桂田精一社長の生い立ち学歴や経歴に陶芸?父親は町会議員の名士の謎

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2022年4月23日に、北海道知床半島沖合で乗客乗員合わせて26名が乗った遊覧船「KAZU Ⅰ」が沈没被害者26名もの悲惨な事故となりました。

同遊覧船を運航していた会社「知床遊覧船」の社長桂田精一(58)の責任を問う声が後を絶ちません。

「知床遊覧船」の社長桂田精一は、元陶芸家の経歴を持ち、彼の父親桂田鉄三は、元名士で元斜里町議会議員であったことがわかり注目されています。

村田精一社長の生い立ちや学歴に陶芸、父親は町会議員の名士の謎についてお伝えします。

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桂田精一の知床遊覧船沈没事故

4月23日、北海道の知床半島の沖合で乗客・乗員26人を乗せた観光船「KAZU 1」(19トン)が沈没する事故が起こりました。この事故で乗客14人が死亡、未だ12人が行方不明の状態です。(22年5月21時点)

「KAZU 1」は、事故当日の午後1時18分、海上保安庁への118番通報で「船首が浸水している。エンジンが使えない。救助を頼む」と救助を要請していました。この通報には乗客の携帯電話が使用されていたことがわかっています。

「KAZU 1」の通信設備について、船の衛生電話が修理中で使えない状態だったほか、事務所のアンテナが故障しているなど安全面に問題があったとされています。

第1管区海上保安本部と海上自衛隊は、「カシュニの滝」付近の海底で沈没しているのが見つかった船体の中に、取り残された人がいないか確認するため、水中カメラを備えた無人機を遠隔操作するなど、現在も広く海中での捜索が行われています。

知床遊覧船の沈没事故発生後のメディア報道により知床遊覧船の杜撰な安全管理や、横暴な経営姿勢などが次々と明らかにされ、「知床遊覧船」社長の桂田精一の責任問題が大きく取り上げられています。

桂田精一の知床遊覧船沈没事故の無謀な原因

知床遊覧船沈没事故の原因について、天候の判断など運航会社の無謀な安全管理の不備が指摘されています。

出航時すでに強風注意報が出され、別の運航会社の船長や地元の漁業者が、「KAZU1」船長に「出航しないほうがいい」と忠告したにもかかわらず聞き入れなかったといいます。

桂田社長と操縦していた豊田船長が出航について打ち合わせをした際、「海が荒れたら戻る」と条件つき運航を決定、無謀な出航判断だったといわれています。

また事務所の無線アンテナが折れているのを桂田社長が確認しましたが、出航を取りやめることはなかったといいます。

連絡に必要な衛星電話や無線が壊れていたというからびっくりです。

そしてこの会社は、昨年2度にわたり座礁事故を起こし船長が書類送検されていました。

また昨年はじめに、それまでいた船長らが解雇され経験の浅い船長が雇われて、これらの事故が起きたともいわれています。

あまりに無責任で人命軽視のずさんな安全管理があらわになり、会社の責任追及が進められています。

桂田精一プロフィール

氏名;桂田誠一(かつらだせいいち)
住所:北海道斜里町
生年月日:1963年6月29日(58歳)22年5月時点
大学:茨城県工業技術センター窯業指導所(現県立笠間陶芸大学校)
経歴:元陶芸家、(有)知床遊覧船の社長、知床小型観光船協議会会長、商工会理事など。
家族:父親は遠音別神社宮司、元町議会議員
職業;陶芸家→しれとこ村グループ各社社長

