奥本章寛の生い立ち~宮崎一家3人殺害事件の詳細かわいそうな理由

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2010年宮崎市で嫁と生後5カ月の長男、義母の3人を殺害したとして、事件当時22歳だった奥本章寛死刑囚の刑が2014年10月に最高裁で死刑が確定しました。

奥本章寛は死刑囚となり服役中の今も、その生い立ちや嫁・義母との関係が注目され、かわいそうという噂も見えているのはなぜか。彼の現在も気になります。

奥本章寛の生い立ち、宮崎一家3人殺害事件の詳細やかわいそうな理由についてお伝えします。

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奥本章寛の宮崎一家3人殺害事件

2010年3月1日午前5時頃、奥本章寛(当時22歳)は、宮崎市花ヶ島町の自宅で長男・雄登くん(5ヶ月)の首を絞め、風呂でおぼれさせて殺害しました。

そして妻・くみ子さん(24歳)の首を包丁で刺し、頭部をハンマーで殴って死亡させ、最後に義母・貴子さん(50歳)の頭部をハンマーで何度も殴り殺害しています。

奥本は事件当日、普段通り出社しており、午後2時頃まで仕事した後パチンコ店で過ごし、午後9時頃一旦帰宅。その後、自宅から約800m離れた、自身が勤める建設会社の資材置き場に、息子である雄登くんの遺体を埋めたとされています。

奥本は帰宅後、「自宅で妻と義母が倒れている」と警察に通報、駆けつけた宮崎県警・宮崎北署員が2人の遺体を発見しました。

署員は長男が見当たらないので捜索する一方、奥本から事情を聞きますが、この時、奥本の説明があいまいだったため追求したところ、奥本は「長男を埋めた」と供述します。

その後雄登くんの遺体が発見され、翌2日、警察は奥本を死体遺棄容疑で緊急逮捕。23日、長男殺人容疑で再逮捕、4月13日に妻と義母の殺人容疑で再逮捕しました。

2010年12月7日、宮崎地裁は、検察側の主張する動機や求刑の理由について認定し、死刑判決を言い渡しました。奥本被告は犯行の2日前、義母から「離婚したければ離婚しなさい。慰謝料ガッツリとってやる!」などと激しい罵倒とともに頭を何度も叩かれ、「その翌日に犯行を決意した」といいます。

裁判員裁判での死刑判決は全国で3例目で、九州・沖縄地方では初で注目されました。後に心理鑑定も実施されましたが2012年3月22日、判決公判で福岡高裁は死刑判決を支持し、控訴を棄却、弁護側は最高裁に上告しました。

奥本被告に対して死刑を求めた義弟(妻・くみ子さんの弟)が、上告審を前に「母の言動にも問題があった」といった内容で、最高裁に「死刑を回避し情状酌量するよう求める」上申書を提出しますが、2014年10月16日、最高裁は上告を棄却、これにより奥本被告の死刑が確定しました。

奥本章寛の生い立ち~

奥本章寛は1988年2月、福岡県豊前市求菩提で3人兄弟の長男として生まれました。22年の現在は事件当時22歳だった青年は12年の月日が流れて34歳となっています。

奥本死刑因は山間の小さな集落で育ちますが、周りの人たちからも愛されていたといいます。幼いころから気が弱く、揉め事が嫌いで自分から謝るような性格で、周りに合わせて我慢することも多かったようです。

両親によると反抗期らしいものはなかったといい、小中高の時は剣道部のキャプテンをつとめていたそうです。

奥本は築上西高校卒業後、航空自衛隊に入隊しています。赴任先は宮崎県で、そのころ出会い系サイトで妻くみ子さんと知り合い、2009年3月妊娠をきっかけに結婚。

結婚と同時に自分の性に合わなかった自衛隊を退職し、宮崎市の建設会社に勤めました。建設会社の社長は奥本のことを、「まじめな働き者。安心して作業を任せられる」と評価しており、問題もなかったようです。

奥本章寛の嫁一家の出会いと転落

自衛隊を経て結婚し子供も出来、一見幸せに見える奥本ですが、実際は嫁一家の出会いが転落を招いたことがわかります。

奥本は妻のくみ子さんと出会い系サイトで出会い、嫁の妊娠により結婚、嫁と義母を養い働き生活することになります。

ところが奥本はその後自衛隊を退職、歴代嫁のくみ子さんの家系は父親も祖父も自衛隊出身の家系でした。その為くみ子さんの家庭では男子の職は自衛隊こそ良しと思い込んでいたらしく、奥本の結婚を機に自衛隊を退所した事に憤慨。

事ある事に「あんたの事は自衛隊を辞めた時から気にくわん」と嫌味を言い続けていたと言います。

彼の転職をひどく嫌ったといいます。そうした経緯から義母は、嫌味や罵倒を日常的に奥本にするようになり、自衛隊だからこそ娘との結婚を許したというようなことも言われたのだとか。

