大久保清の生い立ち~子供時代の性犯罪を庇う母親と父親の性癖に驚愕

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大久保清アイキャッチ

昭和の犯罪史を語る上で外せないこの人物として
連続殺人鬼と呼ばれた男大久保清。

犯罪史上に名を遺す彼の子供時代からの生い立ちや
多くの子供と同じように多大なる影響を受けただろう
彼の父親の異常な性癖と母親の異常な息子への溺愛。

僅か2ヶ月あまりの間に8人もの女性を殺めて死刑執行
された大久保清の子供時代から生い立ちまでを家族の
異常な話と共に追ってみようと思います。

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大久保清の連続殺人事件

1971年3月~5月に群馬県下で車の中から複数の
女性に声を掛けた人物、それが大久保清であり
その女性達のうち8人を次々と暴行し殺害した
凶悪犯として今も名を遺す人物です。

大久保清が群馬県下で引き起こした連続婦女暴行
殺人事件
は瞬く間に世間の注目を受けます。

1971年3月31日から5月9日の40時間に若い女性を
言葉巧みに誘い、彼の誘いに乗ってしまった女性の
うち8人は暴行され殺害されます。

若くて綺麗な女性を好んだ大久保は10代から20代の
女性ばかりに声を掛けたそうです。

このガールズハントの為に両親に当時の新型車マツダ
ロータリークーペをねだり、日に200キロも走行し1日の
間に20人以上の女性に声を掛けました。

犯行当時の1970年代は車社会が急激に広まり
カーセックスをする人までマスコミに取り上げ
られるまでとなりました。

既に幼少期から性への興味があった彼は自分の
目的を受け入れてくれる女性を探します。

当初の彼は8人の女性を殺害するつもりは
なかったのですが、父親が警察や検事と話した
女性や彼が前科者だと知った女性を殺害しています。

抵抗することなく彼の指示に従った女性は少なくとも
暴行や殺人といった行為をされなかったようです。

大久保は8人の女性を手に掛ける前に祖母の墓参りを
していました。

事件後の事情聴取によると、その時既に殺人を犯す
許可を物言わぬ祖母に求めていたと供述しています。

また最終的に彼が捕まる際には助手席に乗っている
女性に1000円を渡し、

「危ないからタクシーに乗って帰りなさい」

と話したと言われています。

少しでも人間性があると思ったら凶悪な事件を
起こす、彼の心の内にはどんな闇が広がって
いたのでしょうか。

大久保清の生い立ち~子供時代の初の性犯罪が闇

このような重大事件を起こした大久保は一体どんな
幼少期を過ごしたのか、また彼が犯した初めての
性犯罪についても見ていきましょう。

1935年(昭和10)年1月17日に群馬県高坂市に
6人兄弟の3男として誕生します。

幼少期の彼は悲惨な事件を起こすとは思えない
くりっとした目に外人みたいな顔の可愛らしい
容姿をした少年だったと言われています。

そのルーツをたどると成程なと思う血筋があるのですが
当時から日本人離れした大久保の顔は彼の祖母のトメが
ロシア人男性と関係を持った際に生まれた彼の母親である
キヌの血を色濃く受け継いだからとされています。

今でいう所のクォーターだった大久保清。

その後、祖母トメは料理店の店主西川健作と結婚
しますが夫に先立たれると娘のキヌを頼ります。

しかし実の母に辛く当たったキヌはトメを
追い出します。

他に頼る者がいなかったトメの最期は
東京にある木賃宿での餓死でした。

息子に愛情を注ぐが実母には冷たかった母・女と
分かれば見境なく手を出す父、そんな歪な家庭で
育ったのが大久保清です。

幼少の頃から可愛らしい容姿をしつつも素行不良で
決して評判の良くなかったそうです。

彼が性について興味を持った正確な時期は
分かりませんが、こうした生い立ちや父親の異常
な性癖が影響して、彼も女性に対し異常な性的欲求を
持ったと考えられています。