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桂田精一の生い立ち~学歴など

桂田精一は、北海道斜里町の知床界隈では知られた、地元有力者一族に生まれています。

祖父の代からの「桂田商店」を営み、ウロトの有力者で知られ食品、米、雑貨、ガスまで扱うスーパーのような商店を営んでいたようです。

そうして財をなした家柄で商売に手を広げましたが、時代もありスーパーや地元農協によって桂田商店は凋落その後、精一の父が旅館業、その兄が建設業をはじめたといいます。

精一の父親や乗り出した新たな民宿経営「しれとこ村」の運営を1996年に建設し新たな事業展開を始め、現在の精一が引き継いでいます。

精一は北海道網走南ヶ丘高校卒業し、卒業後は神主になるため本州へ行っています。

桂田精一は大学は茨城県工業技術センター 窯業指導所(現在は茨城県立笠間陶芸大学校)で、卒業後は陶芸家として活動していたというから驚きです。

彼はしばらく陶芸家として活躍していたそうですが、その後、父の跡を継ぐべくホテル事業や観光事業を行う施設を複数経営する二代目経営者に転職しました。

桂田は突然父親からホテルの経営を任されたらしく、知識もないまま4つものホテルの経営をすることに。

その後、知床民宿協会会長、知床小型観光船協議会会長、斜里町商工会理事(9区)といった商工会などの代表にもなっており、かなりな地位にあったといえます。

2022年には商工会法施工60周年記念事業表彰者になり、商工会役員永年勤続表彰を受けています。

桂田精一の経歴に陶芸家

桂田精一は茨城県工業技術センターを卒業してから、都内に移住し大手企業の支援を受けて陶芸家として過ごしていたことがわかっています。

桂田は、有名百貨店で何度も個展を行うほどの実力と知名度があったとか。陶芸家としては一応成功していたのではと思われます。

ところが、その後地元に戻り、宿泊業を営み斜里町の町議だった父親の後を継ぎ、宿泊業に転身したそうです。

桂田精一は、世界遺産知床地区で国民宿舎やホテルなどを経営する経営者となり、2016年知床遊覧船を買い取って社長になっていますが、元陶芸家で経営者としては恐ろしいほどの素人だったことにあぜんとします。

桂田精一の父親は町会議員の名士の噂

桂田精一社長の父親は町会議員の名士の噂がでていますが本当でしょうか。

桂田精一の父親は、桂田鉄三(現在87歳)といい、地元の名士であることがわかっています。

ホテル経営をする「有限会社しれとこ村」の会長である父親の桂田鉄三さんは、北海道斜里郡斜里町ウトロ高原にある遠音別神社の宮司であることも北海道新聞に掲載されています。

他にも桂田鉄三さんは、斜里町の議会選挙にも出馬し当選している実績もあるというからすごいですね。

ただ自らの父で桂田精一の祖父の「ウロト」がダメになった後、新たな事業展開として民宿業に乗り出した父親鉄三氏の噂も、あまり良いとは言い難い評判も数々あるようです。

民宿業を「有限会社しれとこ村」として開業した後、自らの地元での権力を強める為なのか、鉄三氏は2003年から斜里町議員を務めていました。

でもこの町会議員になった事で、その立場を利用したように「村広大の為」とした言い分で地主に借金を負わせるように仕向け地主らは負債を追い、変わりに自らがそうしあ結果退いて空いた土地を代物弁済という形で獲得したというのです。

そうして二束三文で叩き買った土地で次々、アパートや飲食店の経営を始め、現在の続く事業展開を行っており、そうした経緯を知る地元民は
「桂田さんたち一家には一杯くわされた、」と土地を手放さざる得なくさせられたのは、あたかも桂田家の画策によって騙されたと言わんばかりに苦虫を潰している人物が存在しているとのこと。

結果、父親の鉄三さんは2003年から2018年の間議会選挙で当選し続け、斜里町の町議会議員を2019年までしていましたが、84歳の2019年に行なわれた選挙では最下位で落選しています。

斜里町では知られた名士の鉄三さんの息子が、桂田精一だったわけですが、今回の事件で大きく信頼を失ったことは確かです。

桂田精一の事件における責任は重く、厳しく追及されなければならないといえます。

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おわりに

知床遊覧船の社長桂田精一は地元の有力者の一族に生まれ、父親も町会議員の名士で知られる存在だったといいます。桂田精一は元陶芸家であったことがわかり、会社の経営者に転職したことがわかっていますが、経営には素人で今回の事件でも安全管理の不備が大きく取りざたされました。知床遊覧船沈没事故で行方不明者の捜索が未だ続いていますが、判断を誤り大事故を招いた罪は重く今後の展開を見守るばかりです。


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