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中勝美の生い立ち~わらび事件に舞鶴女子高生殺人事件が無罪の訳

中勝美アイキャッチ 事件

昭和の未解決事件として有名な「わらび殺人事件」で容疑者濃厚と噂され、また「舞鶴女子高校生殺人事件」でも防犯カメラに映り当然犯人だとする声が高かった中勝美。

彼は前科者で殺人歴もあり要注意人物で知られた存在ながら、「舞鶴~事件」では逮捕されながら証拠不十分で無罪判決を受けるなどし、いまだ犯人逮捕ならないままとなっています。

中勝美の無罪が確定しつつも、残忍な事件を起こしてきた彼に疑惑の目がずっと注がれていましたが、2016年に死亡しており謎が深まっています。

中勝美の生い立ち、「わらび事件」、「舞鶴女子高校生殺人事件」が無罪となった訳についてお伝えします。

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中勝美のわらび殺人事件容疑者濃厚説

中勝美は無銭飲食や窃盗の常習犯で過去の事件である京都府「長岡京わらび採り殺人事件」という未解決事件の容疑者ではないかと噂されるほどだったといいます。

1979年5月23日に起きた「長岡京わらび採り殺人事件」は、京都府長岡京市の山中で主婦2人が、スーパーマーケットのパートの仕事を終え、近くの竹林にわらび採りに行き消息不明になり、2日後山頂付近で遺体が発見された事件です。

主婦A(43)が絞殺されており、主婦B(32)が刺殺されており金品強奪の形跡はなかったのですが、主婦Aのポケットに「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」(事件の2日前の日付)と鉛筆で走り書きした勤務先のレシートが発見されています。

2人に荷物などに鉛筆はなく、後日の調査で殺害現場から離れた場所で、芯の先端のみ見つかっていました。

主婦Aの身体には全身30か所以上に殴打があり、肋骨が折れ肝臓が破裂しており、体内から犯人の体液が検出され、主婦Bは全身50回以上殴打され包丁が体に刺さったままであったといいます。

有力な情報は得られず、複数の人物が浮上したものの未解決事件となり1994年5月24日に公訴時効が成立していますが、どうもこの事件の犯人も中勝美が犯人だったのでは、と容疑者濃厚説が上がっていると言われています。

後に紹介する中勝美の数々の犯罪歴の多さと、その残忍性や事件が起きた地域を考慮すると、わらび殺人事件はじめ数々の女性メインの強姦殺人事件では中勝美が容疑者として疑惑の人物として考えられているようです。

中勝美の舞鶴女子高生殺人事件の迷宮入り

舞鶴女子高生殺人事件
そして今だ未解決事件として語られる舞鶴女子高生殺人事件も、今だ未解決事件として時おり、ニュースで報道されている事件ですが、この事件の犯人もやはり当時第一容疑者として逮捕までされた中勝美が犯人だったと思われているようです。

中勝美は事件当時の2008年5月7日に起きた「舞鶴女子高校生殺人事件」の有力な犯人候補でした。

「舞鶴女子高校生殺人事件」は京都府立東舞鶴高校浮島分校1年生・小杉美穂さんが同年5月6日午後10時以降実家から外出した後に行方不明になった事件です。

小杉さんは中学校から不登校児だったそうで、本人のブログによると深夜に徘徊する癖があったといいます。

心配した家族が、翌日午前9時になっても自宅に戻らず警察に捜索願を出しますが、5月8日舞鶴市の雑木林で小杉さんが全裸遺体で発見されました。

小杉さんの死因はバールのようなもので顔面や、頭部を殴打されたことによる失血死で、鼻がひしゃげるくらいひどく潰れ、頭骸骨も割れて中身が飛び出す凄惨さで話題になりました。

