2006年、夫を殺害し、のこぎりで遺体を切断、タクシーや電車を利用して遺棄したセレブ妻が起こした渋谷エリートバラバラ事件は、世間を震撼させました。
逮捕された妻の三橋歌織(当時32)は、2006年12月、東京渋谷区の自宅マンションで夫である祐輔さん(30)が就寝中にワインボトルで殴打し殺害後切断、遺棄した罪で逮捕されました。
裕福な家庭環境に育ち、周囲からは社長令嬢と呼ばれた彼女が、上京し、風俗嬢や愛人をしながらも、掴んだエリート候補の夫との結婚生活。
三橋歌織の生い立ちから事件となった渋谷エリートバラバラ事件までを追ってみようと思います。
三橋歌織の渋谷エリートバラバラ事件
東京渋谷区の家賃20万円の高級マンションに住むセレブ妻、三橋歌織(当時32歳)が、殺害当時年収1億5千万の外資系企業に勤めるエリサラの夫三橋祐輔さん(30)を殺害した罪で逮捕されました。
2006年12月12日明け方、歌織は就寝中だった夫の祐輔さんの頭をワインボトルで殴打して殺害、その後遺体をのこぎりで切断し、路上や公園に遺棄しています。
妻歌織から虚偽の捜索願が出されていましたが、事件後の防犯カメラから夫が帰宅する姿が確認され、任意同行、容疑を認め逮捕されています。
三橋歌織は夫の頭部を町田市内の公園に、上半身は新宿駅近くの路上に、下半身は渋谷区の民家の敷地に、左腕と右手首は家庭ゴミに紛れさせて遺棄しており、懲役15年の罪に処せられています。
(文春オンライン:引用)
逮捕後の供述によると三橋歌織は、スピード婚からの妊娠中絶後夫、婦仲が悪化し夫からのDVに耐えかねて殺意を抱き犯行に及んだと発言。
後の裁判で幻覚や幻聴を訴え精神鑑定を受けるなどして無罪を主張し注目されました。
結局2010年になって三橋歌織の有罪が確定、懲役15年の刑を処されています。
祐輔さんが今わの際に言った言葉は「何で?」だったそうです。
三橋歌織のプロフィール
氏名:三橋歌織(みはし かおり)
旧姓:川口歌織(かわぐち かおり)
生年月日:1974年7月29日47歳(22年2月時点)
出身地:新潟県
血液型:O型
学歴:新潟県立坂井輪中学校
新潟県立新潟中央高等学校
白百合女子大学
家族:父・母・弟・夫(故人)
三橋歌織の生い立ち~実家を出るまで
三橋歌織(旧姓は川口)は新潟県出身サラリーマンから企業し、会社経営者だった父と専業主婦の母、弟を持つ裕福な社長令嬢として育ちました。
父親の経営する会社は「株式会社 川口コピー工業」で、会社は業績良好で、彼女が地元新潟で公立高校を卒業するまで、地元でも知られた存在の社長令嬢として育ちました。
その後、大学に進学する前後、バブル崩壊後に業績が悪化し、2002年(平成14年)に父親は会社を廃業。
厳しく絶対的権力を持つ父のもとで、虐待に近い心理的影響を受けて育っていると、後に精神鑑定を担当した鑑定医が明かしています。
「子どもの頃から相当厳しく、引っぱたくこともありました。家の中では私が決めたことが絶対なので、話を聞くこともありませんでした。泣くのも構わず、歌織を責めた。そうやって叱ってきました」と父親自ら語っています。
(cyzo womam)
そうした生い立ちが影響してか幼い頃から、鼻っ柱が強い子供に育った歌織は、小学校の卒業文集では
「私はとても勝気な女の子、やられたらやり返すという考え」との言葉を残しています。
小学校卒業前なら12歳から13歳前後の、まだ幼さの残る少女ですが、これほど明確で勝気な主張を卒業文集に書く辺り、相当な気の強い少女だった事がわかります。
