佐竹憲吾の生い立ち~出身中学高校大学に職業は?息子殺害否定の鬼畜の父

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佐竹憲吾アイキャッチ

またも無残な事件として報道された東海地方屈指の進学校入学を巡り息子を刺し殺した父親の佐竹憲吾(51歳)。

僅か小学6年の息子を中学受験を控えて暴力の限りを尽くし最後は殺害した佐竹憲吾の生い立ちには強烈な学歴コンプレックスが根付いていたようです。

東海中学を卒業したとされる逮捕時の佐竹憲吾の職業はトラック運転手です。

未だ息子殺害を否定する佐竹憲吾の生い立ちや屈折した異常な思考には自身の経歴に強いコンプレックスがあり、息子を持って成功人生を取り返そうとした感が垣間見えます。

最後まで父親を庇い続けた息子に懺悔の気持ちさえない佐竹憲吾の鬼畜の仕業を追って見ようと思います。

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佐竹憲吾の小6息子殺害事件概要

2016年8月に起こった小6息子殺害事件は、犯人である佐竹憲吾「51歳」の身勝手な暴力から発展した事件です。

被害者である息子の佐竹崚太君(12歳)は無残にも包丁で刺され殺害されました。
諒太君

理由は自分の思い通りに勉強をしなかったから・・・。

たったそれだけの理由でこのような凶行に走り、犯行後は今に至り容疑を否認しているそうです。

事件は平成28年8月に名古屋市北区にある自宅マンションで発生しました。

容疑者の佐竹憲吾は自宅にいた当時小学6年の峻田君の胸を突き刺して殺害。

将来は医療関係の仕事を目指してほしいという一方的な理由から事件を起こしたとそうです。

実は既に平成26年頃の峻田君が小学4年頃から暴力は始まっており、それが悪化したのは、いよいよ有名私立の受験を意識しだした頃である平成28年頃には包丁を見せて脅したり暴力が酷くなっていきます。

更に事件の前日には強引に車で連れ出し足を切り付けていたようで、たまたまその様子をドライブレコーダーが記録していました。

この時どういったやり取りがあったのかは分かりません。

しかし足を切り付けた時点で既に殺意を持っていた可能性は高いです。

それが爆発した佐竹憲吾は後日峻田君の部屋に行きその勢いのまま犯行に及んだ可能性も高いですね。

一体、ほぼ無抵抗だった幼い息子に対して、一方的な勉強と暴行を繰り返し、果てには殺害までした佐竹憲吾とは一体どんな人物だったのでしょう。

彼のルーツを追って見ましょう。

佐竹憲吾の生い立ち~出身中学高校大学に職業は

実の息子を受験の為とは言え殺害した佐竹憲吾は一体どんな人生を歩んできたのか、生い立ちにも注目が集まっています。

メディアの報道によると彼はとある有名中学校の出身でした。

学校名は事件現場となった愛知県名古屋周辺では名門の学校として知られる東海中学出身だったことが分かっています。

東海中学は、東海高校と中高一貫の東海地方でもトップと言われる程の有名進学校で、ここからの東大合格率や医学部への高い進学率などを見たら一目瞭然の学校です。

この学校に容疑者の佐竹憲吾自身も、その弟も父親も出身学校だった事が明らかになっています。

卒業OBには、元総理大臣の海部俊樹さんや、アナウンサーの木村太郎さん、今やテレビで見ない日は無いほどの活躍をする、林修先生も地元名古屋の東海中学の卒業生で、この学校を中高過ごし、その後東大法学部に入学しています。

東海中学は偏差値67というレベルで簡単には入れない超の付くエリート校で国公立大医学部への進学実績では灘や開成を凌ぐと言われるレベルの中高一貫の進学校なんだそうです。

佐竹憲吾は、この超の付く進学校の出身だと言われています。

ただ、中学までなのか?高校までの中高一貫として東海で過ごしたのか?その辺りの詳しい情報は今はまだ分りません。

ただ、事件当時の職業がトラック運転手だった彼の職業と事件後に明らかとなった情報では、自分が東海中学に進学したものの、その後失敗したから、息子には絶対失敗させないと言うような強制的な物言いを当時の嫁に言っていたそうです。