中勝美(当時60)は、防犯カメラに映っていた男に背格好が似ており、事件当日深夜現場近くで目撃されたことで捜査線上に上がり、逮捕されました。

ところが犯行を裏付ける直接的な証拠がなく捜査は難航します。

第一審で無期懲役の実刑判決が出たものの、第2審で「疑わしきは罰せず」という推定無罪の原則が適用され逆転無罪判決が下りました。

結局、中勝美は釈放され、未解決事件として犯人は逮捕されておらず迷宮入りの状況となっています。

中勝美の犯罪歴

凄惨な殺人事件の陰にいつも浮上する、中勝美には逮捕歴があり、殺人犯として服役したこともありました。

「わらび殺人事件・舞鶴女子高生殺人事件」と数々の容疑者として名があがりその度無罪となった中勝美の実際に犯罪として認められて逮捕された逮捕歴を調べてみました。

〇少年期:脅迫・恐喝罪で少年院に収監

〇1973年(当時25歳)滋賀県草津市内で交際女性とその兄を出刃包丁で刺殺後、近くの民家で住人を人質に立てこもり殺人罪で懲役16年、12年で仮釈放で出所しています。

こちらの事件は当時、飲食店で働いていた中勝美が、24歳の頃に出会ったホステス・林好子さんとの交際を始め、舞鶴市内で同棲生活を開始することにしますが、林さんの家族からは交際を反対されていました。

そして25歳の時、林さんが実家に連れ戻されたことに激昂した中勝美は滋賀県の林さん実家に向かい、交際相手だった早矢仕さんと、その兄を出刃包丁で刺殺した上に、6時間人質を取り立てこもる事件を起こし逮捕。

模範囚だったようで2人も殺害して12年程度の刑期で仮釈放され、地元舞鶴市の工場で働き1990年、20歳年下の女性と結婚もしていますがすぐ離婚しています。

〇1991年(当時43歳)京都市舞鶴市内で21歳の女性を強姦目的で暴行。強制わいせつ罪、傷害罪で懲役5年。

〇2001年(当時53歳)舞鶴女子高3殺人事件、当時高校3年生で18歳の女子高生が刃物で首を数カ所切られ発見される未解決事件。

〇2008年(当時60歳)舞鶴高1女子殺害事件、京都府舞鶴市内で当時16歳の女子高生が撲殺され全裸の状態で発見される。(現未解決事件)

〇2008年(60歳)京都府舞鶴市内で女性下着と賽銭盗みで逮捕。窃盗罪で懲役1年。

〇2009年(61歳)京都府舞鶴高1女子殺人事件の、殺人罪と死体遺棄罪で逮捕、殺人罪と強制わいせつ死罪で起訴

〇2013年(当時65歳)大阪西城区のコンビニでアダルト雑誌を万引き。窃盗罪で懲役1年2カ月。

〇2014年(66歳)舞鶴高1女子高生殺害事件で推定無罪を勝ち取る。

〇2014年(66歳)大阪市北区の雑居ビルオーナー38歳の顔、胸など10カ所を刺し重傷を負わし殺人未遂容疑の現行犯で逮捕。

〇2016年(当時67歳)医療刑務所で病死。

このように何度逮捕されても全く動じる事なく犯罪している中勝美は、舞鶴女子高生殺人事件の無罪判決を勝ち取った2014年も、この判決のわずか数カ月後にホテルのビルオーナーを殺傷しています。

こうした犯歴と数々の懲役で同じ房だった仲間に離した証言歴から見ても、「わらび殺人事件」「舞鶴女子高生殺人事件」は限りなく黒だと思われるのも納得の犯罪歴だったと言えるでしょう。

京都府舞鶴で起きた数々の強姦目的の少女殺害事件の未解決事件は、中勝美が犯人ではないか?と言われている事件が多いと言われているようです。

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中勝美の生い立ち

中勝美は京都府舞鶴市出身で、幼少期は寝たきりの父親が母親に虐待される光景を見ながら育ったといわれています。

やがて両親が離婚し、母子家庭となりますが高校時代、母親が警察官と再婚したのが気に入らずグレていき高校も中退、地元でも有名な不良少年に変貌したと言われています。

母親と共に義父の家に引き取られ生活してきた中勝美でしたが、母親がそうしたのか義父がそう進めたのか定かではありませんが、彼一人だけ離れで暮らすことを強いられるなどの差別的行為に、強い不満を持っていたようです。