その性格は歳を追うごとに、露わになっていき当時から周囲と自分は違う、と言う言動を取っていたようです。
中学時代の同級生も「大人びていてプライドが高く、一段上に立って周りを見下ろしているような人だった」(同上)といい、あまり周囲の輪に入らなかったようです。
自我も強く厳しく育てられたであろう歌織は、そうした意思もあり勉強も出来たようで、地元新潟では進学校と言われる高校に進学。
卒業後は父の希望で三橋歌織は、地元の新潟県立新潟中央高等学校から、一浪して実家を出、東京でもお嬢様学校として知られる、白百合女子大学に進み卒業しています。
「女は東京の女子大の英文科へ行って、スチュワーデスになるものだと」(法廷証言)父に言われた言葉のとおり歌織は、客室乗務員を目指し航空会社数社を受けますが失敗。
派遣社員として証券会社などを転々としています。派遣OL時代は、一流企業との合コンに積極的に参加していたとか。
数カ月派遣されただけの短期間の職場を被害者となった夫の祐輔と知り合った当時、誰もが知る大手商社の「丸紅勤務」などと経歴詐称しながら婚活をしていました。
丸紅は丸紅でも、彼女は、ただの派遣社員だったそうですが、彼女の履歴書には常々「丸紅商事」とあったとか…
三橋歌織の生い立ち~大学生活と風俗嬢
お嬢様育ちで、地元新潟の進学校の高校を卒業した後、白百合女子大に進む事で上京した三橋歌織。
社長令嬢と言われるのも成程の高額な仕送りを実家から送金されていました。
超お嬢様学校に進学した事を考慮して、新潟の実家からは毎月40万もの仕送りをもらっていました。
バブル崩壊後の2002年には会社を業績不振で廃業したにも関わらず、時を同じくして東京のお嬢様学校白百合で大学生活を送る娘に、充分なお金を送金し続けていた両親。
そんな両親へ感謝の気持ちがあるのかと思いきや、裁判で歌織は実家を「思い出すのも嫌な場所」と証言。
東京での生活とはいえ学生の40万円なら充分な、生活は補えたはずですが、歌織の望むセレブな社長令嬢を装うのには足りなかったようです。
彼女は華やかな社長令嬢として振る舞う為に、驚く事にソー〇ランドでアルバイトもしていたといいます。
歌織は女子大生時代から社会人1年目にかけてソー〇ランドで働いており、その中の客で知り合った会社社長の愛人となる関係が4年にも渡ったといいます。
身長170センチの高身長で全身ブランド物で装う彼女は、いつも華やかに社長令嬢の如く振る舞っていました。
月に40万円もの仕送りを貰っても、彼女の思う社長令嬢の生活基準を保てなかったのが不可解ですが、それほどまでに彼女は東京での華やかで豪華な生活に憧れていたのでしょう。
まるで自分にはその価値があるとでも想い込むかのように、両家のお嬢様はもっともっと華やかに贅沢三昧に暮らしているはず…
派手に誰よりも華やかに装う事で、より自分を大きく美しく見せられる、そう思い、そんなセレブな自分に見合った男を探す為の合コンに勤しんでいたようです。
それにしても白百合女子大1年目から始めたという、風俗店でのアルバイトにはそうまでして?と驚きしかありません。
アルバイトを続ける間に、歌織はある会社社長とも婚約までするも、その後、歌織の男性関係に不信を持った婚約者に問い詰められ破談した事もあったとか。
その後も見合いなどしたりしますが、なかなかまとまらず、そんな時に夫の祐輔と歌織28歳の時に出会います。
三橋歌織と三橋祐輔との運命の出会い
被害者となった夫・祐輔さんは歌織より2歳年下の26歳、北九州市出身で、二浪の末に入った大学を卒業後、司法試験や公務員試験に挑戦するも挫折。