これは飽くまで推測に過ぎませんが学歴か職歴のどこかで挫折した感じもします。

佐竹憲吾の生い立ち~教育虐待は実父からの負の連鎖

先に述べたように愛知県の東海中学は名門中の名門なのは理解して頂けたと思いますが、その学校のOBである自身含む父や弟も同じ学校の出身者でしたので学業にかなり優秀だったのは言うまでもありません。

それもそのはず佐竹憲吾の実家は祖父の代から続く、薬局を営む家の出身だったようです。

弟の職業は分かりませんでしたが少なくとも祖父や父は薬剤師の資格を持つ優秀な人物だった事が分かります。

でも自身は東海中学を出たにも拘らずトラック運転手だったと言う事はどこかで学業に挫折をしたのでしょう。

そうしたことが酷くコンプレックスになり、自分の代わりに息子には!という強迫観念があったのかもしれません。

事件後の裁判で佐藤憲吾の法廷で当時78歳の実父が証言に出ており、その場での発言に衝撃的な発言がありました。

それこそが今回の事件の背景に色濃く残った諸悪の根源ではないか、と思わざる得ない発言。

それは佐藤憲吾の実父の証言にあります「私も息子を包丁で脅かした事がある」…

その後続いた証人喚問での質問で明らかになったのは、この東海中学で超偏差値の高い学校の勉強について行けず挫折した事が明らかにされています。

容疑者の父親曰く佐藤憲吾が中学を卒業するまでに本来なら家業の薬剤師の跡取りとして期待していた息子の、その夢を諦めたと証言しています。

恐らくこの証言から中高一貫の東海中学で高校への進学は不可能で大学進学も叶わず高校に進学した頃には同じ家で、食卓を囲む事もなくなったそうです。

そして今回の息子から孫への教育虐待の行き過ぎた暴行によって最後は胸を刺されて死亡した事件に関して

「やりすぎだったと思いませんか?」の弁護士からの質問に答え検察からの「先ほど崚太君が亡くなった事はやむを得なかったと言いましたが、本当にそう思っているのですか?」の問いかけにも即答で「そう思っています」と答えています。

「中学受験の親はそれほど必至になるものだから、やむをえないと思っています」と答えているのです。

そして自身も息子である憲吾に包丁を利用した事を象徴するように、「私も憲吾も猟奇的なところがある。」とも…

自らも経験した教育虐待だからこそ、教育の一環だと思ったのか自らも、そうした常軌を期した教育虐待を受け東海中学に入学しても尚、その教育戦争から脱落した強いコンプレックスを持っていたから、まだまだ自分が父にされた行為では事足りない、と思ったのか。

そうした異常な教育虐待を目の当たりにして当然母親であり容疑者の妻は止めに入っています。

その度に佐竹憲吾は『中学受験をしたこともねえヤツがガタガタ言うんじゃねえ』と怒鳴り散らしたそうです。

そしてそれは中学受験が迫るといよいよ本格化、いよいよ我が身の二の舞を踏ますまいと思ったであろう佐竹憲吾氏のその想いは息子崚太君への刃物を突き刺して脅すと言う自らも体験した教育虐待の究極の形としてエスカレートしたのです。

殺すつもりは無かったし、殺したつもりもないと言わんばかりの供述を最後まで続けていた憲吾氏。

彼は包丁で息子崚太君を脅かした事は認めていますが、殺害しているにも関わらず殺意を否認しています。

崚太君の胸に包丁を突き立てて殺害したにも関わらず、その経緯について彼は最後まで「覚えていない」と繰り返しています。

それは自身の過去にも同じ経験をした辛すぎる経験から現実逃避する為の回避方法として、記憶が曖昧になっているのか。

それとも崚太君に一生懸命になり過ぎたが故の強行に本当に意識朦朧で記憶が飛んでしまった中での犯行だったのか。

どちらにしても実の父親から受けた過去の教育虐待が被告である憲吾氏に強い影響を与えた事は疑いの余地はなく、その際たる被害者となってしまったのが祖父にとっては最愛の孫で薬局の跡取りにと熱望した孫であり、憲吾氏にとっては自身が叶わなかったであろう超絶エリート街道を歩かせるが為の最大の被害者となってしまった崚太君が気の毒でなりません。

