にまさかの因縁があった。

死亡者4名負傷者2名の被害者を出しながら死刑に
ならなかった彼の出生後や現在も同時に追ってみよう。

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川俣軍司の深川通り魔事件

1981年6月17日に起きた深川通り魔事件は
無差別通り魔事件として知られています。

この事件の犯人川俣軍司は罪もない通行人を
次々と刺し、怪我人2人死者4人の被害者を
出しました。

事件は東京都江東区森下二丁目にある商店街で
起きました。

この時川俣は既に寿司職人の面接に何度も落ち
新大橋通りから最後の希望を込めて電話をして
いました。結果は不採用・・・

落胆した気持ちで向かったのは事件現場です。

もしここで寿司職人の面接に受かっていれば事件が
起こらなかったとは言えませんが、既に異常な
精神状態だった彼を爆発させたきっかけには
なったのでしょう。

持っていたカバンには柳刃包丁が入っていたので
彼はこのムシャクシャした気持ちを他人にぶつけたい
と考えます。

そして取り出した柳刃包丁を握った彼の視線の先には
母親が幼い子供を連れて歩いていました。

最初に1歳の長男をそして母親と3歳の長女を刺殺し
近くの居酒屋の前を歩いていた女性も殺害。

更に71歳女性にも重傷を負わせその近くの店から
出てきた女性の手首にも2週間の重傷を負わせます。

この女性は刺されるのを防ぐ為に咄嗟に包丁を
素手で払ったそうてす。

複数の人を無差別に襲った川俣ですが警察への
通報を恐れたんでしょうか、中華料理店の前を
通行中の女性を店内に連れ出し人質にして立て籠ります。

偶然店は準備中で客の姿はなく中華料理店の店員と
家族も人質することにします。

その後隙をみて店員の家族は脱出。

警察は川俣の説得を何度も試みましたが全く応じず
全て不調に終わります。

そして午後6時50分頃には女性も何とか脱出し、これを機に
警察が突入しました。

川俣は包丁を振り回し抵抗するも、最後は警察官に
取り押さえられ逮捕されます。
川俣軍司現在

中華料理店から連れ出された彼の姿は白のハイソックスと
白いブリーフ更には口に自殺防止の布をされた異様な
姿でした。

事件の凶悪性もさることながら、逮捕時の犯人の姿にも
強烈なインパクトがあったことから瞬く間に世間の
注目を集めた事件です。

川俣軍司の生い立ち~

連続通り魔事件という凶悪事件を引き起こした
川俣軍司とはどんな人物だったのでしょうか。

川俣軍司は1952年2月21日に茨城県鹿島群波崎町
太田で誕生し、母親とシジミ漁の漁師をやる父親の
元で5人兄弟として育てられました。

当時の彼はそれはもう大人しい少年だったので
喋ることはほとんどなく友達も少なかったと
言われています。

そして小学校・中学校では成績が悪かったのですが
同じ地域にある波崎高校は進学率もよく父親から
勧められました。

しかし苦労している父親を放っておけない彼は
進学をしませんでした。

寿司職人を目指し活動を始めたのは中学校卒業後です。

最初は東京築地の寿司屋で働いていました。

入って数年は真面目に働きある程度の信頼を得ましたが
新しく採用された新人と反りが会わず辞めてしまいます。

しばらくは真面目に働いていた川俣は江戸川区小岩の
寿司屋に就職します。

この時の先輩が刺青を入れていたのを見た彼は自分も
入れてもらうことになります。

彼は刺青を入れたのが余程嬉しかったのでしょう、客に
勧められた酒に酔った勢いでこの刺青をちらつかせ
絡みます。

これがトラブルに発展し折角就職した店を解雇されます。

この頃から犯罪に頻繁に手を染め都内の寿司屋に
就職してはすぐ解雇される日々を送ることに・・・。

寿司職人は諦めたのか地元に戻った彼はトラック運転手や
土建屋へ転職しますがいずれも長続きしません。

この頃には窃盗や恐喝等の数々の犯罪を繰り返し
刑務所に服役しては出所することを繰り返します。

1977年に出所してからは実家のシジミ漁を真面目に
手伝いますが、しばらく経つと両親にも暴言を吐く
ようになります。

耐えかねた両親が家出をしてから少しの間は
弟に仕事を手伝わせて仕事を続けます。

ところが1978年5月に漁船を売却し仕事を辞めてしまい
またもや犯罪を行った上職を転々とします。

そして母親が亡くなると葬儀の席で弟と喧嘩をして
暴行罪で逮捕されます。

この頃から既に覚せい剤を使用したのでしょうか?
幻聴が聴こえ勝手な思い込みで妄想することが
多くなったと言われています。

そんな不安定な精神状態の中で寿司屋に面接に
行きましたが採用されるはずはありませんでした。

この頃から覚醒剤にも手を出し自らの精神に
歯止めが効かなっていたといわれています。