中央大学の法学部法律学科に入学、2001年3月の大学卒業後は法律事務所でアルバイト勤務をしていました。
事件当時の超絶勝ち組と言われる外資系勤務とは大違いの、いわゆる下積み生活のさ中、法律事務所で時給1000円のアルバイト暮らし、月収は12万弱、部屋も借りれず、定期代さえ払う金もなかった状態でした。
当然アパートさえ借りられずに友達の家を転々とする生活を送っていた彼の当時の口癖は『俺はビックになってやる』だったと言います。
彼も同じく歌織とは別の形で持たざる者として、向上心と野心に満ちた生活の中日々を歌織とは違う形で藻掻いていたのでしょう。
そんな上昇志向の塊で野心に燃えていた祐輔さんは、まさに自分が持たない全てを手中にしているかの如く見える歌織と合コンを通して運命の出会いをはたします。
歌織もまた、そろそろ本当の玉の輿に乗らなくては~と考え婚活に勤しむ中の三橋祐輔との出会いは、当時の2人にとって渡りに船の運命の出会いだったのかもしれません。
祐輔氏は、当時女友達にこう語ったといいます。
「運命の女と出会った」「俺やお前とは違う」
「歌織はお嬢様だから携帯電話も持っていない」とも話していたそうです。
「運命の女と出会ったんだ。背が高くて、きれいで、すごいお嬢様で、しかも丸紅に勤めている」
生粋の超絶お嬢様として全身ブランド物で身長170センチの歌織がセレブな社長令嬢として振る舞った事で祐輔は、真実と受け止め、歌織の演出する虚偽にまみれた超セレブ女性と言うブランディングを信じてしまったようです。きっと憧れも伴って…
初対面の歌織の印象を語った、女友達へのセリフから垣間見えます。
歌織の社長令嬢と華やか過ぎる経歴を全て信じ込んだ祐輔さんは、その後どんどん歌織に惹かれていきます。
自分が求める上流社会に生きているかの如く見える歌織に憧れた祐輔さんに、歌織自身も自身が望む生活を近い未来に叶えてくれそうな将来性のある男だと祐輔さんを見込んだのでしょう。
利害が一致し意気投合した2人は、2002年11月頃に合コンで出会い、即交際開始、翌12月には同棲をはじめ、歌織の妊娠で翌年2003年3月には結婚するという超スピード婚を果たします。
部屋もなく当時は収入もほぼ無い状態の祐輔さんは、お嬢様な歌織の「狭いところでは住めない」と言う言葉の通り、当時歌織が風俗店で知り合った愛人に借りてもらっていた家賃16万5千円のマンションに転がり込む形で同棲開始。
もちろんこの事実を当時の祐輔さんは知る由もないのですが…
三橋歌織のメッキは剥がれる
出会いから瞬く間に交際、同棲、そのさ中、歌織が妊娠した事で2人は結婚を決意します。
妊娠したから結婚した2人にも関わらず、歌織が出した結論は当時の祐輔さんの経済状態を考え「お金がない」と中絶を決意します。
そんな歌織に祐輔さんは、「金ならどうにかするから産んで欲しい」と懇願したといいます。
でも当時の家計は歌織が支えており、経済面で生活の不安を抱いた歌織はその後すぐに夫の反対を無視、3月上旬に人工妊娠中絶を行います。
この事が端を規したのでしょうか、その後ほどなくして理想的なパートナーだったはずの2人の結婚生活は、音を立てて崩れ出します。
歌織の華やか過ぎる経歴と、運命的な出会いのスピード婚でのおめでたにも関わず、中絶を選んだ妻に夫となった祐輔さんも不信に感じたのでしょう。
セレブな社長令嬢、商社丸紅などのブランドに、憧れて惹かれたであろう祐輔さんが、それが虚偽に満ちたただのメッキだった事に気が付かない訳がなかったのでしょう。
