平成が終わろうとする中、2007年渋谷区の歯科医一家で起きた驚愕の兄妹間のトラブルから起きたバラバラ殺害事件の容疑者武藤勇貴容疑者。
彼が殺害したのは、紛れもなく1歳年下の妹亜澄さんでした。
歯科医一家に誕生した兄が妹を殺害しバラバラにする驚きの事件の概要と、容疑者となり現在出所を目前とする武藤勇貴の生い立ちについて追って見ようと思います。
一体何が彼をそうさせたのか?
そして脅威の事件内容に刑の異様な短さの理由とは?事件の全貌を調べてみました。
武藤勇貴の渋谷短大生遺体切断事件とは
渋谷短大生遺体切断事件は2006年12月30日午後3時頃に両親が外出中だった武藤の自宅で発生しました。
この数日前には母親と被害者となる妹亜澄さんと揉めており、どうやらそのことで口論になったと言われています。
なので最初の時点では妹の亜澄さんを殺害するつもりはなく、あくまで話し合いで解決しようと思ったのかもしれません。
その後、兄である武藤勇貴は口論の末、木刀で彼女の頭部を殴打しています。
この時、殴られた彼女はまだ生きており、[寒い]と訴える彼女を無視し一時間以上話し合いをしています。
その話し合いは結局二人の考えの隔たりは埋められず、自分が正しいと思っていた考えを否定され、ついに首を締めるという凶行に及びます。
この兄勇貴の行為によって既に彼女の息はありませんでしたが、どうしても死亡したか不安な兄勇貴は、更に追い撃ちをかけるように水が貯まった浴槽に彼女の頭を沈めています。
それでもまだ武藤の犯行は止まりません。
今度は捜査の手が及ばないようにする為か脚・腕・腹頭部や胸囲まで身体の各部を切断、一部は生ゴミ処理機で処理していたことから事件が如何に残酷で異様だったのかが見えてきますね。
武藤勇貴の歯科医師一家での生い立ち~
実の妹を殺害し遺体をバラバラにするという凶行に及んだ武藤勇貴。
彼をそこまで追い詰めたものとは何だったのか、その生い立ちから見ていきましょう。
武藤勇貴が生まれた家は昔から歯科医師を多く世に輩出してきました。
父親も自宅での開業医、母親も祖父の代から歯科医一家で育ち自らも夫の開業する自宅とは別の場所(ホテル)で歯科医として勤務する。
まさに歯科医一家であり絵に書いたようなエリート一家として武藤勇貴は歯科医になるのが当然のように育っています。
当然、両親は子供達にもまた歯科医師としての道を歩んでもらいたいと期待します。
武藤には殺害した妹の他に当時、日大歯学部に在籍する兄がいました。
ですので両親からの期待と既に歯科医師に向け一歩リードする兄から受けるプレッシャーは大きかったと考えられます。
対する次男の勇貴は、事件当時は歯学部への受験を三度に渡り失敗した三浪中の受験生だったのです。
経歴では彼自身も公立小学校から中高一貫校で日大附属の日大豊山高校に通った経歴があります。
彼はこの高校を無事卒業することが出来るのですが、日大歯学部の受験に落ちてから運命の歯車が狂い始めます。
歯科医になって当然と言われ育てられた勇貴容疑者には相当なストレスがかかっていたとは思うのですが・・・
予備校で歯科関係のコースに通い必死に勉強しても、歯科医師への壁は高く少なくとも三度の浪人生活も彼の中ではギリギリの状態だったのかもしれません。
一方で歯科医師一家というエリート一家に育ちながらも妹の亜澄さんは決められたレールの上を歩きませんでした。
女優になることを目指し厳しい現実に立ち向かいながら日々頑張っていました。
そんな彼女のことが親の希望通りの道を必死ながらに目指す兄の勇貴に、とっては凄く疎ましい存在だったかもしれません。
武藤勇貴の妹殺害後の驚愕内容に絶句!