相当根深いコンプレックスが佐竹憲吾容疑者の中にあったのかもしれませんが、崚太君の小学校の同級生のコメントを聞いても、そこまで勉強を強要しなくても、充分頭の良い息子さんだったのは明らかです。

「クラスで1番~3番に入る頭の良い子だった」
そうです・・・

何故、それ以上を息子に求めたのか・・・

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佐竹憲吾は息子にも嫁にも壮絶家庭内暴力を

先ほど事件を起こす前から息子崚太君に暴力があったと話しましたが、どうやら妻にも家庭内暴力をしていたらしいです。

何故そんな疑惑が浮かび上がったのかというと、今月6月21日に行われた裁判で公開された嫁の日記がきっかけでした。

佐竹憲吾は愛情で暴力を振るったと発言していますが、この日記の内容を見るとそんなことは感じられません。

「今日も怒鳴り声 峻田が小さな声で『ごめんなさい』と謝る 私にも子どもにも暴力だらけ」

と日記に書かれていました。  

今回の息子崚太君殺害での証人尋問で元妻である崚太君の母親の証言を聞いて、他人事ながら絶句しました。

小6の夏となり、いよいよ受験が迫ると、佐竹憲吾の崚太君への暴力は、益々エスカレートしたそうです。

あまりの息子に対する常軌をきした暴力ぶりに母親である元妻は崚太君に「一緒に家を出よう」と提案したそうです。

酷い暴言や暴力と無理難題に近い勉強の強制的な生活頭の毛も毟り取られた状態となっても父親にやられたと泣きつかない崚太君。

そんな崚太君は、これ程壮絶な環境の中にあっても母親からの父親からの逃亡を否定したと言います。

理由は「『パパとママが一緒がいいからやだよ』って。『お願いだから一緒にいて』って」

この元嫁からの、息子崚太君の今わの際の証言を聞いて佐竹憲吾容疑者は、それでも無表情だったそうです。

崚太君の気持ちを考えるだけで、赤の他人でも胸が締め付けられる想いがします・・・

恐らく自分の思い通りにならない鬱憤を嫁に息子にぶつけたのでしょうが、これを聞いて佐竹憲吾容疑者は自分の理想の人生を歩けていると思えるのでしょうか。

この日記からも裁判の証言からも、わずか12歳で優秀だった崚太君殺害の事実からも、家族への暴力は、もはや日常茶飯事だったのは間違いないでしょう。

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佐竹憲吾の息子殺害否定の鬼畜の父

峻田君(12歳)の胸を刺して殺害したのにも関わらず佐竹憲吾容疑者は今だに

「死に至らしめたのは事実だが殺意はもっていないし刺してもいない。胸の傷は事故によって生じたもの」

と主張しているそうです。

実際、嫁の日記やドライブレコーダーの記録、更には刺された傷口など状況証拠が揃っているにも関わらず否定し続ける佐竹憲吾。

弁護側は犯行当事は「自閉スペクトラム症」だったと主張しています。

これらの理由から傷害致死罪を適用を訴えていますが自らの罪を否定し重罪を逃れようとするなんて到底許せません。

一時は、東海中学にまで入学した佐竹憲吾は、今や狂った獣になってしまったのかもしれません・・・

この罪を逃れる事は不可能だと思いますが、もし逃れた所で、今後どんな人生が佐竹憲吾に送れるというのでしょう・・・


おわりに

あまりにも無慈悲で親の身勝手な欲望の為に利用され人格も否定され暴行によって実の父親である佐竹憲吾に殺害されてしまった崚太君は何の為に生まれてきたのでしょう。身勝手過ぎる佐竹憲吾容疑者は、現在に至っても、その罪さえ認めていないと言う事実に愕然とします。崚太君の無念だけが心が痛いと言わざるを得ないこの悲惨な事件は、やはり極刑を持って佐竹憲吾のような父親を出さない為にも処罰して欲しいと思います。
崚太君のご冥福と、早く次に生まれ変わって次こそは心優しい両親の元に誕生して欲しいと願うばかりです。
彼が望んだ事は東海中学入学でも無く医療の世界の憧れでも無く、ごく普通の両親の元家族で過ごしたかっただけなのですから・・・

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