逮捕後の供述で歌織曰く、殺害直前まで続いたDVは、そうしたイザコザも関係あったのか「結婚から1週間後に始まった。」と話しています。
但し当然死人に口無し、後術しますが歌織の供述ですので、全てが真実とは思えません。
三橋歌織の虚偽の数々
華やかな生粋のお嬢様で社長令嬢と言う歌織のブランディングは、メッキの如く剥がれていきます。
たまに会う知り合いならバレない嘘でも、夫となればバレるのは時間の問題だったのでしょう。
嘘を貫きとおすには、歌織の嘘は多すぎたし、嘘の種類もバレたとなれば、相当な悪質レベル。
丸紅の社員>短期の派遣社員
膨大なブランド品>ブランド品万引きの常習犯
セレブ気取りの独身時代の華やかな生活>親子ほど年の離れた男の愛人&ソープ嬢
社長令嬢の大金持ちの娘>元印刷会社社長の長女
この他にも彼女の性格を象徴する女友達とのやりとりを紹介します。
歌織は、友人から「私の旦那は高級官僚だわ」と言われて、こう応戦。
「高級官僚なんて裕輔さんの給料の30分の1でしょw 宿舎を追い出されたら上野公園のテントくらいしか住むとこないんじゃないの?」
夫の立場でのマウント取りはセレブ妻ならではなのでしょうか、そうだとしても、この歌織の返答は、なかなかの返し、とても一般的な感覚では即答できる返答だと思えません。
相手がマウントをとってきたとしてもです。
高慢ちきで想像以上にプライドの高かっただろう、当時の歌織の性格が垣間見えます。
三橋歌織の夫婦の破綻とDV
結婚相手に頼って人生逆転しのし上がるつもりだった歌織、特に祐輔さんに関しては物凄い勘違いだった事にどこかで気が付いたのではないでしょうか、もちろん想像でしかないのですが出会った時感じた歌織の姿は全くの虚栄。
歌織は社長令嬢どころか問題だらけの虚栄心の塊と嘘まみれのプライドの塊のような女だった。
そうしたメッキの剥がれと共に、反対を無視した妊娠中絶後から夫婦の関係は一転、夫祐輔からのDVが始まり、夫婦生活が破綻し始めます。(歌織説)
「いきなり床に押し倒され、馬乗りになって殴られ首を絞められました。髪の毛をつかんで部屋中引きずり回されて……」(法廷証言)
歌織の受けたとされる暴力は壮絶なもので、ベルトやテープで縛り、逃げ出さないようにクレジットカードを折られる、カバンも服も切り刻まれる。
1日に50回以上もメールで行動を確認、身体の匂いを嗅ぎに来てタバコの臭いがするといって暴力を振われるなど凄まじいものでした。
暴力が渦巻く生活の中で、いったんは離婚を決意し実家のある新潟に戻った歌織は、父親から
「あれだけ反対した結婚なのに、こういう形で戻ってくるのはどういうことだ。おまえが一番だらしない。今のこのざまは何だ」と罵られ実家を去ったといいます。
その後、祐輔の元に帰った歌織は、またも鼻の骨を折られる怪我を負い、警察経由でシェルターに保護され、PTSDと診断され離婚を勧められていました。
ですが、このシェルターからも勝手に逃げ出し、祐輔さんのカードで高価な靴を買っていたのだとか…
こうした歌織からの一方的な事件後の供述も全てが嘘だとは思いませんが、祐輔さん死亡後の死人に口無しです。
結婚当初から2人を知る知人によると、歌織のいう祐輔さんからのDVは決して一方的ではなかった、との証言もあります。
身長170センチと高身長な歌織も、祐輔さんに対して蹴ったりするなど激しく応戦していた、との情報もあり、一方的にDVをされていたという歌織の証言にも歌織の性格を考慮しても、違うのではと思えてしまいます。
