2011年3月熊本市内のスーパーで3歳女児が行方不明になり、遺体を遺棄した事件で逮捕された元大学生山口芳寛(当時20)。
その後無期懲役を求刑されましたが、彼の生い立ちに、3歳児殺害事件の予兆ともいうべき奇行が、あったことがわかり話題になっています。
山口芳寛の生い立ち、事件の予兆と奇行、判決後の言動などについてお伝えします。
熊本3歳児殺害事件
2011年3月3日、熊本市高平のスーパー「ビックザビックエース清水バイパス店」で、同市清水東町の介護士、当時清水誠一郎さん(39)の長女、心(ここ)ちゃん(3)が同日夜から行方不明になる事件があります。
「トイレに行きたい」といい張る心ちゃんを、両親がほんの一瞬目を離した隙に、当時、同スーパーで物色するように2時間前後の時間帯を心ちゃんが入ったトイレの前をウロウロしている容疑者山口芳寛の姿が写っていました。
熊本県警は4日、心ちゃんの遺体を遺棄したとして同市兎谷の熊本学園大2年、山口芳寛容疑者(当時20)を死体遺棄容疑で逮捕しました。
防犯カメラの映像から同容疑者が浮上し、供述通り、近くの川付近で心ちゃんの遺体が見つかりました。
県警によると、山口容疑者は「スーパー1階の障害者用トイレ内で首を手で絞めて殺害し、リュックサックに入れて運び出したところ、騒がれたので殺してしまった」といい、遺体を川に捨てたと供述。
県警は山口容疑者宅を捜索し、遺体を運ぶのに使ったとされるリュックサックを押収、他にも少女ポルノマンガなど多数発見されました。
県警は当初から少女へのわいせつ行為目的の、殺人の可能性が高いとみていました。
山口芳寛被告(21)の裁判員裁判初公判が、熊本地裁(松尾嘉倫裁判長)で開かれ、山口被告は殺意を否認しましたが、2012年10月29日の裁判員裁判の判決では、求刑通り無期懲役でした。
山口芳寛の生い立ち~実家は創価学会の家庭環境
山口芳寛の家族は、建築会社に勤める父と近所のコンビニでパートとして働く母、2才年下の弟の4人暮らしで、近所の住民によると、
「お盆や正月になると毎年一家4人で家族旅行をしたり、仲の良い家族ですよ。お母さんも明るくて面倒見のいい人です」(女性セブン:用)
そして山口芳寛の母親、祖父母は創価学会員であったことがわかっています。(週刊文春:引用)
選挙の時には母親が熱心に、ポスター貼りをする姿が目撃されているといい、
「芳寛は今度の統一地方選挙に立候補する公明党推薦の新人候補を一生懸命応援していました。挨拶回りをしていたときは、候補者を激励するため自宅の外で何時間もずっと立って待っていました」
(同上・祖母)
また、芳寛は父親とは仲が悪く、おじいちゃんっ子だったといわれています。
山口芳寛のアルバイト先まで祖父が車を出すなどしていたとか。
身内の間では優しい子だったという山口芳寛は、熊本市内の公立中学校から同市内の私立文徳高校に進学しています。
高校在学中は茶道部に所属し、地域のゴミ広いボランティアなどをつとめ、学級副委員長をするなど真面目な生徒だったようです。
山口芳寛の生い立ち~中学時代の奇行
山口芳寛の中学時代の奇行と事件との関連が噂されています。
芳寛は、地元の竜南中学校では「いじめ」の対象にされたていた事が分かっています。
「小さい頃から落ち着きがなく、変わった感じの子だったので、クラスの目立つ人間によくいじられていた。ちょっかいを出されると『やめろよ』と言って、突然大声を出してキレる。
叩かれて泣いたこともあった。男子からは『うざい』、女子からは『キモイ』と直接聞こえるように言われていた。授業中にも一人で何かブツブツ言っていた」(中学の同級生・週刊文春)
「二年生のときにショートカットで巨乳の和風美人タイプの同級生に告白したけど、フラれたようだ。また、何人もの女の子を好きになって、一度に全員に告白していたこともありましたね」(別の同級生・同上)
他にも山口の中学の知人によると
“「芳寛くんがまだ中学1、2年生くらいのときに、2階の部屋からカーテンを少し開けて、幼稚園くらいの小さい女の子が道を通るのをじーっと見ていることがよくあったんです。“なんだか気持ち悪いね”と小さい女の子がいるお母さんたちは気をつけようと注意し合っていました」
また、近所の住民たちによれば、山口容疑者の家からよく聞こえてくる叫び声にゾッとさせられていたという。