そしてその異常な片鱗は早くも姿を露わにし始めます。

最初に性犯罪を犯したのは小学5年生の頃です。

たまたま彼の標的にされてしまったのは近所に住む
幼児だったそうです。

彼は自分の性的興奮を抑えきれず、嫌がる幼児を
畑の中に無理やり連れ込み犯そうとします。

幼い彼女はあまりにも彼の自分勝手で強引な
手口に泣き喚きます。

彼女を犯すことは諦めた彼ですが果たせなかった
ことが気に食わなかったのか、抵抗出来ないことを
いいことに性器に石を積むという行為に出ます。

その後この事件は発覚し彼の性癖や自分勝手で強引な
性格は近所で大問題になります。

実はこの事件の前にも近くの河原で女の子を見かけては
追いかけ回したり、女の子にいたずらばかりしていた
子供だったと言われています。

近所の人曰く、そんな事件が重なり、近所住民は
『清には気を付けろ』と言い聞かせる程の悪評が
出回っていたそうです。

最初の犯歴は清が20歳の時、女子高生に乱暴して
松本刑務所に入所。

その後大人しく過ごしていたかと思われていますが
抑えられない異常な性欲のはけ口は結局42年またも
勃発、2件の婦女子乱暴で府中刑務所に入所。
死刑執行

4年近くの刑期を終えて出生した清ですが、その性癖は
治まるどころか拍車をかけて、結果この府中刑務所からの
出生後73日間で127人の女性に声を掛け(ナンパ)内10数名を
強姦、8名を強姦後に殺害し、妙義山麓に埋める隠蔽工作を行い
ます。

46年5月に逮捕48年2月に死刑判決。

3年後の51年1月22日に死刑執行されています。

享年41歳です。

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大久保清の母親の溺愛

そんな清でしたが大久保家ではたいそう可愛がられて
大久保清の母親のキヌは異常と言っていいほど彼を
大切に溺愛していました。

それに比べて実の母親であるトメに対しては
どういうわけか辛く当たります。

大久保の母親が溺愛と言われる理由がよく分かるのは
前述した小学5年生の時に犯罪を犯した彼を庇った
からでもあります。

近所では大問題となったこの事件のことで、母親も
含めた家族はかなり責められたといいます。

ところが事件を起こしたことを叱るどころか自分の
息子は悪くないと言いきり取りつく間が無い程息子の
清を庇って近所の被害者用事の両親らの話を聞き入れる
事がなかったと言われています。

母親の心境はどんなだったのか・・・。

残念ながら母親に関する情報は少なく何故これだけ
息子に対して優しかったのか知る手段はありません。

考えられるのは女性に見境いのない父親の対応に
疲れた母親は、息子に愛情を注ぐことを生き甲斐に
していたのかもしれません。

そんな母親に大久保はよく甘えていたと
こんなふうに考えることも出来ます。

そして甘やかされて育った大久保は我慢する
ことを知らない、自由奔放な大人に育って
いったのだと思います。

大久保清の父親の性癖に驚愕

大久保清が8人の女性達に惨い行為をしたきっかけと
なったのは、好みの女性となれば相手を無理やりにでも
犯した父親の影響が大きいと考えられます。

大久保の父親はそれはもう酷い女好きで自分の
性的欲求を抑えられない人物だったそうです。

6人兄弟である大久保には一回り上の兄幸吉がいました。

幸吉は妻帯者でしたが安中市内にある墓から帰る途中
彼の嫁は大久保の父親に無理やり桑畑の中に連れ込まれ
犯されました。

この事件の他にも近所に住む女性が母親と炬燵に入り
茶飲み話しをしていると、一緒に入っていた父親が
手を出してきたこともあるそうです。

また当時は風呂に入る時、義父の背中を息子の嫁が
流すという風習があり、その時にも息子の嫁に平然と
手を出していたと言われています。

狙いを付けた女性と絶対に性行為をしなければ
気が済まない父親は、近所からも大久保と同じように
警戒されていました。

それを息子である大久保は見る機会があったのでしょうか。

自分も父親のようなことをしてみたいと思って
いたのか、そうした父親から譲り受けた血が
そうさせたのか?

今となっては知る由もありませんが、大久保清の
犯した鬼畜の仕業に父親の影響がゼロだったとは
考えにくい家系の話だと思えて仕方ありません。

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おわりに

彼が何故そんな惨たらしいことをしたかを考えると、子供を甘やかし過ぎた母親と、異常レベルの女好きな父親の影響が一番強そうです。もう少し違った環境で育っていればこんな事件を起こすことはなかったかもしれませんが、そうはいっても罪も無い多くの被害者女性の事を考えると死刑意外の選択は考えられないでしょう。恐らく彼の中の概念で性的欲求を抑える理由さえ見つける事は不可能だったのかもしれません。
多くの女性のご冥福をお祈りするばかりです。


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