こうした日々の中、平穏な結婚生活が送れる訳もなく、結婚して程なく2人にはそれぞれ不倫相手ができ、いよいよ夫婦はスピード婚からのスピード離婚への道を辿る片りんをお互いが見せていたのかもしれません。
三橋歌織の誤算
合コンで知り合った当時の祐輔さんは、弁護士事務所でバイトするだけの野心だけの、しがないアルバイト員。
でも彼には野心があり、野心を支えるだけの経歴(法学部卒業)と行動力や実力もあった。
そうした祐輔さんの野心と行動力を信じて未来に続くセレブ妻を夢みて結婚を決めた歌織。
蝶よ華よと歌織を崇めて大切にされるべき存在の自分のメッキが剥がれた事で、ぞんざいに扱うようになり、強いては暴力まで振るわれるようになり破綻へと急転直下となった2人。
結婚後の祐輔さんは本人の努力によって実り、何度かの転職の後、かの有名な外資系企業(「モルガン・スタンレー・プロパティーズ・ジャパン」(現モルガン・スタンレー・キャピタル)に2005年就職をします。
祐輔さんが就職した同年には、当時新築であった東京都渋谷区の高級デザイナーズマンションに転居(家賃は約20万円)し、大企業へ就職したことで年収も1,000万円を超えます。
その後も祐輔さん自身相当やり手だったのでしょう。出来高払いの年某制で知られるモルガンで彼の年収は有に1億5千万円あったと言われます。
それは恐らく歌織が未来のセレブ夫とし、見込んだよりも遥に想像を超える優秀な男であった事、本気で目指したセレブな生活を叶えてくれるだけの実力を持った男性だった事が分かります。
どれほど優秀だったのかは当時の年某1億5千万と言う出来高払いがモットーのモルガンの年某を考慮しても一目瞭然。
バレる事のないと思い装ってきた超セレブの社長令嬢の歌織は、そのほぼ全てが虚偽に満ちて、強いては強欲で身勝手で物欲の塊のような女だった。
これまで通りバレずに上手くやれるはずの結婚生活が破綻したのは、そうした歌織の背景にすぐさま気が付いた祐輔さんの態度が一変したことにも端を発しているのでしょう。
三橋歌織と夫祐輔の破綻は音を立てて崩れる
夫婦関係が破綻する中、順調に自身の努力によってキャリアを伸ばし成功者となった祐輔さんが本物のセレブに成り上がって変貌を次げる中、1人になればセレブ妻と言う立場も無くしてしまう。
子供の頃から備わった高いプライドに、虚栄心は自らの身体を売ってでも飾り立てて世間に示したかった歌織にはセレブと成り上がった夫を手放す事が許せなかったのでしょう。
元より派手だった歌織の衣服なども祐輔さんの収入上昇と共に、更に高級ブランドものに変わり、身なりも目に見えて派手になったといいます。
だからこそ離婚に備えて自らに優位に立てるよう、公正証書(離婚時夫の3600万円の慰謝料支払いを明記)をつくりやり直すことを決意していた矢先に気が付いた祐輔さんの心の変化。
自分も祐輔さんへの当てつけから不倫をしていたとはいえ、遊びの範囲、それが祐輔さんの会話を盗む為に仕込んだICレコーダーを調べて聞いたその会話に歌織は驚愕します。
「本気で離婚する」「家事は手伝うからね」「子どもを作ろう」「結婚式をあげよう」
この祐輔さんのセリフを聞いて離婚を本気で考えていること、自分だけがセレブとは無縁の生活に放り出される事。
事件当日も祐輔さんと歌織は激しい口論から、別れ話まで浮上していました。
その後でのICレコーダーで冒頭の祐輔さんが愛人に語るセリフを聞いた歌織は、こう思ったと言います。
「別れるだけでは済まされない、と思い殺した」
3千万円からの慰謝料を貰っても済まされない。
それは祐輔さんと言う誰にも誇れる世間に誇れるセレブ妻のステータスを捨てる事と、祐輔さんだけが「平凡な幸せ」を掴む事を許せなかった。