両親からの愛に満たされることなく、孤独を感じ非行に走り、恐喝や脅迫などの罪を犯し、少年院へ送致されることになったのでした。

少年院から出所後は地元京都などで整備士や、警備員の仕事など転々としますが、おおむね真面目に勤務したようです。

ただ犯罪へのハードルがとかく低いのが我慢の沸点が低すぎるのか、その犯歴を見ればわかるように中勝美の生涯は、刑務所生活の方が長かったと言っても過言では無いレベルに殺人罪での懲役から万引きなどの窃盗や下着泥棒など細かな犯罪で何度も懲役生活を送っていたのは確かなようです。

中勝美の舞鶴女子高生殺人事件は犯人は自分!

2度の懲役生活を送っている、中勝美は拘置所仲間に「舞鶴女子高校生殺人事件」の小杉美穂さんの殺害をほのめかしていたというニュースが出ています。

中勝美が女子高校生殺人事件の犯人だった、という証言者がいたのは驚きですね。

この事件の裁判のため大阪拘置所に収監されていた時期、拘置所仲間に話した言葉が残っています。

「本当は俺が殺ったんや。ほんまは殺っとんねん。オレはあの子に顔見られたからな。(凶器の)バールを埋めたのは警察が捜索した場所とは山ひとつ違う場所やから、捜しても絶対わからんよ。それに(DNA鑑定しても)何もでてこん」と、小声で話したとか。
(MATOMEDIA:引用)

同じ房にいたもう一人も、この会話を聞いていたといい、やっぱりと思ったそうです。

そして僅かな出所期間にも飲み屋のママや居酒屋のママなどに吹聴していたとの情報もあるので、尚更真実味があります。

ただ被害者にとっては事件としての容疑者として明確な真相ははっきりとはせず、その後無罪となりこの証言も生かせなかったことは残念ですね。

中勝美の死因

「舞鶴女子高校生殺人事件」の犯人と思われた中勝美は、無罪が確定し2014年9月に出所。

同年11月15日には知人女性に対する殺人未遂事件を起こし、再び刑務所に入っています。

そして2016年3月に懲役16年の実刑判決が下されていました。

ところが彼はこの殺人未遂事件服役中の2016年7月、死亡(当時67)が判明しています。

死因は病死とされており、以前から体調がすぐれず医療刑務所に移送されていたそうです。

病名は報道されておらず、不明ですが、何度も殺人を犯してきた彼の獄中死もまた謎のままといえます。

舞鶴女子高校生殺人事件で証拠不十分で無罪となった中勝美への疑惑は依然残り、やはり犯人とする声も出ていますがいなくなってしまったことで闇に包まれてしまったのでした。

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おわりに

未解決事件の「わらび殺人事件」「舞鶴女子高校生殺人事件」の容疑者として疑われた中勝美は、何度も刑務所に入る人生を送り、殺人歴もあったわけですが、十分な証拠がなく彼の容疑を固めることができないまま結局獄中でその生涯を終え、全ては振り出しとなりました。
女子高校生殺人事件での無罪判決後も犯行を繰り返しているため、中勝美の無罪には疑問の声が絶えずありました。未解決事件の真相はわからずじまいですが、今後新たな犯人の出現があるのか気になります。


コメント

  1. 二階堂 より:

    73年に草津市で事件を起こして12年服役。
    長岡京の事件が79年。

    それでもわらび採り殺人事件で中勝美が限りなく黒なのですか?

  2. 巽孝一郎 より:

    訂正とお詫びのお知らせがあります(誤)京都市舞鶴市とあるのは(正)京都府舞鶴市の誤りでした、

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