数日に1回は叱責・罵倒されるような生活が続き、奥本はついに我慢の限界を超えてしまったと言われています。

「自衛隊を辞めた時からあんたは気にくわん」「結納も結婚式もしなかった」”(ライブドアニュース)

事あるごとに義母からそんな嫌味をいわれましたが、元来気の小さい奥本は何も言い返せなかったといいます。

結納や結婚式をしなかったことについても、しつこくなじられたが、「お金がない自分が悪い」と謝る日々で、実際、奥本は車のローン400万円や出産費用などで余裕がなかったそうです。

奥本章寛の嫁一家の異常な習性

奥本章寛の嫁一家の異常な習性が、奥本をさらに追い詰めていったようです。

自衛隊を退職したあとは、月給18万円の宮崎市の建設会社に勤めた。しかし妻子と義母の4人で暮らすには満足な額ではない。

義母は、生活費の足りない分は補ってくれたが、「男のくせに、稼ぎが悪い」といったような罵声を浴びせた。

そんな奥本のために、実家の両親は息子を気遣い頻繁に米や野菜を送ってくれたが、義理母の貴子さんは、そうした婿からの両親の差し入れに

“「お前の家族は何もしてくれん」と言い、奥本の両親が福岡から訪ねて来た時も家にあげるのを嫌がった。”というから驚きです。

義母のそんな仕打ちに対し、揉め事の嫌いな奥本はひたすら我慢していた。そのうち衝突を避けるため、仕事が終わっても、くつろげるハズの自宅では無かったため、若い彼はワザと車の中で午後10時~11時まで過ごしてから帰宅していたと言います。

一方で一般的な土建業と同じく土木系の仕事の朝はとても早く、睡眠を削られ時に顔を合わせては暴言や暴力を止めない義理母の虐待行為に若く気弱な性格だった奥本は心身ともに疲弊し追い詰められていきます。

事件後奥本が最も辛かったと供述した内容によると、そうした義理母からの虐待行為や暴言暴力などを頻繁にされている自身の姿を見ても、嫁のくみ子さんが止めてはくれなかったこと。

見て見ぬふりは当然で、薄ら笑いさえ浮かべて知らぬ存ぜぬを決め込んだ態度だった事が彼と、くみ子さんとの心の距離も作っていったようです。

拠りどころを無くした彼が求めた先は、当然他の異性へと目が行き、自宅に帰れず車の中で時間を潰す事がルーティーンとなっていた奥本は車の中で出会い系をして女性と知り合い肉体関係を持つ事もあったようです。

当時の年齢21歳から22歳(事件当時)の若すぎる年齢を考えたら、一方的に奥本を責められる環境だったとも言えないでしょう。

心の拠りどころを探し、アプリでで知り合った女性とメールするなどして時間を潰していたが、そうした行為を知った嫁の、くみ子さんは自らの無慈悲な行為を詫びるどころか、更に夫である奥本を突き放すような発言をします。

彼女は戸惑う素振りさえ見せず奥本に「いつでも離婚してあげる」とメールもしていた事が事件後明らかとなっています。

何故夫が家に帰れず、社内で自分と知り合ったように出会い系アプリをしなければいけなかったのか、何故彼が義理母に言われのない暴言や暴力を受けなければいけなかったのかと、振り返る素振りさえ見せなかった嫁のくみ子さんにも当然絶望を感じるしかなかったのは言うまでもありません。

奥本は嫁一家との同居で居場所をなくし、結婚した妻でさえ彼を支えてくれない孤独を抱えていったと思われます。

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奥本章寛がかわいそうと言われる理由

生後5ヵ月だった我が子である幼い息子とその妻や義理母を殺害した奥の章寛。複数人殺害と言う事で死刑判決が下された事は殺害人数を考えたら当たり前と言えば当たり前かもしれません。

ただ実際事件の詳細を知れば知る程、死刑囚となった奥本について「かわいそう」という噂が出ているようです。おそらくは義母からのひどい仕打ちに我慢してきた環境に同情する声からではないかと思われます。

2010年2月23日、長男・雄登くんの初節句を宮崎と奥本の地元のどちらでするかを巡って、義母と口論になった奥本はその際、義母から何度も頭をたたかれ、奥本の出自を差別的な言葉で中傷されたといいます。

“「 部落に帰れ。これだから部落の人間は。」「離婚したければ離婚しなさい。慰謝料をガッツリ取ってやる」”

と言われ屈辱を受けたとされています。

奥本は実際被差別部落の出身ではなかったようなのですが、少年時代から良くしてくれた故郷の人たちや忙しくも愛情深く育ててくれた尊敬する両親を平然と侮辱する言動を一向に止めない義理母の言葉に何度もショックを受けたと言います。

最後の義理母の罵倒から尋常ではない程追い詰められた奥本は翌日には、義理母の貴子さんと互いに謝罪し合い表面上は収まって見せたと言います。

でも本心は溜まりにたまった義理母や嫁への軋轢は彼の精神の限界をとっくに超越。我慢の限界を超えていました。奥本は自殺や離婚、自分が失踪することも考えたものの実家の両親に迷惑をかけると思い、最終的に事件となった家族3人の殺害を決意します。