歌織の心の叫びは、抑えの利かない暴挙となってワインボトルを手に衝動的に就寝中の祐輔さんの頭に振り降ろす事になるのです。
あんただけ幸せになる事なんて許せない!とでも思ったのでしょうか。
その後、部屋にて祐輔さんの遺体をバラバラにし、バラバラの位置に遺棄した彼女ですが、遺体発見で司法解剖して明らかとなった事実は祐輔さんの遺体の状態から頭蓋骨に8ヵ所の挫傷と亀裂骨折でした。
寝ている祐輔さんに歌織は少なくとも8回もワインボトルを振り下ろした事が分かり、衝動に駆られたとしても凡そ尋常ではない狂気の沙汰で犯行に及んだかが想像できます。
三橋歌織の求めた物
三橋歌織は逮捕後、夫祐輔殺害した事に後悔も反省の言葉もなかったといいます。
驚くことに殺害直後の晴れ晴れとした心境を供述しています。
エリート夫とのセレブ生活を手に入れ、理想の暮らしにたどり着いたはずの三橋歌織の求めたものはいったい何だったのでしょうか。
歌織は裁判で「ずっと離婚したかった」といいますが、ただ「妻として、女として扱ってほしかった」という胸の内も語っています。
普通の穏やかな結婚生活ということを望んでいたということになります。
有利に離婚をはかるため、歌織は夫と不倫相手の通話を録音することに成功しますが、中身は「子供を作ろう」「イタリアで挙式を挙げよう」など衝撃の内容でした。
この不倫相手の女性と祐輔さんは、事件の1カ月前の合コンで出会い、その日のうちに男女の関係に発展、そして翌日の事件当日に祐輔さんは不倫相手の部屋に行き、帰宅したのは朝の4時だったといいます。
歌織が離婚話を切り出すのも聞かずに、祐輔さんは寝てしまい、その1時間後、歌織がワインボトルを手に取ったのです。
「振り返るとこれまでの私の人生において何かを必死になって手に入れたり、取り組んだりしたという経験は思い浮かびません。しかし夫と結婚したことで様々なことがあった今思うのは、普通に生活し、生きていけることの難しさと有難さです」
歌織が、岡野あつこ離婚カウンセラー養成講座に提出した書類に書いた直筆の言葉だ。
背伸びをした生活をしながらも、歌織が最も欲したのは「普通の生活」、穏やかで心の安定した暮らしだった。
探し続けてもどこにも見つけられなかった居場所、望んでやまなかった生活を夫だけが先に手に入れようとしていた。
歌織はそれが最も許せなかったのではないか。
「普通の生活」に憧れながらも、自分の居場所をどこにも見つけられないというやるせなさは多くの人の心の奥底に潜む空疎な孤独を揺さぶる契機になったのだろう。(文春オンライン:引用)
その後、2010年6月に懲役15年の刑が確定しますが、最後まで、歌織の口から夫殺害への反省は聞かれないままだったといいます。
逮捕から逆算して2023年には出所する予定の歌織は出所時には48歳となっていますが今後の人生に彼女が言う憧れた普通の生活を送る事は出来るのでしょうか。
彼女が育った新潟の実家は2007年、事件が明るみに出ると、表札は外された状態で、もぬけの殻になっているそうです。
おわりに
渋谷エリートバラバラ事件で逮捕された三橋歌織の生い立ちは、裕福なお嬢様育ちでしたが大学時代は風俗嬢アルバイトもするなどの過去があったことに驚きます。歌織はエリート夫と結婚しますが、中絶を境にDVを受け殺意を深めていったようです。
普通の結婚生活を求めていた本来の歌織の思いは遂げられず、夫の愛人の存在で憎悪に代わってしまった切なさがありますが、服役中の現在、心境の変化があるのかどうか注目されます。
コメント