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川俣軍司の逮捕歴と薬物歴が闇

川俣軍司については犯罪行為の数が驚くほど
多くあり、服役をして反省したかと思ったらまた
逮捕され服役しています。

子供の頃は無口だったということですので、周囲と
円滑なコミュニケーションを取れなかった可能性が
あります。

それは大人になっても続き人間関係でのストレスを
酒を飲むことで解決しようとします。

そしてちょっと何かあるとすぐ酒を浴びるように飲み
周りに当たり散らしていたのでしょう。

ですので暴行罪や道路交通法違反等計7回の逮捕歴が
ありますが、実際に起こした犯罪は更に多くても
不思議ではありません。

また通り魔事件で逮捕した際、覚醒剤の反応が陰性で
あった川俣。

当時覚醒剤は暴力団等の資金原になっており労働者にも
蔓延し始めていました。

その為世間では覚醒剤服用者が深刻な
社会問題にもなっていたそうです。

覚醒剤はやくざから入手したという川俣ですが
恐らく刺青を入れた辺りの仲間等のツテによる
ものかと思います。

酒に酔ったり覚せい剤を服用して人格が
変わることもありますが、川俣もその一人と
なります。  

「電波に命令された」「電波がオレにひっつくんだ」

等と奇妙な言葉で犯行動機を語った川俣は
既にかなりの精神状態だったことが伺えます。

いわゆる完全なる薬物中毒症状が出ていたと
考えられていたようです。

川俣軍司の祖父の仇討ち?の謎

ところで、事件の壮絶さと、逮捕時の異様な
服装に川俣軍司の逮捕時の異様なコメントに
誰もが、相当な薬物中毒者だと理解したでしょう。

事件後には総合失調症と言う診察も出ていた軍司
ですが、どうやらそれだけではない事実が発覚
しています。

事件後に発覚した、彼のルーツにはこの事件につながる
祖父の殺害事件が過去にあったのです。

川俣軍司の祖父は、この56年に起きた軍司が起こした
深川通り魔事件の数十年前に通り魔事件の被害者として
殺害されている。

その加害者として逮捕されている人物が何と、この
深川通り魔事件で無慈悲にも被害者となった主婦の
祖父
だと言うのだから恐ろしい。

事件の舞台となった深川と、当時軍司の祖父が殺害された
場所「森下」と言う地名は同じ江東区で隣接する地域で
起きているというのだ。

数十年の時を経て、殺害された孫の川俣軍司と軍司の
祖父を殺害した祖父の主婦が、今度は殺害されるという
この悲劇を、たまたまの確立で説明できるでしょうか?

薬物依存と総合失調症と言う判断をされながらも
事件後「電波に操られた」と言い放った軍司は
電波ではなく、自らの祖父の霊によって引き寄せられる
ように起こした事件なのか?

そうとさえ思えてしまうこのあまりに壮絶な因果応報
が偶然の一言ではかたずけられないと思えて仕方ない。

川俣軍司の現在も存命の謎

1982年12月23日に行われた東京地裁の判決では
川俣が事件発生当時に精神錯乱状態であり事の善悪を
判断する能力が低下したと判断されました。

そして無期懲役となった彼は現在67歳となり刑務所に
服役しています。

もう刑務所から出所することはないにせよ、あれだけ
重大な事件を引き起こした犯人が死刑にならなかった
ことが疑問だという方もいるはずです。

深川通り魔事件以前にも犯罪を反省もなく
行ってきた川俣。

彼が覚醒剤を服用して精神を病んだのは確かですが
元から自分を陥れる為人が自分の悪口を言っている
幻聴が頻繁にありました。

にも関わらず度重なる服役中には何の更正治療が
行われていない為、いつまで経っても精神錯乱状態は
続きます。

それに加え覚醒剤の使用で更に症状が悪化したなら
死刑を回避出来ても自分から自殺している可能性も
あったと思います。

ただ彼が服役中に自殺したというニュースはないので
今も刑務所の中にいるのでしょうか。

だとすれば今の彼の精神は正常なのかまた刑務所の中で
何を考えているのかとても気になりますね。

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おわりに

今も有名人などの逮捕で問題となっている薬物使用ですが、覚醒剤の服用やきちがいとも言われる精神状態には考えさせられるものがありました。ただ川俣も元から凶悪な犯罪を行う人物ではなかったので、周りの何かが彼を狂わせたのだと思います。それにしても通り魔事件で被害者となって殺害された祖父の孫を、数十年の時を経て引き寄せられるように殺害した川俣軍司の「電波に操られた」はまさに的を得た発言だったのかもしれません。
やはり因果応報とは良くいったものです、人に恨まれる程の悪い事はしてはいけないと言う恐ろしすぎる実例ではないでしょうか。


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