また彼が幼い子供まで殺害し土に埋めたことで、子供がかわいそうだとする声も出ています。

ではなぜ、妻子まで道連れにしなければならなかったのか。特に、生後5カ月の長男から殺害に至っている点が「残忍」という印象を与え、極刑に大きく影響したといわれています。

宮崎地方裁判所の判決では、長男の首を絞めた後、浴槽に放置し、土中に埋めた行為について「我が子への愛情は感じられず無慈悲で悪質」と糾弾。

勿論こうした判断は間違いでは無いのですが、彼の嫁くみ子さんとの長男デキ婚から結婚後の生活を振り返ってみると、およそ普通の新婚生活が遅れた期間はほぼありません。

事件後の供述で何故幼い我が子も?の問い掛けに奥本の家族からの孤立が明確な言葉があります。

奥本死刑因は「3人は一体のように感じていた」と供述。それほど育児を通じて義理母と妻、そして我が子を囲み、自らは孤立させるかの如く彼には育児にもまともに関わらせず新婚生活とは程遠い生活を送らせていたのでしょう。

若い夫婦との間に誕生した我が子との3人の通常の暮らしが遅れていたなら、このような事件となったのでしょうか。

異常な執着とも取れる義理母の婿である奥本への暴言、暴力が彼の精神状態を父親と言う自覚も愛情もコミュニケーションもとらせないような環境にしていたと思わざる得ない環境に奥本は居ました。

奥本が逮捕された後、両親にあてた手紙には悲痛な心境が見えています。

義母から毎日のようになじられ、俺の親の文句を言われ続けてきた。お父さんとお母さんは、俺らのためにいろいろしてくれたのに、感謝のかけらもなかった。くみ子も義母に流され、俺の味方をしてくれんかった。毎日が苦しくて、とても悔しかった。本当に地獄やった。でも、3人を殺していい理由にはならないと警察に捕まってから気付いたんだ。弁護士さんに相談に行けばよかった。もうでも遅かった。 俺は義母と一緒に生活するのはいややし、もっと自由に生きたいという理由で3人を殺害してしまった。
(Yahoo:引用)

奥本は、2010年死刑判決が言い渡されますが、地元住民をはじめ6000筆を超える署名が集まった減刑嘆願書が裁判所に提出されたものの、願いが届く事はありませんでした。

彼が育った故郷では心優しく愛される存在で、およそ事件など起こす人物でないと思われていた奥本の心の葛藤をくんでくれる望みが絶たれ、とても哀れに感じられます。

奥本章寛の現在

2022年12月事件から12年の歳月が流れ既に死刑判決が決定されている奥本死刑囚は、福岡拘置所に収容されているようです。(みつリン食堂)

そこでは24色セットの色鉛筆を使った絵を描き、支援者を通じて作画集などを販売しており、収益を遺族に送金していたそうです。

奥本死刑囚は、被害者の遺族である嫁のくみ子の弟にあたる義弟に被害弁償金としてこれまで200万円超を支払ってきたとか。

しかし法務省は2020年10月に「保安上の課題を検討した結果」として訓令を改正し、死刑囚や被告は色鉛筆を購入できなくなったといいます。

以前ある拘置所に収容されていた人が、鉛筆削りの刃で自傷するトラブルがあったため再発防止による訓令とされています。

この訓令改正によって色鉛筆使用が継続できなくなるため、当時33歳だった奥本死刑囚が色鉛筆使用を求め国を提訴し話題になりました。

33歳の死刑囚がなぜ色鉛筆にこだわるのか。そこには死刑判決確定から7年がたつ彼の償いの形があった。

 拘置所内で色鉛筆が使えなくなったのは憲法が定める表現の自由の侵害だとして、奥本章寛(あきひろ)死刑囚(33)=福岡拘置所に収監中=が、国を相手に法務省の訓令の取り消しを求めて東京地裁に提訴したことが、代理人弁護士への取材で判明した。(毎日新聞:引用)

彼なりの贖罪の方法だった絵を描くこともできなくなり、何を心のよりどころとして日々過ごしているのでしょうか。

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おわりに

宮崎一家3人殺害事件で逮捕された奥本章寛は、福岡の小さな集落で育ち、自衛隊入隊後妻と出会い系サイトで知り合い結婚しますが、自衛隊を退職したため義母からの叱責にあい続け孤立していきます。奥本死刑囚は嫁一家の異常な習性に追い詰められており、かわいそうという評判が出ており、現在は福岡拘置所で服役し、色鉛筆画を販売し収益を遺族に送るなど罪を償う様子が話題になりました。色鉛筆裁判を起こしましたが、彼がどんな思いで服役しているのか気になるところです。奥本章寛は本当に死刑になるべきだったのか?事件の背景を考えるとやはり殺害した被害者の無念を持ってしても彼に同情を覚える人は少なくないと思わざる得ません。誰かが彼に手を差し伸べていたら~とたらればを考えてしまう、そんな事件の1つである事は間違いないでしょう。


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