2018年10月25日、「ホストの帝王」と呼ばれた
愛田武が亡くなりました。
ホストの世界では「レジェンド」と呼ばれている
カリスマ的存在でした。
愛田武の経営していた「クラブ愛」は枠にはまらない
個性的なイケメン揃いでメディアでもよく取り扱われ
ています。
愛田武の生い立ちから、伝説のホストに成り上がるまでの
波乱万丈な生涯と最後までを調べてみました。
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愛田武の生い立ち~
裸一貫から、
華やかな夜の世界で「ドン」になった
愛田武。
現在の「愛本店」である「クラブ愛」を築き上げ
新宿歌舞伎町の夜を創った愛田武の生まれは、意外な
ことに夜の世界とは無縁そうな田舎でした。
1940年7月1日、新潟県北蒲原郡中条という町で
9人兄弟の6番目として誕生します。
本名は榎本武(えのもとたけし)。
日本海に面した町で、実家は農家を
営んでいました。
当時は戦争という背景もあり、3歳のことに
同じ中条町の名家・田中家に養子として出されました。
と言っても実親と不仲ではなく、両家を
行き来していて、どちらの家族からも愛情を
もって育てられました。
4歳の頃には既に女性に興味があり、初体験も
13歳と早熟で、女子からの人気も高くナンパの
毎日だったそう。
愛田武は、田舎の生活が気に入らなかったようで
半ば家出のような形で19歳の頃東京へ状況します。
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愛田武のフランスベットの売れっ子セールスマン時代
田舎で農業をする事に抵抗のあった愛田武さんは
上京して1960年に東京フランスベッドに入社します。
営業担当になりましたが、当時の初任給は約10万円
という時代で、ベッド1台の値段は3万円とかなり
高額でした。
当然、なかなか売るのも難しく断る客は
多かったようです。
愛田武は、そこで踵を返すのではなく、女性を
口説いたそうです。
その結果売上につながり、全国250店舗の営業
成績ナンバー1の売上を記録します。
この仕事で自信を深め、1966年、26歳の
頃に起業します。
防犯器具会社「日本ベル」を設立しました。
しかしこちらは経営が上手くいかず、1年で
倒産してます。
さらにその後すぐに、かつら会社の
「クリーンヘア」を設立します。
こちらも経営不振で同じく1年で
倒産してしまいます。
この頃に歌舞伎町でオープンしたホストクラブ
「ロイヤル」に入店し、ホストの仕事を始めます。
ここまでの流れを見ても、ホストにうってつけな
トーク力があるのもわかりますし、大胆な行動力も
真似できないものがありますね。
この後、愛田武は「伝説のホスト」と
呼ばれるまでにのし上がっていきます。
愛田武の伝説のホストへの幕開けと成功
この頃のホストクラブは「女性が楽しむための場所」
でしかなく、客層は主にセレブ妻が多く、ホストに
対する待遇は最悪でした。
基本給も時給も保証も何もなく、あるのは指名料と
チップ。そしてヘルプについた際のバック(歩合制)のみ。
奥様方はホストに対し、ダンス技術やルックス
タレント性などを求めたといいます。
当然店側もそういう人材を残したいわけです。
愛田武はこんな中で、自分が絶対の自信を
持っているトーク力だけで勝負しました。
客のことを把握し、服装や会話を全て頭に叩き込み
目を盗んでトイレに行ってメモを取る――。
ホストだけで生き抜くというのは当時かなり
厳しかったようですが、その才能を見込まれ
1969年に「ナイト宮益」に引き抜かれます。
1971年には、2フロアー160坪と日本最大だった
東京八重洲口のホストクラブ「ナイト東京」に
入店します。
この「ナイト東京」での仕事を最後に、愛田武は
独立を決めます。
同年、新宿二丁目に「クラブ愛」をオープンします。
ここで愛田武は、これまでのホストとは違う、現在の
ホストクラブの基本を作り上げます。
当時はまだ珍しかった明朗会計システムや、以前までと
違いホストをルックスだけで雇うこともしませんでした。
個性的なホストが増え、一躍人気店に。
豪華な内装も自身が手がけ、“夜の城”としても評判となり
連日長蛇の列ができる程有名になりました。
翌年、1972年には2号店「ニュー愛」もオープン。
翌年、本店と共に歌舞伎町へ移転します。
その後も、おなべクラブ「ニューマリリン」
パブ「ダイアナ」、クラブ「ゲイン」等
計5店舗のオーナー兼、売れっ子ホストとして
活躍します。
2007年頃まで様々な店舗をオープンさせ、愛田観光