実の妹を殺害した事実より、その遺体を細かくバラバラにしたということが有名なこの事件。
彼が遺体処理に使ったのは文化包丁・ノコギリスポーザー[生ゴミ処理機]などが挙げられています。
まず頭部、四肢などを切り落とし、ある程度バラバラにしたものは臭いを抑える為何重にも重ねたポリ袋に入れています。
そのポリ袋はクローゼットやキャビネットに分けて隠しています。
ディスポーザー[生ゴミ処理機]で処理、こちらは他の部位とは違い粉砕したという表現が正しいでしょうか。
これほど残酷な行為をした武藤は、果たしてどんな心境だったのかは謎です。
恐らく妹への恨みが前面に押し出され、殺害を躊躇したり遺体を大切に扱ったり自らの過ちを後悔し自首するつもりもなかったのでしょう。
どうゆう訳か、事件後に、妹亜澄さんが着用していた下着を、その後予定されていた予備校の合宿に持参していたと言うから、正直背筋が凍るとしかいいようがありません。
二人の兄妹の間には、多少なり性格の不一致ならずブラコンのような感情もあったのではないか、と言われる由縁になったのは言うまでもありません。
殺害しバラバラにする際に、脱がしたであろう下着を予備校の合宿に持って行った武藤勇貴が通常の神経を持ちあわせていたとは、どうしても考えられません。
武藤勇貴の出所が目前の刑期の短さの謎
2006年12月30日に発生した渋谷区短大生遺体切断事件は、武藤勇貴[当時21歳]という犯人が口論の末実の妹を殺害の上切断した事件です。
この事件は当時多くのマスコミに注目されたのは被害者である実の妹、武藤亜澄さん[当時20歳]を自分の都合で殺害しただけでなく、遺体をおよそ人間の遺体に対してとは思えない方法で処理したからだと言われています。
そして冒頭で説明した、妹殺害後に向かった予備校合宿へ行く際にわざわざ帰宅した両親に行った勇貴の発言がまたも闇深いです。
「友人からもらった観賞魚のサメが死んだので、においがしても部屋を開けないで
それでも15箇所に渡り切断されていた遺体は年末の真冬でも相当の匂いがしたようです。
匂いを辿って彼の部屋を確認した両親が見つけたのが、実の娘である亜澄さんのバラバラになり袋詰めになった姿だったのです。
2009年4月28日東京高裁で開かれた裁判では、一審の東京地裁の死体損壊罪については無罪とする判決を破棄しました。
その後判決を不服とした弁護側が控訴しますが最高裁は二審に差し戻し正式に刑期が確定します。
まず一審判決で死体損壊罪が問われなかったのは、武藤が解離性障害[意識・知識・記憶が一つだったものが心的ストレスなどでバラバラになること]だったことを認定されたことが挙げられます。
そして検察側の求刑は17年だったのが、驚く事にたったの7年に短縮されることになりました。
実の妹を殺害してバラバラにして、です・・・
二審はこの死体損壊罪が主な課題で、武藤勇貴に精神的な障害があるかが争われました。
そして審議の結果精神的には善悪を判断することは可能だったとされます。
最終的に殺人と死体損壊の罪で12年の判決となりました。
検察側の求刑から結局短縮されたままの刑期。
武藤は最終陳述で事件への後悔や今後の償いを語ったそうです。
こうした態度が裁判の判決に影響を及ぼした可能性もありますね。
おわりに
多くの事件で精神障害の可能性を疑われますが、武藤勇貴の場合は自分の気持ちを抑えきれなかっただけだと思います。刑期的にもう少しで出所ですがその辺をしっかりと頭に叩き込んでもらいたいと思いつつも、本当に、たったの12年の刑期で大丈夫なのか?と第三者ながら恐ろしすぎる事件と、もう平成が終わろうとする今、武藤勇貴の出所までのカウントダウンが始まっている事実に恐怖を感じてしまいます。実の兄に無残にも殺害され夢を断たれてしまった妹亜澄さんのご冥福をお祈りしつつ、2009年から12年の刑期となると2021年頃の出所だと思うとリアルに恐ろしいですね。
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