彼が中学2年生ぐらいから「ウワーワーワー!」という大きな奇声をあげていたというのだ。
「夜中になると奇声をあげたり、床や壁を“ドンドン”と蹴ったり叩いたりするすごい音が聞こえてきました。ご両親に怒鳴っているのか“いってるじゃないか!”とかいう大声も聞こえてきて、本当に怖かったです」
(女性セブン・近所の住民)
こうした山口芳寛の同級生や、近所住民の評判を知ると、既にこの頃から事件を予兆する数々の奇行があった事が分かります。
両親も何かしらおかしい、ちょっと普通ではない、と思わなかったのでしょうか。唸り声うや奇声が近所の人に聞こえる程なら両親は、間違いなく気が付いていたはずです。
何故迅速に対処しなかったのかも不可解ですが、やはりどこの両親もそうなように、山口家でも「うちの子に限って」と異常性を疑わなかったのかもしれません。
第三者からしたら充分異常レベルだと思うのに、です。
山口芳寛の戦慄の言葉
山口芳寛は、高校時代は成績も優秀で、推薦入学で熊本学園大学社会福祉学部へ入学しています。
障がいのある学生の手伝いをしたいと、学内のボランティア制度にも申し込んだそうですが、夏休みが終わり9月ごろから授業への欠席が目立つようになり、2年の11月からは一度も授業に顔を出していないといいます。
この頃、近所のビデオショップに出入りし、ローティーンのイメージDVDコーナーに入り浸っていたそうで、未成年の少女や小中学生の水着姿などがカバーに載っていたようです。
また彼の同級生によると、山口芳寛の戦慄の言葉が記憶に残っているようです。
“大学に入学した当初、同級生たちとの飲み会では、その場で聞いていた一同がゾッとするような発言をしたこともあったという。
好きな女性のタイプが話題になったとき、山口容疑者は「小さい子、小学生くらいの子がタイプ」だと話し始めたのだ。
冗談とも思えない真面目な表情で、その理由について「純粋だから」ともいったという。”(引用:女性セブン)
幼い子供への興味は大人になっても消えず、事件の予兆でもあったといえるでしょう。
山口芳寛の判決後の態度
2012年10月29日の山口芳寛の裁判員裁判の判決は、求刑通り無期懲役となりました。
ところが、彼の判決後の態度が驚くべきもので関心を集めています。
殺害された3歳の女児の父親の元に、無期懲役となった受刑者山口芳寛から手紙が届いていたというのです。
複雑な思いの両親が弁護士に預けていた山口の手紙は7通で、何年も読まずにいたそうですが、その後加害者に向き合おうと手紙を読むことに。
“その手紙の内容はあの日の出来事の鮮明な描写と裁判で明らかにしなかった事実も書かれてたそうで、手紙を初めて読んだ父親は(嗚咽しながら)「家内には見せられない」、「(家内に見せたら)死ぬと思います」とも答えてましたね。
そこまで言わせるほど、犯人にしか知りえない事件の詳細が綴られていた模様で、裁判では否定していたはずの明確な殺意も読み取れたそうです。
父親は今回、手紙を読んで良かったと答え、自分の中に逃げる気持ちがあったが、今回手紙を読んで逃げる気持ちは無くなり、親としての責任を最後まで果たさなければならない、犯人というものをしっかりと見て行こうと答えてましたね。”(人生パルプンテ:引用)
裁判で殺意を否定していたはずの山口が飄々と生き延び、遺族に自分しか知らない殺害の事実を送りつけるという残酷な仕打ち。
それでも父親は講演などで命の大切さについて語ってきたようですが、判決の後も遺族を苦しめる山口芳寛の言動が理解できません。
おわりに
熊本3歳児殺害事件で逮捕された山口芳寛の生い立ちは、実家は創価学会員で芳寛はおじいちゃんっ子だったといい、中学時代から奇声をあげたりなどの奇行が目撃されていたことがわかります。
小さい子が好きで、純粋だからという彼の戦慄の言葉が残っており、無期懲役判決後も、被害女児の父親に事件の真相を語る手紙を送りつけるなど不可解な行動に出ている山口芳寛。謝罪の声もないまま事件の終焉となってしまったことが残念でなりません。
コメント
この手の事件で「殺意があったかどうか」とかさ・・・。
いくらでも嘘がつけて立証しようがないことに意味があるのか?
もう、司法の怠慢としか言いようがないわ。
渡す前に検閲しろよな…気の毒すぎるわ