グループの社長として手腕を発揮しました。
2007年には、マイナスイメージがあるホスト業界を
クリーンにするため、業界団体「歌舞伎町ホストクラブ協会」
を設立し、自ら会長となり「ぼったくり営業」などの
根絶にも取り組んでいます。
日本有数のグループになった愛グループは、芸能界や
幅広いメディアにもしょっちゅう取り上げられるように。
城咲仁などの人気者もここから生まれています。
夜の世界といえばヤクザとずぶずぶだったりしますが
愛田武はミカジメを求められても断固として突っぱねた
そうです。
トラブルになった際には、切腹をしてまで
店を守ろうとしたといいます。
そんなクリーンな愛グループは、店を構えてから
常にナンバーワンに君臨していました。
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愛田武の終焉と現在
ここまで順風満帆でしたが、2011年に
病魔に襲われます。
ホストという職業柄、暴飲暴食していた為に
脳梗塞で倒れてしまいます。
これにより入院生活を余儀なくされ、さらに同時に
認知症まで発症してしまいます。
2014年には愛田観光の社長を辞任して、翌年には
老人介護施設に入居するようになります。
ホスト時代の絶頂期には年商27億円とまで言われて
いたのにも関わらず、その資産は全て失い年金頼みの
生活を送ることに……。
2018年9月に体調に異変が生じて再度入院。
心臓にペースメーカーを埋め込み、胃ろうの処置を
施しましたが、その約1か月半後の10月25日午前3時
すぎに都内近郊の病院で亡くなりました。
脳梗塞で倒れてからは、夜の綺羅びやかな世界から
一変して悲しい生活を送っていたのですね。
本来なら膨大な資産があるはずですが、それが無い……。
これには自身の娘が関わっていました。
愛田武の娘のまさかの裏切りに慟哭
愛田武が倒れてから、周囲は後を継ぐのは長男
もしくは次男かと見ていましたが、愛田観光の
社長に就任したのは娘の磨里氏でした。
娘と言っても、1984年に朱美氏と再婚した時の
朱美氏の連れ子です。
ちなみにこの朱美氏は愛田社長の9歳年上女房
愛田社長の男っぽさと女性感も何だか垣間見える
姉さん女房です。
血のつながっていない娘に任せようと思ったのは
彼女が30年と長い間「クラブ愛」で事務職を
していたからです。
しかし、会社経営を任されてからの娘、磨里氏は
会社を私物化しはじめました。
売上金にも手をつけ、自分の店のホストに
次から次へと手を出し始める始末。
飽きたら次、お気に入りのホストには車を
プレゼントする等してかなりの大金を貢いで
いたそうです。
その後磨里氏は、「クラブ愛」を別のホストクラブに
売り渡してしまい、収入源を絶たれてしまいました。
結果、大量にあったはずの愛田武の資産は0に
なったのです。
磨里氏のせいで、現場のホストたちもさすがに
混乱し、怒りを露わにしました。
これまでずっと愛田武というカリスマについてきた
ホストたちも辞めていき、客も減ってしまいます。
店の存続も危ない中、この長女は、ついには
愛田武とその妻が住んでいる唯一の財産だった
マンションも勝手に売り払っています。
金目になる貴金属も全て売り払ってしまったとか。汗
認知症で店のこともあまりわからなくなった父を
施設から車椅子で連れ出しサインさせたそうです。
その際に愛田武が可愛がっていた愛犬たちも
殺処分しようとしたり、さすがに難ありな
人物だというのがわかります。
2015年頃には「現場に戻りたい」と
話していた愛田武。
この長女が後を継いだために、戻るはずの自宅マンションも
最後は売り払ってしまい帰る家もなかったそうです。
伝説の男のあまりにあっけない最後と無慈悲な実の娘の
最後の行為を愛田社長はどう思ったのでしょう・・・
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おわりに
若い頃からアグレッシブに動き、ヒゲとメガネをトレードマークにホストの王となった愛田武。昭和から平成の現在まで歌舞伎町の夜の世界を象徴するホストクラブの代表的存在を牽引するまでのお店に一代で作り上げた愛田武さん。
晩年は孤独で悲しい生活の中で最期を迎えましたが、現在のホスト業界でも恐らくは今後も、変わらずカリスマ的存在です。愛田武の望んだホストクラブへ愛と、クリーンなイメージがずっと受け継がれていくことを祈ります。
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